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Episode 230 人生を否定できません。

結婚生活でASD者の相方がカサンドラ症候群に陥るというのはよく聞く話でして、ではウチはどうだったのかと聞かれれば、パートナーが当にそれだったと今は思います。
偶々、重要な局面では運良く「逃げ込む穴」が確保できていて、煮詰まる前に避難できたことが20年以上も一緒に居られる幸運をもたらしたのだろうと思うのです。

自分自身がASDであると分かったのは2014年のことで、精神障害者保健福祉手帳を取得したのが2017年のことでした。
私がパートナーと結婚したのが1996年のことですから、結婚から診断確定まで18年、手帳取得まで21年かかっているんですよね。
実際の自分自身と向き合うようになったのは当然ながら診断確定後からですし、それを前向きに捉えられるようになったのは手帳取得以降の話というのが本当のところです。

発達障害が治るとか治らないとか、ネット上で議論になっているようです。
その議論を否定する気はありませんが…。
ASD当事者の私の見解としては、発達障害は治るとか言う次元の話ではないのです。

どういう理由なのか、医学的・科学的根拠は分かりません…でも私の感覚のベースになるのは「過敏/鈍麻」です
五感に関して、必要以上に反応してしまう部分と殆ど反応できない部分が発達障害者には存在していて、反応が強い部分は避けようとするし、反応できない部分は直撃を喰らうことになるのです。
普通は避けないようなことを避け、危ないと皆が思うことを平気でやる…それが定型者との感覚や発想の差となって積み上げられる…RPGの経験値の差って思えば良いと思います。

ただ、ASD者も社会で生きていかなければならないのですから、社会で生活できるように定型者と最低限の共通認識を持とうと努力するのです。
「みんながそう思うのは何でだろう?」
積み上げられた経験値では答えが出なくても、強引にインプットとアウトプットを繋げようと努力します。
それが、定型とは違う回路での思考を作ることになり、正論の答えなのに「なにか無機質で乾燥した異質なもの」を感じさせる原因になるのだろうと思うのです。

さて、そうやって自分なりの経験値を積み上げてきた人が、ある時になって発達障害だと診断されました。
もし仮に、根本の原因である「過敏/鈍麻」が何らかの方法で定型者と同じ「正常な感覚」に治せる治療法があったとして、あなたの自分自身が積み上げてきた「経験値」を放棄できるのか?
リセット…つまりそれは、自分自身を捨てられるかを問われることになると私は思うのです。

発達障害は脳の機能の一部が上手く働かないことで起こる症状だと言われています。
でも、だからと言ってその部分の「修正」ができれば、全てが解決する話ではないのだと思います。
むしろ「修正」されることで苦悩が増すのではないか?
今までの自分自身を全否定することになるのではないか?

このブログで常に言い続けている「社会にonする」ということは、発達障害を前向きに自己肯定するところから始まります。
自分の感覚を変えることは出来ません。
「過敏」も「鈍麻」も抱えて生きていかなければなりません。
その為には「私はこう感じています」を積極的に発信しなければならないですし、それを「変だ」と思わずに聞き入れてもらうしかないのです。
それはごり押しが通るわけではなく、異端を見る目であってもいけないのです。

発達障害に関連する「ライフハック」の類は、その発信者が社会にonするために使ったに実例です。
それをすることで誰もが成功するわけではなく、「こうしたら私は上手くいったよ」という情報です。

結婚して18年もの間それに気づかず、前向きになれるまで21年もかけてしまった私が言えることは、なるべく早く発達障害を自認して、劣等感なくそれを受け入れることです。
全ては、そこから始まるのです。

確かに脳機能の「障害」なのでしょう。
でも、それは原因に過ぎない。
それよりも、作り上げられる私たちの世界は生まれた時から始まっているのです。
血管のバイパス手術そして、正常な機能をとりもどした…というように原因を取り除くことで修正可能な話ではないと私は思います。

当事者自身が、その周囲の人が、そのことに気が付くか。
20年以上の月日を経て、今パートナーと暮らしていける私が思うことは、そんなことなのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/2

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