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Episode 233 金魚が住めるかわかりません。

中身のない私の恋愛は、必ず彼女が私に興味を持つところからはじまりました。
彼女の「察して」アピールにASDの私が気がつくワケもなく、彼女の努力は完全に空振りします。

どぶろっくの歌う「もしかしてだけど」ってネタ、あれって見え見えの男の下心を茶化して笑いにしているワケですよ。
あれねぇ…ネタとしては笑えるけれど、私は「あのコもしかして…」なんて思ったことなんて一度もないのです。
私から「ひと目惚れ」した女性に対しては、誰が見ても「あーねー」って思うほど視線や行動が表に出てしまうのですが、ひと目惚れという興味の対象ではないあのコから薄っすらとアピールされても、見えているワケがないのですよ。
ASDの私は自分が興味のあることをロックオンしてしまうので、興味のない部分についてはピンボケも良いところなのです。

意を決した彼女は私にダイレクト・アタックするわけです。
付き合ってください」ってね。
もう意味不明の「不意打ちストレートパンチ」です。
全く無防備のところに渾身のパンチがキレイに入ったら、ノックアウトすると思いませんか?
昔の映画なんかのケンカのシーンみたいに、殴られた彼が壁に激突、壁から鳩時計が落ちてきて「ポッポー!」なんて、誤動作を起こすみたいな話ですよ。
失礼なヤツですよね…私。

そこに持ってきて、これが少女マンガなんかでよくあるシチュエーション「突然の出会い」「偶然の出会い」との親和性もバッチリで、それが誤動作だと疑いもせずに「パチン!」と音を立てて恋愛がスタートするのです。
あとは、少女マンガのレールに乗って物語が進行します。
私の頭の中には、私の経験の代替をしたマンガのストーリーがギッチリと詰まっていてね…。

私の仮説が正しければ、ASDの人がパートナーに対して性暴力をふるってしまったり、逆に性的な関心が全くなかったり、性的な依存が強かったり…ということが上手く説明できるような気がします。
つまり「経験の代替が何だったのか」ということ。

もしも…
暴力的なAVなどが経験の代替だったら、
興味の関心の中に異性が存在していなかったら、
愛=SEXだと勘違いしていたら…。
もしも自分の経験を仮想現実が代替していた場合、夢と現の区別すら怪しくなってしまうのです。

金魚鉢に、経験という水を注ぎこむ。
不足してしまう水の代わりに、どんな代替を足すのか…。
それは常識という金魚が住める水になるのか?

ギャグマンガの神様・赤塚不二夫氏は「ギャグマンガは常識人にしか書けないんだよ」と言ったそうです。
常識をどのように弄れば笑いを呼ぶギャグになるのか、常識が分かっていないと弄る場所が見えないのだという意味だそうです。

私はギャグマンガが正しく理解できていたのか?
天才バカボンで銃を乱射しながら「逮捕だー!」と叫ぶ警察官「本官さん」を笑えていたか?
振り返って想いを巡らして悲しくなったりするのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/5

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