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父がモラハラ人間になるまで③

前回の続きです。一週間後くらいに書くと言っておきながら、二週間たってしまいました。申し訳ありません。

 スキ・フォローありがとうございます。体調を崩していますが、また書きに戻ってこれて良かったです。


 今回の話は、モラハラだけでなく、父による娘へのセクハラの話も含みます。苦手な方はご注意ください。


モラハラ父の感情表現

 父の感情表現は分かりにくかった。困っている、寂しい、悲しい、といった負の感情を、怒りで表現してしまうからだ。


 私が高校生の頃、父に先天性疾患がある事が分かった。現時点では治療法がなく、進行すれば失明する可能性のある疾患だ。
 その疾患が明らかになってから、父はたびたび「いずれ失明するから、私(父の一人称)に頼ることはもうできなくなるよ」と口にするようになった。

 私はそれを、父のアピールだと思った。いかに父が娘の私にとって、偉大で欠かせない存在なのかをアピールしていると思った。

 しかし、父をもともと頼りにしていた覚えはない。経済的には頼りになっただろうが、父は私の大学費用を払わなかったし(母がすべて支払った)、父の給与の多くは、父がしたい外食によく使われた。

 その上で、父は「誰のおかげで生活できていると思っているんだ」という経済マウントをする人でもあった。
 経済マウントもまた、いかに父自身が重要な存在かのアピールであったのだろう。

 常日頃、父は私に安心感ではなく、緊張感を与える存在だ。よって、心理的な安心感を父に抱いたことはなく、父の言葉はこれぽっちも私に響かない。
 響かないまま、父の寂しさを理解できたので、適当な返事をしていた。

 父は寂しい人である。いつだって自分が大切にされたくて、自分の功績を認めてほしくて、そういう欲求が言動の端々に出ていた。

 要するに、承認欲求が強く、プライドがひどく高い。その上、進行していくかもしれない病気に追い詰められている。

 だから、本当は「心細い」「寂しい」「愛してほしい」などの素直で恥も外聞もない言葉が、父には必要だったのだと思う。だが、常に理知的なポーズを取りたがるプライドの高い人間に、そんな言葉は使えない。

 あるいは、父自身が、自分の感情的な部分を否定していた。否定しなければ、正しく理性的な自分を保てなかったのだろう。


 あまり詳しくは書けないが、母も父も福祉にかかわる仕事についている。
  それで、母に対して、「もっと優しくしてほしい」と言う要望の代わりに、父から出てきた言葉は、「君はソーシャルワーカー(※)なのに人のケアができない。私の疾患のことが何も分かってない」であった。


※社会で生活していく上で、病気や怪我、障害や経済的困窮など、様々な困          難を抱える人々を支援していく職業の総称。


 当然のことながら、母に何も伝わらなかったし、母の父に対する態度は冷淡になっていくばかりだった。

 母に父の寂しさを察する能力はない。はっきりと要望を伝えなければ、伝わらない人だ。ついでに言えば、察してあげる義務もない。

 そんな母にとって、仕事は長く続けてきた大事なものだ。それを否定されたら、気分を害して当然である。

 私から、父の寂しい感情を、母に伝えた事もあったが、母は納得がいかなかったようで、特に何の効果もなかった。

父からのセクハラ

 父にはセクハラの意図はなかったと思われるが、今思うと私は父からセクハラを受けていた。

 コンビニの18禁コーナーをニヤニヤしながら指し示したり、以前の記事でちらっと書いたような、勤め先の女性職員の身体に関する発言をするなど、くだらないものが多かったが、どうしても許せない事もある。


 一つは、お風呂に入るとき、脱衣所の扉を閉めさせてもらえなかった事だ。おそらくは性的な意図よりも、家族が何をしているか常に把握しておきたいという支配欲だったのだと思う。
 だとしても、個人の部屋もなかったから、常に着替えを人の目があるところでしなければいけない不快感は消えない。


 もう一つは、痴漢や通り魔の被害にあったときに、尊厳を傷つけられる発言をされた事だ。

 両方とも高校生のときだった。電車での痴漢被害を訴えたら、「こんなのでも痴漢されるんだ」と父に言われた。

 私は同年代の子どもたちよりも、幼い容姿をしていたから、それを指しての発言だったのだろうが、子どもを標的にした性犯罪はニュースでもよく聞くのに、どうしてこんな発言ができるのだろうか。

 私に痴漢されるほどの性的価値がある事が、そんなにも意外だったか。意外だったとして、どうしてそれを口に出すのか。痴漢をされるような性的価値がある事が、良い事だとでも思っているのか。


 通り魔に体を触られたとき、なぜか父はその通り魔の言動を真似して、私をからかってきた。
  通り魔が「いい時計をしてるね」と話しかけながら、手をとってきたという話を、警察や母にしたら、それが父に伝わっており、その日のうちに、通り魔と同じセリフでニヤニヤした父に、からかわれた。

 意味が分からなかった。父にとっては、たいした意味などないのかもしれない。
 でも、直接加害してきた加害者たちよりも、父に対する恨みの方が強い。


 普段は「愛している」と口にしながら、その「愛している」対象が、他者に加害されたら、笑いながら、からかうとは、どういう神経なのか。
 父の「愛」とは、私にとって、望ましいものではないのではないか。

 そういう不信感を拭えなくなった。

父をモラハラ人間だと決定づけたこと

 いままで書いてきたような出来事の数々が要因となって、父と別居に至ったのだが、別居を決めた当初、私はモラルハラスメントと言う言葉を知らなかった。

 別居に伴う住所変更の際、役所で、父に住所を開示されない手続きをしたときだ。母が父にされてきた事を、役所の人に説明したところ、「モラルハラスメントを受けていたんですね」と言われた事がきっかけであった。

 その時初めて、母と共にモラハラという言葉を知り、父がモラハラをしているのだと認識した。


 また、別居を決める前に、父を完全に見限るきっかけになった出来事がある。

 父の職場での立場が悪くなったのだ。

 個室で部下に大声で説教したという訴えや、女性の部下のデスクの中を勝手に整理したなどの訴えをされたらしい。
 父当人は、個室の扉を閉め切ってない正当な指導だと言っていたし、部下のデスクの中を勝手に整理した件に関しては、整理できてない方が悪いといったような言い分であった。

 この出来事を、父自身の口から聞くまでは、家族にやっているハラスメントを、よそでしないだけの分別が父にあると、なぜか私は信じていたのだ。

 しかし、この出来事がきっかけになって、父には何を言っても無駄だと考えるようになった。
 家族からの訴えのみならず、職場という組織からの調査の結果を突っぱねる父に、正当性はもう感じなかった。

 ずっと抱えていた父に対する不信感が、確信に変わったのだ。
 もしも、この出来事がなかったら、今も父との暮らしが続いていたかもしれない。何しろ25年程の月日を、父と共生していくために費やしたのだ。

 父の職場でのトラブルがなかったら、今までの労力を損切りする決心をするのは難しかっただろう。

バウンダリー

 父には、いわゆるバウンダリー(心の境界)というものがないのだろう。


 母がいまだに父に対して恨みをもつ結婚当初のエピソードの一つに、戸籍の本籍地を許可なく勝手に移したという話がある。
 婚姻関係を結ぶと、配偶者の本籍の移動が可能になるらしいのだが、一言も断りがなかったという点で、母は怒っている。

 父は、母や私を父自身の人格の延長であると捉えている節があり、自分の人格の延長だから、意志決定を勝手にすることに問題があると思っていない。

 そして、私自身も未成熟でバウンダリーが確立できていなかった。
 親の問題を、自分の問題と分けて考えられず、親の機嫌が悪いと、子どもである自分が何とかしなくてはいけないと常に考えていた。

 子どもなので、当たり前かもしれないが、アイデンティティがゆるゆるで、祖母と暮らしていたときは祖母の言う事を鵜呑みにし、両親と暮らしていたときは父の言う事を鵜吞みにした。

 私には、自分の価値観というものがなく、それを育てるだけの環境に恵まれなかった。自分が何が好きで、何が嫌いかよりも、家族の評価が大事だった。

 父のアイデンティティはある意味で強固であったが、バウンダリーという観点では父も未成熟だったのだろう。
 未成熟な人間が、子どもという未成熟な存在を育てていくのにはリスクがある。

 私という未成熟な存在が、バウンダリーが曖昧なままの父の存在を肯定してしまい、父のモラハラを助長してしまったように思う。

次回につづく

 次くらいでまとめられそうな気がしてきました。次回はいつ書けるか分かりませんが、なるべくまとめらしい内容にしたいなと思います。

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