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就活ガール#89 内定辞退と法律の話

これはある日のこと、ゼミ室での話だ。今日も就活についてアドバイスが欲しくて、アリス先輩を頼りに来ている。今日聞きたいのは、選考や内定の事態についてだ。実は俺にもついに1社内定がでたのであるが、そもそもあまり志望動機が高くなかったうえ、内定通知書に記載されている条件があまりよくなかったので、辞退を考えているのだ。

「なるほどね。まずは内定おめでとう。」

経緯を伝えると、アリス先輩が褒めてくれる。表情を見るといつもと変わらないが、言葉だけでも嬉しい。

「ありがとうございます。」

「でも、内定辞退なんて4年生の3月までしなくていいと思うわ。とはいえ行く会社が他に確定したらはやめに辞退連絡した方が企業としては都合いいとも思うけど、少なくとも他に内定が無いのに辞退するなんて馬鹿げてるわ。」

「馬鹿げてる、ですか……。この企業に入社するつもりは全くないんですよ?」

「それは今の話でしょう。残念ながら、今後他の会社からの内定がゼロという可能性だってある。その場合に例え良くない会社でも内定があるのとないのとでは大違いでしょう?」

「それはそうですね。」

「だから、最低でも1社は内定キープしておかないとね。もう一つ別に今の内定企業よりいい企業から内定を得たら、今の内定は辞退してもいいと思うけど。それも別に4年生の3月までする必要はないけどね。」

「えっ、そんなギリギリまで保留できるんですか? 実際、俺が今回内定でた企業だって、2週間以内に内定を承諾する意思があるかどうか教えろって言われてますよ。」

「ああ、そんなことを言われてるのね。結論としてはそれは承諾して、あとで辞退すればいいわ。」

「一度承諾しても辞退できるんですね。」

「ええ。その根拠は明確にあるから、今日も法律を見てみましょうか。民法627条1項よ。」

そういってアリス先輩が六法全書を開いて見せてくれる。最近は法学部生らしく、法律の話をすることが多くなってきた。エントリーシートや面接はそこまでキッチリとしたものではないが、実際に雇用契約を結んで働くということになると、法律上どういう権利義務が発生するのかを確認することも重要である。その点でもアリス先輩は頼りになった。俺自身も民法の講義は昔受けたことがあるものの、雇用契約について書かれていた箇所は軽く流されていたので、あまり記憶がないというのが正直なところだ。

民法 627条1項
当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。

「と、いうことなのよ。そして内定というのは雇用契約の一種なのよ。」

「えっ、内定も雇用契約なんですか?」

「ええそうよ。始期が決められてるけどね。」

「難しいですね。」

「夏厩くんも授業で習ってるはずなんだけどね。もうちょっと簡単に言うと、『来年4月から雇用契約を結びます』って言う内容の契約と考えればいいわ。」

「わかりました。ということは民法627条1項が適用されるんですね。」

「そういうこと。つまり解約の申し入れをしてから2週間後に実際に解約されるってことよ。」

「仕事をしていて、『今日辞めます!明日から来ません!』っていうのが通用しないのと同じですね。」

「ええ。逆に言うと、2週間以上前に解約、つまり内定辞退すれば、1日も働かなくていいってわけ。」

「辞退の意思を通知した日から2週間たった日が入社日より前ということは、結局入社しないのと同じ意味ですもんね。」

「うん。わかった?」

「はい。ありがとうございます。でも内定通知書に『辞退できません』と書かれてたり、『辞退連絡は3か月以上前に』と書かれてる場合はどうなりますか? 法律で決まっていなくても、個々人の間で自由に契約すればそれが優先されますよね。」

「そうね。例えば売買契約だと原則としてその場でお金とモノを交換するけど、別にお互いに同意していればツケにすることもできる。法律上決まっていない制約を勝手に個人同士で生み出すことは可能だわ。」

「ということは、企業側が内定辞退の機嫌を定めることもできますね。そして、学生側としては不服があったとしても、実際には企業側の言い分を飲まざるを得ないです。」

「って思うじゃない?」

「違うんですか?」

アリス先輩が少し思わせぶりな態度をするので、食い気味に質問する。

「民法90条を見てみましょう。」

民法 90条
公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。

「あ、これは俺でも知ってます。いくら個人の自由で契約ができるとはいえ、例えば『組織を辞める時に小指を切る』みたいな社会通念上明らかに問題があるような契約は無効ってことですよね。」

「そうよ。で、内定辞退の期限を設けるのも一般的にはこれに当たると言われてるわ。もしくは、努力義務程度であって、実際には2週間前までの辞退でほぼ認められる。というか、それが認められなかった判例を私は知らないわね。」

「小指を詰める契約に比べると、そこまで公序良俗に反しているとは思えないんですが……。」

「夏厩くんもせっかく法学部生なんだから、もうちょっと人権意識を強く持ってよね。憲法22条1項。」

少しあきれた様子でアリス先輩がペラペラと六法全書をめくる。関係ないけれど、辞書や六法全書のような分厚い本では、極めて薄い紙が使われているという話を思い出した。こういう紙を作っている会社も、地味だけれど実は相当な技術力を持っているのだろう。

憲法 22条1項
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

「職業選択の自由ですね。」

「そう。これは憲法で保障された極めて重要な権利なの。だから、単なる一民間企業が、学生の職業選択の自由を奪うのは公序良俗に反する、つまり民法90条によって無効だわ。」

「わかりました。でも、それじゃあどうして内定承諾書を書かせるんですか? 書かせても意味ないんですよね?」

「そうねぇ。一番の理由は、内定承諾書を書くと辞退したらダメと思っている学生がいたり、少なくとも承諾することに気まずさを感じる学生がいるからね。要するに学生の無知や善意に付け込んでるのよ。」

「なんか嫌な話ですね。」

「建前としては、学生の意欲を高めるためとか、入社に向けての準備が必要だから一旦数を仮確定する必要があるためとかっていわれてるけどね。あと、内定式とか内定者研修とかもサボっていいわよ。」

「えぇ……。」

アリス先輩から過激発言が飛び出し、感嘆の声を上げる。

「内定者の時間を拘束するのは違法だもの。もちろん、出席した方が動機と仲良くなれたりとか、企業側の印象が良くなるから入社後に有利とかはあるかもしれない。でも、内定者研修にでないから内定取り消しなんてことはできないわよ。」

「知らなかったです。」

「繰り返すけど、出席できるならした方がいいわ。ただ、例えば大学が卒業できるかどうかの危機にあるのに無理に研修に出席しなくてもいいってこと。ちゃんと理由を述べて断れば問題ないのよ。」

「はい、わかりました。ちなみに欠席しても内定取り消しができないってのについても法的根拠があるんですか?」

「もちろん。労働契約法16条。」

労働契約法 16条
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

「なるほど。内定の時点で始期が決められた雇用契約と考えられるので、取り消しには『客観的に合理的な理由』が必要なんですね。」

「そう。そして、内定者だからと言って必要以上に無休で時間を拘束するのはそもそも法的にグレーだし、大学の授業があるので内定者研修を休むというのは至極まっとうな理由じゃない?」

「はい。なので、欠席したからといってそれだけで内定取り消しをすることは、労働契約法16条に違反するってことですね。」

「そういうこと。」

「なんか今日の話を聞いてると、内定した瞬間に企業と学生の優劣が入れ替わりますね。一度内定さえ承諾してしまえば、企業は簡単にはそれを取り消せない。一方で、学生側は4年生3月の2週目くらいまでは辞退できるってことですよね。」

「そうなのよ。そういう意味でも、内定はとりあえず承諾するのが大切よ。承諾しなければそもそも雇用契約が発生しないわけだからね。」

「なるほど。内々定も同じですか?」

「いいえ、内々定は全然違う。これは『内定を出すよ』というだけの話で、始期が定められた雇用契約とは認められないことが多いわ。つまり、企業側が突然取り消したりすることも、比較的認められやすい。だから、他社で内々定ではなく内定を得るまでは、辞退しない方が良いんじゃないかしら。」

「ありがとうございます。よくわかりました。今回内定が出た企業はとりあえず承諾しておくことにします。」

「ええ、頑張って。内定が1つでもあれば気持ちの面でもかなり楽になると思うわ。おめでとう。」

「ありがとうございます。アリス先輩のおかげです。」

改めて礼を言って、ゼミ室を出る。今日は内定に関する法律面での話を聞くことができた。詳細な理論はやや難しいところもあったが、結論として内定はギリギリでも辞退ができるので、辞退するデメリットがゼロになるまでは辞退しない方がよいということだと理解した。言い換えると、他にもっと良い会社の内定を得てから辞退すればよいのだ。企業だって、多くの学生を比べながら採用する人を決めている。こちら側もある程度賢く立ち回る必要があると思い、一日を終えるのだった。

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