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唾を吐いた好青年の葛藤(映画「愛がなんだ」を観て)

先日noteに書いた今泉力哉監督の「街の上で」、続いて「愛がなんだ」についても書いてみる。今回は僕の好きなシーンを中心に。

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そのシーンは、物語が終盤に差し掛かろうとしているところ。

いま思えば、「ブリッジ」としてかなり大事なシーンだったと遅ればせながら確信。

恋人である葉子への思いを断ち切ることを決めたナカハラ(演・若葉竜也)。葉子の友人であるテルコ(演・岸井ゆきの)に、そのことを報告しに行く。

唐突な報告に戸惑い、怒りを隠せないテルコ。「僕が葉子さんをダメにしている。愛ってなんだろう?」と自嘲するナカハラに、「何が愛だよ、愛がなんだっつうんだよ。『手に入りそうもないから諦めた』って正直に言えばいいじゃないか」と一喝する。

言葉を選びながらも「俺とテルコは同じ立場だ」と暗に言及するナカハラ。だからこそ共感してもらえる、あわよくば慰めてもらえると思ったら、思いがけずテルコから罵倒される。

かくいうテルコ自身も、恋人になれないマモルに重すぎるアプローチを続けている。だからこそテルコの放つ言葉はずっと上滑りしていた。観ている側からすれば「どの口が説教しているんだ」という感覚だ。それはナカハラも多かれ少なかれ共感していて、自嘲しながらもイラついている。それはテルコに対して、そして自分に対して。

テルコさんが来てくれて嬉しかったです」と、何とか折り目正しく別れを告げたナカハラに、テルコは「バカだよ、ナカハラくんのバカ」となおも罵倒を続けた。

その後にようやく口をついた「幸せになりたいっすね」は本音だと思うけれど、やはりテルコは自分の感情を抑えられずに「うるせぇ、バカ!」と言ってしまう。

もはやコミュニケーションになっていない。

僕が好きなのは、その後に、ナカハラが地面に唾を吐いたところだ。

ギンガムボタンアップのシャツを着ているような好青年・ナカハラが、最後の最後で唾を吐いた。ナカハラなりの怒りだったのだろう。足取りは寂しさが溢れているが、そこには怒りや苦しみの気持ちが混ぜになっていた。

愛と憎しみ。愛とは何か、ではなく、愛がなんだというタイトルは、このシーンが撮れたからこそ生まれたものではなかったか。そう思わせるほど、このシーンは「絵にならない絵」になっていた。

他にも、僕が好きなシーンはいくつかある。そういうシーンが数珠つなぎになっているような、「愛がなんだ」とは、そういう映画のように僕は思う。(「街の上で」はもっとストーリーになっている感じがする)

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観た直後は「街の上で」の方が好きだと感じたけれど、こうして感想を書いていると「愛がなんだ」のパワーは底知れず湧いてくるから不思議だ。

この映画を観ても、それほど岸井ゆきのさんのことを好きになれていなかったけれど、時間差で岸井さんの魅力が浸透してくるような。深川麻衣さんも、穂志もえかさんも、中島歩さんも、とっても良い。

やっぱり思ってしまう。愛がなんだ、と。

(Netflixで観ました)

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