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役者が映画に調和するという、快感。(映画「街の上で」を観て)

いやあ、最高の映画だったな。

意気揚々と映画の感想を書こうとして、「あれ?何が最高だったんだろうか」と思うことが、時々ある。

2021年4月公開、今泉力哉さんが監督を務めた「街の上で」は、まさにそんな感じの作品だった。

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映画に限らず、主人公に何かしらの感情移入をするのがフィクションというものだ。

「街の上で」の主人公は、若葉竜也さん演じる荒川青(以下「青」と言います)。恋人の浮気を問い詰めるシーンから始まるのだが、あっさりと「浮気してごめん、別れて」と言われてしまう。浮気を糾弾しようと思った青は、すっかり梯子を外されてしまって、あげく「いや、絶対に別れない」と強弁する。

このシーンで分かる通り、ものすごく、かっこ悪い。

それは外見とか、ルッキズムとか、そういったことではなく、ただただかっこ悪いのだ。

しかも、その「かっこ悪さ」は何とも形容し難い、煮え切らない態度を伴っている。青は下北沢の古着屋で働く青年だが、これといった意思がないまま生活を送っている。仕事終わりにふらっとライブハウスに足を運んだり、馴染みのバーに顔を出したりするようなフットワークの軽さがあるにも関わらず、そのくせ下北沢から外に出ようとしない。

ある日、自主映画を作っている大学生にスカウトされる。だが「俺にできるはずないよ」と煮え切らない態度で、うじうじと保留する。「いや、暇なんだからさっさと承諾しなよ」とツッコみたくなるほど。最終的に出演を承諾するのだが、ロクな演技もできずに出演シーンはカットとなってしまった。

無気力ではないけれど、意思がない。女性とふたりきりでも、セックスに誘うそぶりもない。(女性とふたりきりだからって、性交渉につながるわけではないのは百も承知だが、にしても、そういった「ドキドキ」するような場面でまったくもって奥手なのだ)

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強いて言えば、ラストシーンが良かった。

穂志もえかさん演じる雪と、対話をするシーン。どこかズレまくっていた青のテンションは、雪のそれとしっかりと噛み合っていく。ずーっとつまらなかった青の冗談が、雪にだけ、ようやく伝わるのだ。

Netflixという、配信の恩恵を享受し、繰り返しラストシーンを眺めるだけで幸せな気持ちになれる。こうして書くと「よりを戻した」ように思われるかもしれないけれど、実際どうなのかは、ぜひ作品を観て、楽しんでほしい。

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ここまで書いて、ようやく腑に落ちたことがある。

登場人物がみな、作品に溶け込んでいたのだ。魅力的とはちょっと違う。作品の中で、彼らなりに(つまり相応に)躍動していたのだ。

ズレまくっていた青、恋愛を楽しんでいない雪、どこをどう見ても古川琴音だった冬子、才能はあるが直感を外した町子、どこまでも友達然としていたイハ。誰かが突出していたわけではないのに、不思議な調和があった映画。

もちろん脚本だってちゃんとしているけれど、それにも増して、トーン&マナーだけで作品を成立させてしまっている。そんな在り方が新鮮であり、実験的でもあるような。

特に今泉監督の描き方は、観ている者も、映画のすぐそばに立っているような錯覚を起こすのかなと思います。すぐそばで、青や雪の恋沙汰を眺めているような。

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今泉監督の「愛がなんだ」も、「街の上で」と共に観ていただくのをお薦めします。

もっというと、2022年11月公開の今泉さんの最新作「窓辺にて」も是非観てもらえたら。3作で共通している部分は多く、劇場公開している間に、映画館に足を運んでもらえたらと思います。

(Netflixで観ました)

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