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海外移住までの道のりは決して遠くない これまでの生立ち vol.2

こんにちは

horiguchi hajime です

今日もバンコクはいい天気です
コロナの自粛機関のおかげでバンコクの空気は
きれいになり遠くまで見えるようになりました
ここまで自然災害やコロナが立て続けに起こると
地球が怒ってるんじゃないか、人間の数を減らして
自らの力で地球を再生しているんじゃないかとさえ思えます

さて前回はオーストラリアでのワーキングホリデー
での1年間の旅を終え泣く泣く日本に帰るというところまでお話しました
今日はその続きをお話します!!
今でも鮮明に覚えていますが、帰りの飛行機から
オーストラリアきれいな空と大地を見たときのさみしさ、そして関西国際空港に着くときの大阪のビルのくすんだ色を見たときのガッカリした気持ち。。
もうその瞬間に絶対なんとかしてオーストラリアに
帰ってやるって心に決めていました
ただ問題は、200万円あった貯金もほぼ働かなかったおかげで                  残金500円
さてどうしたものかってところからはじまります

2004年    オーストラリアより帰国
       ボロボロの服とモヒカン、ピアス
       いっぱいの姿で帰国したため空港で          
       別室につれていかれる
       京都の実家に戻る
       実家のフランス料理屋で働く
       半年後、些細なことで言い争いに
       なり、始発の新幹線で置き手紙を
       残し家出
       埼玉の知り合いの家に転がり込む
       所持金10000円
       人生で初めて関東に住む
       仕事もないしお金もないのでタウン          
       ワークを初めて買う
       丁度六本木ヒルズができたときで
       SOHO'Sの運営するイタリアンが
       料理人募集していたので応募して
       面接日。無事合格し明後日から仕事
       開始で翌日に渋谷にある系列店で
       人が足りてないからそっちに行って
       ほしいって話になり渋谷センター街 
       勤務 初めてイタリアンで働く
       ピザ窯でピザを焼くもかなり苦戦
       若気の至りで料理長と喧嘩して退職
       オーストラリアに帰るチャンスが来
       てもその時貯金ないとチャンスを掴
       めないと思い、給料の低い料理人は
       一旦辞め、営業の仕事に応募、採用
       埼玉の東京電力系列のケーブルテレ
       ビの営業の仕事で毎日お家を訪問営
       業しながら、営業先のお家で奥様
       相手に、ご飯を作りながら契約を
       取る独自のスタイルを確立
       2年間続け貯金目標額250万円達成
       そんなときオーストラリアで出合っ   
       た和食の料理人に誘ってもらい
       オーストラリアに帰れるチャンスを
       いただく

2006年   オーストラリア屈指の観光地Noosaに
      ある山葵に就職

ここから更に人生おもしろくなっていきます
このときの自分は、ただ何も考えずがむしゃらに
前しか向いてなかったです

まさか和食屋さんで働くことになるとも思っていなかったですし、フレンチで勝負したいって思ってましたから、当時の自分は想像もしていなかったことがたくさん待ち受けています

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