見出し画像

平凡で当たり前のことが集う

noteについて、ももまろの現状

結果的に誰も傷付けず
誰にも毒にならない話をしようとすれば
平凡で当たり前のことしか言えなくなる

「これが平和ってものなのか」首を傾げる
平和=ぬるま湯じゃない

表面を繕い、付和雷同
仲良しごっこで嫌なことがあっても
波風立てないのが平和なのかと

平和は、安定安心した暮らし
心や経済的などにも不穏がない暮らしだとしたら
表面さえ良ければ、衝突は避けられ
「自分さえ耐えれば…」
我慢と辛抱の抱き合わせが対立を生まない

noterって、平和を勘違いしている節がある
例えば、こんなことがあった

Aさんが記事で紹介した本は
ドストエフスキーの『罪と罰』
これに「待った!」を掛けたのが、Bさん
「そんな恐ろしい殺人鬼の話を紹介しなさんな」

ドストエフスキー自身、人間の罪深さを描き
読者は、人の更生や支える者の存在
簡単に言えば、希望を得る教訓を残す作品で
けしてサイコパスの勝利宣言じゃない

Bさんは『罪と罰』自体
原作者の作品や思想自体を侵害した
「『罪と罰』は
最初から男と女の愛だけで綴られていればいい」

noterの多数派は、Bさんの支持者
Aさんはおとなしくした

Bさんは別の場面でも作品を冒涜した
Bさんが紹介した映画は、フェリー二監督の『道』
巧みな印象操作で
テーマが熱い男女愛にすり替えられていた

Bさんの映画紹介文へ、Cさんが「違う」と言った
この映画は、自分への失望と後悔が描かれ
Cさんのコメントを借りれば「人生と後悔」
いずれにせよ、映画は恋愛話ではない

感想は人それぞれ以前に
不特定多数へ映画紹介するときの勉強不足を感じた

多数派のnoterはここで
「CさんがBさんの悪口を言った」

Bさんは他人から優れている、特別と思われたい
自分の我を通して他人を折れさせたい
信者は、note有名人と接点を持ちたい
度合いによれば、気持ちは分からなくもない

Bさんから、“自分は有名人”の驕りを感じた
Bさんは自身を平和主義者と名乗っていたが
自称通りの、本物の平和主義者だったのか
だとしたら
それを支持する者は、平和を履き違えている

わたしは、Bさんと信者、丸ごと全員を
数の力でねじ伏せるしか取り柄がないと一蹴する


北朝鮮の金正恩選手が場外ホームランを打ち
日本政府が抗議表明するのは
じゃれ合いで、仲良し倶楽部の延長上なのか

平和は、安寧の維持だけじゃなく
不利益を最小限に食い止める必要がある

凪が平和なら、デメリットを承知で
『罪と罰』を紹介し、『道』の紹介へ反論する
強者へ、思想や意見を言うのは他者にとっても
有益な場合があるのを考えたことがあるのかな

自分の印象が悪くなっても
デメリットを取る人の意見は
後から実践的に役立つこともあるからね

昨日、noteを休止している友達から連絡があった
「note、どんな?」
「前より変わったよ」

どんどん、つまらない場所へ流れる体感
平凡で当たり前のことしか言えない場所だからね


この記事が参加している募集

今日の振り返り