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著…那須田淳『緋色のマドンナ 陶芸家・神山清子物語』

 清子の父が言った、

 「いつだって腹八分目にしておけ。で、残りの二分は人に分けてやれ。それぐらいなら無理せずにできるやろ。それにみんながみんな八分目なら世の中はうまくいく」
(P60から引用)

 という言葉がわたしは好きです。

 「満腹」になろうと欲をかいてしまったら、この小説にも出てくるように、戦争をしたり、ギャンブルで家族にまで迷惑をかけたりします。

 また、「空腹」だと、人は自分より弱い人から物や命を奪ったり、自分より恵まれている人を妬み、憎しみ合うことがあります。

 自分が「空腹」になってまで人に分け与える必要は無いのです、自分の命だって大事なのですから。

 「腹八分目」が最も平和をもたらしますよね…。

 ただ、世の中には、腹八分目以上になっても良いものが幾つかあります。

 その中の一つが「芸術」。

 誰かを傷つけるようなものでない限り、芸術はどこまでも貪欲になって良いのです。

 決して「満腹」にならない、というか真摯になればなるほど「満腹」にはなれないし、「満腹」になってしまったらそこで終わってしまうような厳しい道ですが。

 清子のひたむきな姿が美しいです。

 自分の目指す「芸術」にまっすぐであればあるほど、傷付いたり、悲しむこともありますが。

 窯の中の器が、

 「あんたらも、いろいろ苦労を重ねれば重ねるだけ、それぞれが違うが、味わい深い生き様になるっていうことや」
(P7から引用)

 と清子に話しかけるくだりもあり、わたしはこの言葉にも非常に共感しました。

 人間が経験する様々なことも、きっと人という名の器が土をこねられて、形を作り、器として焼き上げられていくために必要なこと。

 その過程で生じた「他とは異なる個性」が器の魅力を味わい深いものにしていくのかもしれません。

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