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著…レイチェル・カーソン 訳…上遠恵子 写真…森本二太郎『センス・オブ・ワンダー』

 著者の死によって未完となってしまった本『センス・オブ・ワンダー』。

 もし著者がもう少し長く生きて、この本が完成していたとしたら、この本は更に歴史を変える一冊になっていたかもしれません。

 『沈黙の春』がそうだったように。

 『センス・オブ・ワンダー』は、著者が引き取って育てていたロジャーという男の子への愛に溢れているので、スッと心の中に入ってきます。

 ロジャーは、著者の姪の息子。

 姪が病死してしまった為、著者がこの子を育てたのです。

 この本の冒頭には、著者がまだ一歳八ヶ月のロジャーを毛布にくるんで海辺へ探検に行ったことが記されています。

 ロジャーが赤ちゃんだった時から、著者はロジャーと冒険を始めたのです。

 教えるためではなく、一緒に楽しむために。

 わたしは、動物や植物の名前を意識的に教えたり説明したりはしません。ただ、わたしはなにかおもしろいものを見つけるたびに、無意識のうちによろこびの声をあげるので、彼もいつのまにかいろいろなものに注意をむけるようになっていきます。~(中略)あとになってわたしは、彼の頭のなかに、これまでに見た動物や植物の名前がしっかりときざみこまれているのを知って驚いたものです。

(著…レイチェル・カーソン 訳…上遠恵子 写真…森本二太郎『センス・オブ・ワンダー』P12から引用)

 幼い子どもにとってそれがどれほど素晴らしい体験であり、その後の人生に影響を及ぼすかは、もはや語るまでもありません。

 満月の夜に、幼いロジャーは著者の膝の上にだっこされ、月や海面や夜空を眺めて、こう囁いたそうです。

 「ここにきて良かった」

(著…レイチェル・カーソン 訳…上遠恵子 写真…森本二太郎『センス・オブ・ワンダー』P16から引用)


 …と。

 その言葉には、単に美しい風景と出会えたというだけではなく、もしかしたら「生まれてきて良かった」という想いも込められているのではないでしょうか?

 しかし…。

 果たして、今の子どもたちの中に、そうした感動を共に分かち合ってくれる大人と出会えた子は、一体何人いるのでしょうか?

 もはや大人たちは子どもたちに放射能などの負の遺産をのこす存在に過ぎないのでしょうか…。

 そう考えると、とても苦しくなります。

 大人たちだって元々は子どもだったはず。

 けれど大人たちは自然の素晴らしさを知らぬまま大人になってしまったがために、著者が『沈黙の春』で指摘したような惨状を引き起こすことになったのではないでしょうか?

 何故なら、そもそも「失いたくない」と思えるほど美しいものを知らないのですから…。

 著者はこう述べています。

 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいと頼むでしょう。

(著…レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』P22から引用)

 と…。

 そうした素晴らしい贈り物を受け取った子どもたちが大人になって、今度は自分の子どもたちにその贈り物を渡す。

 そんな世の中にしていきたいですね…。

 全ての子どもたちが「ここにきて良かった」と思えるような世界へと。



 〈こういう方におすすめ〉
 環境問題について考えたい方。

 〈読書所要時間の目安〉
 3時間くらい。

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