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古本市のない生活⑪「瀬戸物の火鉢にあたる古本屋のおやじ」

とうとう「古本市のない生活」の終わりがやってきた。
6月20日土曜日。大阪で開催の「たにまち月いち古書即売会」に足を運んだためである。
久しぶりの古本市。会場に足を運んだ瞬間、鼻腔を刺激する古本臭。懐かしさと喜びが胸をいっぱいにした。
最後に私が、古本市らしい古本市に足を運んだのは、同じ「たにまち月いち古書即売会」の3月分であった。つまりおよそ3か月は、古本市を禁じられていたことになる。
よく耐えられたものだ。

東京の感染者状況を見た感じでは、まだまだ感染症の解決は遠い。ということは、いつ再び自粛が呼びかけられ、古本市が開催中止に追い込まれるか分からないわけだ。
よって、これまで「古本市のない日々」という題で続けてきた拙連作は、名前を変えることなく継続していきたいと思う。
「古本市が開催されない」ことの苦しさと、「古本市が開催される」ことの喜びを忘れないために。

まえがきが長くなりました。
これから本文として、作家・澁澤龍彦の「古本話」を紹介したいと思います。

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○今回の一冊:澁澤龍彦「古本屋の話」(『私の戦後追想』河出文庫)

昭和十八年か十九年のころである。当時、駕籠町の交叉点にあった中学校に通っていた私は、よく学校の帰りに、ぶらぶら上富士前町の坂を降り、神明町方面に向って歩いたものであった。市電の通りに面して、向って左側に、古本屋が二軒ばかり並んでいたからである。その裏は花柳界であった。
 当時の新刊本屋の棚は、がらがらだった。やたらに目につく本といえば、東條英機のつくった戦陣訓と、古事記や万葉集関係の本ばかりだった。新刊本屋がつまらなかったから、私はいつしか古本屋に出入りすることをおぼえたのである。
 肩からカバンをかけ、ゲートルを巻いた中学生の私が、ガラス戸をあけて、店にはいってゆくと、店の奥で小さな火鉢にあたっている古本屋のおやじは、「ちびさん、また来たかね」というような顔をして、微笑するのだった。私はこの神明町の古本屋で、蘭郁二郎の『脳波操縦士』という本を買ったことをおぼえている。むろん、この本は、昭和二十年の戦災で焼けてしまって、現在では私の手もとにないけれども。
 神明町から駕籠町、駕籠町から春日町と市電を乗りついで、たどりついた神保町界隈の古書店街をしらみつぶしに見て歩くのも、中学生のころから始まった私の楽しい習慣だった。今では、足が疲れてしまって、とてもしらみつぶしに見て歩くことはできそうもないけれども。
 あの天井の高い、だだっぴろくて薄暗い、厳松堂の店内をなつかしく思い出すひとは、私ばかりではあるまい。戦後まであったはずだが、あの店は、いつごろ消滅したのだったかしらん。
 これも戦後だが、神田日活の近くにできたバラック建ての有楽堂という古本屋で、眼鏡をかけたおかみさん(一説によると、某ドイツ文学者の母堂だという)に乞われて、とうとうジャック・リヴィエールの『ランボオ』(辻野久憲訳、山本書店)を手離した感じのおかみさんは、旧制高校生の私がびっくり仰天するような高い値段で、その本を買ってくれたのだった。私がラッキーストライクの箱をさし出すと、おかみさんは目を細めて、
「まあ、いいんですか。じゃ、遠慮なくいただきますよ。」
 といって、一本引き抜いた。昭和二十二年ごろの話である。あのおかみさんも、たぶん、もう亡くなったのではあるまいか。
 そういえば、昔の古本屋はほとんど必ず、ガラス戸の間口がひろくて、私たちはガラス戸を手で引きあけて、店内に足を踏み入れたものであった。寒風吹きすさぶ冬の夕方など、そこだけぽっと灯のついた店内にはいると、なぜか心の安らぎをおぼえ、ほっとしたものである。おやじが仏頂づらをして、必ず瀬戸物の火鉢にあたっていたのもおもしろい。
 戦争直後には、焼跡の東京のいたるところに、雨後の筍のように古本屋が店を出したものである。ちょっと思いつくだけでも、たとえば春日町から真砂町にいたる坂の途中に一軒あった。新宿の角筈から曲っている都電の線路のわきに一軒あった。不忍池の本郷寄りの池の端にも一軒あった。今の若いひとには信じられないだろうが、有楽町の駅の銀座方面への出口のまん前にも、間口のひろい店が一軒あった。今では、これらの店はことごとく消滅している。
 私の住んでいる鎌倉にも、現在では弘文堂、新生書房、中山書店と三軒ほどしか残っていないが、かつては十軒近くも古本屋があったのである。
 海岸を走る江の電は腰越から曲っているが、その曲った線路に面した腰越の商店街に、昭和二十一年ごろ、私の気に入りの古本屋があって、私はここでプルーストの『スワン家の方』(五来達訳、三笠書房、昭和九年)を買った。この本は、今でも所持している。
」(P37~39)

今回の文章では、澁澤龍彦が戦時中及び戦後に通い詰めた「古本屋」の思い出が紹介されている。
戦時中では、新刊書店がつまらないから古本屋に足を運んだと語る。新刊書店の棚はがらがらである上に、目につく本といえば東條英機の戦陣訓や古事記・万葉集関連書籍ばかりであったーーたしかにこのような状況であれば、古本屋に逃げこみたくなる気持ちは分かる。
澁澤は古本屋で買った本及び売った本について語る際に、そのとき対応してくれた古本屋のおやじさん・おかみさんの姿と交流を描出している。とくに「寒風吹きすさぶ冬の夕方など、そこだけぽっと灯のついた店内にはいると、なぜか心の安らぎをおぼえ、ほっとしたものである。おやじが仏頂づらをして、必ず瀬戸物の火鉢にあたっていたのもおもしろい」という文章には、澁澤が「古本屋」というものに抱いていた愛着が詰まっているように思える。

澁澤がフランス文学者として種々の業績を成した出発点には、この若かりし頃の古本屋体験があったことを心に留めておきたい。

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