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小学校5年で「実はステップファミリーなのよ」と母から告白された話


そんな私の「夫との約束」と「息子への約束」

私が結婚した年の暮れ、今から20年前、実家にいた兄が亡くなった。まだ死ぬには早すぎる歳だった。父と母より兄が早く亡くなるなんて想像したこともなかった。葬儀の時にはずっと涙が止まらなかった。普段泣くことなんかあまりなかったので、夫は驚いただろう。

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亡くなった兄と私は7歳違う。私と姉とは10歳も年が離れている。小学校低学年の頃は、サザエさんみたいな関係かと思っていたが、どうやら違うと中学年で気が付き、小学校高学年のころに母から、ステップファミリーだと知らされたような記憶がある。

私がそれを知ったころ、すでに20歳を過ぎていた姉は、細面の美人で私の憧れだったし、兄は高校の生徒会長でモテモテで、剣道が強くて、自慢の兄だった。ごく普通の家族だと思っていたのが、そうではなかったと知って、「驚き」と「やっぱり」が入り混じる不思議な感覚だった。

父はもともと教員で、兄と姉の実母は看護師で、父が結核でサナトリウムに入院していた時に知り合い、結婚したが、その後離婚したそうだ。

離婚した際に、父の生家の旅館は兄と姉の実母がそのまま住み続けて、父は家を出た。ところがその後、実母が急死したために、幼い兄、姉が残された。旅館業は回らなくなり、当時教員をしていたものの、校長と上手くいっていなかった父が、教員をやめて旅館業を継ぎ、兄と姉を育てることになった。

しかし、その時すでに、父は私の母と再婚して私が生まれていた。

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母は悩んだだろう。しかし、教師を辞めて、2歳だった私を連れて、父と継子と一緒に暮らすことにしたのだそう。母はその後、中学生になった私に、教師を辞めるんじゃなかった、とよく言っていた。私もそう思う。

さて、最も古い記憶というのは、強烈な体験を伴うものが多いという話を聞いたことがある。

私の最も古い記憶は、薄暗い階段に一人で腰かけて遠くに見える明るい玄関を見ている視界だ。旅館を営んでいた実家は、玄関から長い廊下があって、その一番奥に階段がある。

私はその階段に一人で腰かけて玄関を見ていたのだろう。玄関は東側にあり、明るかったからきっと午前中のことだ。誰にも相手にされなくて、でもにぎやかな雰囲気があり寂しくはなかった。

これは、もしかしたら母と一緒に、引っ越した当日の記憶なのではないかと思っている。

私は、物心ついた頃からいろいろな違和感があって、でもそれが何なのかずっと分からなかった。

例えばお正月、親戚の人が年始の挨拶に来るとき、兄姉を父方の親戚みんながちやほやと可愛がり、私が話しかけられることは少なかった。母方の親戚とは全く違うことが不思議だった。

私がたぶん4年生くらいで兄は高校生、姉が独立した頃、私にとっては家がすべてだった。たくさんの本、ピアノがある自分の居場所だと思っていた。そんな中、父方の親戚が兄に「全部あなたのものになるのだからね」「跡継ぎはあなただからね」など言うのを聞くたびに、私は「自分の居場所はここじゃないんだ」「私には何もないんだ…」と心の奥がざわざわしていた。

父方の親戚の人たちは、私が何も分からないと思っていたのかもしれないが、そんなことはない。そして彼ら親戚の人を、成長するにつれてどんどん苦手になった。

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一方、母方の親戚にはとても可愛がられていた。夏休みになると母の実家の寺には従兄妹が集合した。母の弟の子供が男子三人、妹の子供も男子三人、母の姉の娘が一人、そして私だ。幼稚園児、小学生が8人もお寺に集まり、御御堂に布団を並べて泊まった。叔母は大変だっただろうと思う。

同じような年代の子供が8人で、お寺の裏に流れる小川で遊んでヒルにくっつかれたり、歩いてすぐの海で遊んだり、竹林の中を走り回ったり、薄暗い御御堂の裏でかくれんぼをしたりした。御御堂のぬれ縁でみんなでスイカを食べて、べたべたした手を庭の鹿威しで洗って叱られた。子供の頃、毎年繰り返された思い出は私の宝物だ。

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現在、私は夫と子供1人、3人で暮らしている。父方の親族との付き合いはほとんどないし、今後も付き合うことはないと思う。兄が亡くなり父が亡くなったので一気に縁が薄くなった。

今にして思えば、親戚が相続についてずけずけと介入するのなら、いっそ旅館は親戚が買い取って経営すればよかったのだと思う。兄にすべてを相続させると言っていたのは、後妻に入った母には何もない、と言いたかったのだろうか。母もまた、私よりももっと疎外感を味わっていたに違いない。

もしも、父も母も教員のまま、旅館は経営しないし、兄姉とは一緒に暮らさない、という決断をしたら、私はもっと楽天的な、子供らしい子供でいられただろう。

夫とは結婚するときに一つだけ約束をした。

「私は夫が不安になるようなことは一切しない」そのかわり「夫は絶対に浮気をしない」もしも破ったら「即離婚」という約束だ。

しかし、子供が生まれてから、この約束はあまりにも短絡的で、極端ではないかと思うようになった。だから「即離婚」はしないし「再婚」もしない。それはステップファミリーを子供の立場で経験した私の、息子への約束だ。

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