文理選択の悔いがだいたい消えたようだ
今日は月一セラピーの日。文理選択の悔いという、実に35年ものの悩みが解消したようです。これまで何万回も自分に言い聞かせたり、理系数学を指導するなどあらゆる証拠を積んでも、どこか納得できない気持ちが残っていました。
「どんなに努力しても、数学の先生をしても、高校生の頃に理系を選択しなかった自分が許せない気もちが残っている」というテーマでセラピーを受けました。そういう気持ちになるときの身体の感覚や感情を確認します。今回は、胸の辺りがモヤモヤするのと、目やおでこの辺りに何とも言えない感覚がありました。同時に泣きたい気持が湧いてきました。
シマエナガのぬいぐるみを抱っこして話を続けることにしました。
緊張感が絶えない家庭でした。物心ついたころから親に気持ちを聞いてもらったり、辛い時にヨシヨシしてもらった記憶がありません。物質的には満たされており、衣食住は十分与えられたほか、教育熱心な親と利害が一致したので大学進学率20%台、「女の子に大学は要らない」が普通だった頃に破格の進学をしました。
高校生の頃になると、新しい緊張要因が加わりました。母が環境活動に一層のめり込み始めたのです。それまでも生協運動に関わっていたのですが、自分が代表として新しい団体を設立するため活発に動きました。
父は昭和の男性としては普通で、家事育児は女がやるものだという感覚なので、外に出たい母との間に見えない綱引きが繰り広げられました。感受性が高い私には全身でそれが伝わります。
在籍していたのは県のトップ進学校なので、勉強のレベルは高く、どんどん進みます。親の精神的な支えが期待できないなか、自力でついていこうとがんばりました。あるとき数学の実力テストで200点中21点を取ってしまいました。試験の途中で頭が真っ白になってしまったのです。
辛さを話せる人は周りにいませんでした。高校には温厚で知的な先生方がそろっていましたが、泣きたい気持ちを吐露するほどの間柄ではありません。親はとうの昔からあてにならず、親切な叔母は遠く離れた県に住んでいます。携帯電話やメール、SNSが皆無の時代では、一人で抱え込むしかなかったのです。
このテストをきっかけに、数学の苦手意識が深く刻まれました。幼い頃から生き物をつかみ、中学の頃から科学雑誌ニュートンを定期購読してノーベル賞を受賞した研究内容をうきうき読むような自然科学好きの少女でしたが、文理選択に際して「数学が駄目だから文系」とあっさり決めてしまいました。
その選択に今も悔いが残るというわけです。
当時の状況をセラピストに話すうちに、私が人生の初期から親の支えなしにどれほど奮闘していたか、手持ちの資源をフル活用してどれほどの成果を上げたか、よくわかってきました。今の基準だと物足りないと思える選択も、当時は致し方なかったと心の底から思えてきました。
「心の底から」というのが大事です。それまでも頭では「最善を尽くした」と思っていたし、その根拠もあります。18歳人口が史上最多の1992年に京都大学法学部に合格。40代で数学Ⅲを独学したあと塾のそこそこ難しいペーパーテストを突破して理系数学を指導科目に追加しました。今は理系志望の高校生も教えています。
それだけの根拠をもってしても、文理選択を悔いる気持ちが消えることはありませんでした。身体からのアプローチは偉大です。神経系を整える動作などをセラピストと協働で行ったことが効いたのかもしれません。
おそらく、誰にも受け止めてもらえなかった辛さが神経系に冷凍保存されていたようです。今回、然るべき手順を踏んで冷凍保存されたエネルギーを解放することができました。大きな解放が起こったときによくあることですが、温泉に浸かった後のようにだるーくなります。部屋にいるのに温泉旅行(笑)。
親に気持ちを聞いてもらえないのは、人生の重荷になりますね。物質的、経済的な支援では埋め合わせができません。
セラピストに言われた印象的な言葉「文系も理系もよくできるから、文系選択をしたあと理系に悔いが残ったんじゃない?」。言われてみればその通りです。どちらかに偏っていれば、迷いや後悔が生まれなかったと思います。
高校の通知票を見ると、文系科目がやや強いものの、文理どちらもかなり好成績で、高校や大学の仲間が「優秀!」と驚嘆しました。私はもしかすると、自分が思うよりずっと優秀だったのか。やっと文系選択を肯定的な目で見られるようになりました。
お祝いだぁ、というわけで、京大の近くにある中華料理屋で一人飯をしました。ご機嫌でお店を出たら、なんと!愛車のチャリがないじゃないの!え!?ちゃんと鍵かけたし、ドロボーじゃないよね。
そのときやっと、そこにある看板に気がつきました。「自転車撤去強化区域」本日の日付のシールあり。しまった!やられた。あまりにも浮かれていたので、知らずに看板の真ん前にチャリを止めたのでした。せめてもう少し離れた建物の影にでも止めていたら・・・。しかし、35年の悔いが解消した喜びが10億円相当だとしたら、保管料3500円ぐらい支払ってやるよ。ちっ。
おしまい
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