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「ひどい親を許すととんでもなく幸せになれる」と説かれたけど聞かなくてよかった

悩むことを止めなかった私の努力が認められた

https://twitter.com/hiyoko34778556/status/1686516002778202113

このツイートを見た時、私が勘に従い追求し続けたことは正しかったと分かりました。違和感と苦しみに拘ることは、いつまでも過去に拘り、ネガティブで後ろ向きなことではなかった。

親を許すと
自分の価値が上がる
人生のステージが進む
魂が成長する・喜ぶ
お金が入ってくる
許すのは人生の課題だ
お空の上で親を選んで生まれてきた
恨み続けるのは相手に力を与えることだ、自分に力を取り戻すために許す
許すととんでもない幸せが待っている
etc.

様々なお説教を聞かされました。あの親のことを話せる友人だと思っていた人にこれを言われた時の絶望感たるや。あの人たちが私に求めたのは

「加害者を救うように許していく、許していくことで自分の価値を上げていくという、非常に屈折したマゾヒスティックな被害経験の修復を行うのだ」
ということだったのですね。

自分の違和感と苦しみに拘ることは普通奨励されません。日本に限ったことではないのでしょうが、人は見かけ上の平和を好むようです。「酷い親でも育ててもらった恩があるでしょう。許してあげなさいよ」のように説く人が次々に現れました。

しかし、私が親に譲歩して母娘関係が表面上丸く収まれば問題は本当の意味で解決せず、苦痛を訴える人の口を塞ぐ側に回るかもしれません。私に「許し」のお説教をした人たちの多くは自分も親にそれなりの仕打ちを受けていました。ただ、拘りぬく力に欠けており良い子の仮面を外せなかったようです。良い子に靡かない私に何か言わずにいられない気持ちだったと思います。

とあるイベントで「許し」「手放し」を強調する主催者に違和感を伝えたところ、ブログ上で不特定多数向けに返信が来ました。なかなかパンチが効いた内容であり、「違和感に拘りぬくより救済者に回る」ことの問題点があぶり出されているので引用します。同じような目に遭った人には何かの参考になるかもしれません。


許さないと幸せになれない?

あるオンライン瞑想会に参加したとき、主催者が”宇宙からのメッセージ”と称して「ジャッジを手放す」「許す」を強調しました。いくら偉大な宇宙のメッセージ(笑)とはいえ「あの親も許せというの?」と引っ掛かり、感想で率直に伝えました。因みに主催者は私が大変な母親を持っていることを知っていて「あんなお母さんを抱えてお疲れ様」と言われたこともあります。数日してから全体公開のブログに以下のような文章が載りました。タイミングや内容からして私を意識したなと感じました。

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