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【連載小説】湖面にたゆたう(島田荘司「丘の上」の続編)⑥

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 引っ越してから半年が経った。桜並木は花の霞から命に溢れた緑に変わり、光一は学校で友達ができた。友子は毎夕の散歩で街の風景を覚え、ゆっくりと肌になじませていった。成城学園に住んでいた頃、丘の上の駅ビルではなく喜多見のスーパーで安売りの食材に目を光らせていたように、都立大学でも駅前の東急ストアではなく、近所のスーパーに足しげく通っていた。自分や家族が食べたいものよりも安く食べられるのを集めては、毎日料理して家を守った。

 テレビ番組を中心とした映像制作会社でプロデューサーをしていた文明が、リストラされた時、文明は「もう疲れた」と言って、一度は業界から足を洗おうと様々な職業に挑戦した。しかし、ことごとく周囲と喧嘩をしてしまい、短期間にいくつも仕事を失ってきた。タクシードライバーになろうとしてみたり、「人間関係のわずらわしさがないから」と長距離のトラックドライバーになろうとしてみたり。一度は契約を取った際の歩合の大きさに惹かれて不動産の営業をしてみたが、どれも続かなかったのだ。

 タクシードライバーは研修の時点で悪態をつきながら放り出したし、長距離トラックに関してだって同じようなものだった。大型免許を取得するまでは、同じ会社が扱う商品を都内近郊の取引先にルート配達する契約になっていた。つまり勉強期間中も給料を得ることができる仕組みになっていたのだ。しかし文明は社内でも配達先でも衝突し、一か月ももたずに辞めてきた。不動産会社の営業に関しては、費用と時間を割いてまで宅建業免許を取得することに一切の魅力を感じていないそうだ。

「俺のリソースが奪われる分、得られるものをメリットだと感じない。そもそもあんな仕事にはビジョンがない。自分では何ひとつ生み出していないうえに、有限な物を人に売るだけ。それで競い合って何が面白いんだ。やれ顧客ファーストだの、この人から買いたいと言われるオンリーワンになれだの、聞いてて呆れるよ。綺麗ごとを並べたところで、その対象が金を引っ張れる相手限定なんだから、まずそれを認めろって言うんだ。結局は他人の懐事情を値踏みして、金の出せそうな奴にすり寄るだけじゃないか。人のために役立てるのが喜びだと言うのが本音なら、なんで安い酒屋でリーマンが酒に飲まれてくだを巻いてるんだよ。ちょっとでも俺がそう指摘すると、どいつも判で押したように『我々は慈善事業をしているわけじゃないから』って返すんだから飽き飽きするぜ。リーマンなんか顔も言うことも全員同じで見わけがつかないよ。くだらない。だいたいあいつらは守秘義務より自分の承認欲求が勝るんだからな。新人が入ってくると、自分の顧客に有名人がいることを指導と称して自慢してくるんだよ。一般人って悲しいよな。まあ、芸能界だって同じようなもんだったが、たとえそれが一部でもクリエイティブである分マシだった。そもそも俺は金で動く人間じゃないんだ」

 そんな捨てセリフを吐いていた。けれど友子にはわかっていた。文明は自分から職場に三行半をつきつけたのではなく、クビになってきたかその気配を察知した文明がプライドを守るために飛び出してきただけだ。

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