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生き抜く力を抉(えぐ)るオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」_2022年11月17日

■このオペラを体験できたことは財産


2022年11月17日、モデスト・ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を観てきました。

演出家マリウシュ・トレリンスキによる読み替え演出。
身震いするほど美しい音楽でしたし、目に映るものもハッとするほど美しい瞬間が少なくないオペラでした。
一方でストーリーにはまったく救いがなく、ひたすらに重い。こちらの生き抜く力をえぐっていくように感じられました。翌晩、日本フィルの音楽でほっと深呼吸をするまで私の全身には力が入っており、自覚していたよりもかなりのエネルギーを使って平静を保っていたようです。
それほど精神力と体力とを要するオペラを、このタイミングで体験できたことは私の財産の1つです。

実におおざっぱにストーリーを書かせていただくと、
オペラの幕が開くと、戴冠式を間近に控えたボリス・ゴドゥノフがTシャツにガウンを羽織った、寝起きと思われる姿で登場しました。障がいのある息子フョードルの世話をすることで、なんとか精神を保っている様子。前の皇帝の息子ドミトリー(当時7歳)を殺害したことで皇帝の座に就くゴドゥノフは、恐怖心と良心の呵責の間で揺れているのです。
その後、様々な人間の思惑が交錯し、自らが実は生きていたドミトリー皇子であると偽る僭称者せんしょうしゃグレゴリーと、彼を救世主だと妄信する農奴たちによる貴族の集団処刑。「獣が帝位に就いたのだ」という言葉とともに、このオペラは幕を閉じます。

■美しくもおぞましい。常に極端な感情が反発し合うオペラ

舞台が現代に置き換えられていながら、私は今作の読み替え演出にまったく違和感を抱きませんでした。

強く印象に残っているのは、細部まで駆使された映像や照明、障がいをもつフョードル役のユスティナ・ヴァシレフスカの迫真の演技など、視覚的なインパクトの大変強い作品だったこと。また、常に極端な感情が反発し合うオペラだったということです。

たとえば、僭称者グレゴリーが登場するシーンは、もっともおぞましい場面でありながら冠はひときわ輝き、、獣たちは神の眷属かのよう。見る側の認知を混乱させました。ゴドゥノフが自らフョードルを手にかける場面にも、親としての愛と権力への渇望が同時にせめぎ合い、人の深いを感じました。

1~2幕でゴドゥノフがガウンの下に着ていたTシャツは、人間の頭部を横からレントゲン撮影した柄だったのですが、ときには良心の間に揺れるボリスの心を模したクラゲのようにも見え、キノコ雲に見える瞬間もありました。また、天使のような合唱とともにゴドゥノフを取り囲む子ども達の姿も、これから生まれてくる胎児のようにも、ホルマリンに浸かった青白き姿にも見え、生と死の間で混乱しました。
このように私にとって「ボリス・ゴドゥノフ」は、1つの絵に同時にいくつもの意味を感じるオペラだったのです。

何より、音楽の美しさに聞き惚れながら、ずっと歴史的背景の恐怖に、心が地底深く引きずり込まれそうになっていました。アリアの構成が原曲とは変えられているそうなので、元々の演出でも観てみたいと思っています。精神的な安全性を担保したうえで。

(まったく関係ないのですが、きれいな春のお花の写真もUPしておきますね。鑑賞後3日経っていますが、ちょっと、まだ、思い出すことが苦しいオペラです)

ききみみ日記】というマガジンを作り、ここ数年のオペラ・クラシック演奏会の感想を毎日UPしています。
直近の演奏会はもちろん、ここ数年のSNSへの投稿を遡りながら、微調整しています。 よろしければお越しいただけますとうれしいです。
(2022年10月10日開始)



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