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片づけは伝播する_小説家の「片づけ帖」#25

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■旧正月前の大掃除(家族が)


旧正月を迎えるにあたり、我が家がピカピカしています。私の部屋を除いて。

というのも私は今週、自室の簡単な片づけや整理整頓をするだけで済ませているのです。ただ、家族は違いました。

何日もかけて、仕事の合間に家を清掃していたのです。

まず水回りを徹底的に掃除して、キッチンの床を磨いたかと思えば冷蔵庫の棚を丸洗い。調味料なども整理整頓して、スッキリさせています。
 
自分の仕事部屋も模様替えしていました。
そして、数は少ないものの大きめの立体といえる趣味のモノも大幅に減っていて、今は家じゅうがシンプルに整っています--しつこいようですが、私の部屋を除いて。

我が家はみんなスッキリした空間で暮らすことが好きなタチなので、誰かが床を磨いている光景というのは我が家では珍しくはありません。ですが、本格的な掃除をする時間的余裕がない今週の自分にとって、とてもありがたいことでした。

■今週捨てたモノと願望

「片づけは伝播する」というのは片づけ界隈ではよく聞く言葉ですが、我が家でもまさに双方向に伝播しています。

片づいた冷蔵庫を見て、私も2缶あったベーキングパウダーを捨てました。
自室の床を磨く余裕もないのに、お菓子作りなどできるはずがありませんものね。「いつか」という願望とともにポイ! 
モノを捨てるときに一瞬脳裏をよぎる、漠然とした「いつか」など、たいてい来ないのだと私は思います。

その流れで、溜めてしまっていた新聞紙の束もごっそり捨てました。先月から新聞を2紙に増やしたので、1日に合計3部届きます。
ストックは1週間と決めて、専用のボックスを用意しているのですが、そこに前の週に読みきれなかった分もダラダラ保管していたのです。

これも完全に、「いつか」という願望によって足止めされた状態でした。しかも、あまり現実的ではない願望。

私は「いつか使うかもしれない」という、たいていは不安に起因する雑念には強いようで、用途や時期が明確に浮かばないものはすぐ捨てることができます。

一方で、けっこう苦手なのは、自分が良しとする将来像に向かって「使わねば、読まねばならぬ」という、プレッシャーにも似た願望です。
それらを背負い続けると、妖怪・子泣き爺のようにどんどん背中で重くなり、いずれ身動きがとれなくなることでしょう。

とくに教科書や参考書の類いは、「さっさと手をつける。さもなくば捨てる」ということを、今より少しだけ強く意識することにします。

こんな決心をしながら新聞紙の束を手に取ると、「きっと私は遡ってまで読まない」と分かっていながら、「いざとなれば電子版で読める」と自分に言い聞かせて手放しました。

この時、丸めた新聞紙を水で湿らせて玄関に撒き、掃き掃除に使う……なんてことはしません。きっとやらないので、すぐ捨てました。どうせ新聞紙は毎日溜まるものですから。

■壊れて捨てる。モノの流れの中でいくつかの物語を見る

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