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15.自分の膿を吐き出して、どんな自分も受け入れて愛する


会社を辞めたのに自己肯定感が上がらなかった

結婚に伴い、相手と一緒に外国で数年暮らすことにしました
外国に数年住むのと、同じ期間働くのは、
外国に住む方がまたとないチャンスだなと思い、
思い切って、一緒に外国暮らしをすることにしました

配偶者の居住地変更に伴う休職や、外国でのリモートワークができないか、
人事や上司へ相談と交渉してみたのですが、
不可能だった為、退職することにしました

これまでストレスになっていた仕事から離れられて、新たな環境が楽しみで仕方なく、
さぞストレスが減るだろうと思っていました

でもなぜか、辞めて半年間、あまり幸せと思えませんでした

むしろ暇になったせいか、
不安がいっぱい押し寄せて来たり、
過去の嫌な事が掘り起こされたり、
夢でも昔のことがよく出てくるようになりました

家事をする以外は、
好きな時間に起きて、好きな事をして、自分のペースでのびのび暮らせて自分が羨ましいと思っていた暮らしだというのに、
なぜ自分は幸せと思えないのか不思議でなりませんでした

自分に失望した

自分は今あるありがたみにも気づけない、
結局不平不満をぐちぐち言う人間だったかなと、自分に失望しました

努力をせずに文句だけ言って、頑張っている人の足を引っ張る人が大嫌いで、
同じようになるまいとこれまで努力して来たつもりだったのに、
結局自分も同類かと、嫌気が差しました

そして、
雑音は気にせす、自分のやるべきことに集中し、
不平不満を言っている人たちも、もしかしたら幼い頃から心を折られるような言葉を浴びせられて、頑張る機会が無かったのかもしれないから、見下すような事はしないと、
自戒をしていたはずなのに、
「同類か」という言葉が出て来た自分にも驚きと卑屈さを感じ、
さらに自分に対して、嫌気が差しました

そうして、半年間自分の負の感情を抑えきれずに、悶々と過ごしていました

暇にしていると不安になって良くないというネット記事を見かけたことがあり、
やっぱり暇な状況はだめないのかなと、後ろばかり向いていました

自分と正面から向き合ってみた

暇にしていたことで出てきた不安や過去の事と、
初めて正面から向き合てみると、
これまで蓋をして来た自分の気持ちやトラウマになっている心の膿が出て来ていることに気付かされました

自分のダメな面、嫌な面と対峙無ければならず、
何度も逃げ出しそうになりました

でも、向き合い続けていると、
根本的な自分の問題が少し見えるようになって来ました

思い返すと、昔何度か自分の気持ちに蓋をした記憶がはっきりと思い出されました

子供の頃に蓋をした自分の気持ち

自分の気持ちを素直に伝えると、人を傷つけるんだな、
自分の感じた事を素直に伝えるのは、わがままで、
いかに我慢出来て自分を律するかが、大人になるという事なんだな、
自分がまだ子供で未熟なだけなんだなと、
そうやって何重にも気持ちに蓋をして来ていました

また、感性が豊かだったのと、言葉で説明するのがあまり得意では無かったせいか、
自分がキャッチした大量の情報を即座に言語化することが出来ませんでした

そのせいか、周りに自分の感動を伝えても理解されなかったり、
興味を持つ事が人と違って、変な目で見られたり、
自分の感じ方は、人と違って変なんだと、
だんだん自分を否定する様になり
「普通の人」になりきろうと、感性に蓋をした事も思い出されました

自分が感じた事を誰かに言っても、伝わらない、
自分の感じた事を素直に話すと、変な子扱いされる、
自分の本心を外に出してはいけない、隠さないと、と

これまで何度か自分と向き合おうとして来ましたが、
あまりにも自分と周りの「普通」とズレが大きいことを直視するのは辛く、
それに立ち向かう勇気もなく、
逃げ出さずにはいられませんでした

向き合えば向き合うほど、自分の嫌な面と対峙しなければなりませんでした

また、自分の今の状況と自分の合っている環境の大きなギャップを感じてしまい、
どう変えて良いのわからず苦しかったり、変える方法がわかったとしても、
自分には無理と、自分を信じる事ができませんでした

暇を埋めておけば、不安や心配など、自分の負の感情が出てこない為、
自分と向き合わずに済みました
無理やり予定を詰め込んで、逃げ続けてここまで来ました

でも、逃げ続けた事も、時間はかかってしまいましたが、無駄ではなかったと思います
逃げても上手く行かなかったから、違う方法を試した方が良いと思う事ができ、
今回は、逃げ出さずに真正面から自分と向き合えたと思います

向き合い続けた結果、
今は上手くいかなくても、どんな経験も、無駄にならないし、
どんなにダメで、醜い自分も居て良いし、
自分を傷付けた人が許せない心の狭い自分が居て良いし、
どんな選択も、選んだ自分の道が正解で、
とにかく自分を信じることが大事だと、心底気付かされました

大人になり、少しは上手く受け流せる様になりましたが、
子供の頃は、自分と同じ様に感じない人がいるのを知らなくて、
なぜそんな事を言われたのか、
社会の常識や偏見、嫉妬といった人間の感情がよくわからず、
悲しかった気持ちを上手く処理できませんでした

そして、それが自分の中に何十年も溜め込まれて、暇になると溢れ出て来ていたのだとようやく気付くことができました

2年ほど前から少しずつ自分と向き合って来て、
自分自身を受け入れたり、自分の中にある凝り固まった価値観を壊す必要があるとは思いつつも、
具体的に何が自分の中につっかえているのかよくわかりませんでした

この場を借りて、行き場の無かった悲しかった感情を成仏させて下さい

自分の中から出て来た膿

匿名で、ほとんど誰も見ていないにも関わらず、
自分の溜め込んだ負の感情を吐き出すと、自分で自分の醜い部分を客観視しなけばならないのではないかと思い、
ここですら自分の膿を吐き出すことにかなりの抵抗があります

見苦しいですが、吐き出したいと思います

そのままで良いとただそれだけで良いから肯定されたかった

ありのままの自分の気持ちを理解されなくても良いから、受け入れてもらいたかった
誰かを傷付けるわけではないのだから、人と違っていても、
自分の感性を素直に表現させて欲しかった

自分中心に世の中回っていなくて、思い通りにならない事もあるとわかっているし、感じ方は人それぞれだと思う
それでも、自分の希望が通らなくても良いから、
自分で考えた意思や、好きな事、嫌と思う気持ちを、一旦は受けとけて欲しかった

自分でもどうしてそう思ってしまうのかわからなくて、
一般的な世間の常識からすると外れた感情だと言う事もわかっていて、
言うのは憚られるけれど、
自分の中で生まれた気持ち自体は悪い事ではないと、肯定して欲しかった

自分の本音を吐き出せる安心できる場が欲しかった

実際に家の外で誰かに話すかどうかは見極めは必要であるけれど、
せめて本音で話せる安心できる場所が欲しかった

出来ない事ばかり指摘しないで欲しかった

普段あまり話さない人や初対面の人と、何を話して良いのかわからなくて、
緊張して上手く話せないことを揶揄わないで欲しかった

決まりだから、常識だからと押し付けるのではなく、
少しだけでも良いから、自分の不安な気持ちに寄り添って欲しかった

上手く話せなかった事を自分でも反省しているのに、
こういえば良いのにとか、相変わらず口下手だよねと、
自分でも気にしている傷口をえぐらないで欲しかった

なぜ上手くできないか、自分の中で原因を考えながら試行錯誤している途中にもかかわらず、
あれはダメ、こうすべきと、干渉しないで欲しかった

今やっている事に集中している途中で、
あれができていない、行動が遅いと、邪魔をしないで欲しかった

〇〇はコツコツ努力するのが苦手だから、能天気であんまり考えていないから、と
自分の行動や性格がいけない事の様に言わないで欲しかった
こうするともっと良くなるよとか、こんなに良い事があるよとか
違う言い方で改善を図る様に促して欲しかった

自分でも泣きたいわけではないのに涙が出て来て、どうして良いかわからないのに、
泣いて誤魔化すなと、更に追い込まないで欲しかった

初めてやる事で、わからないから素直に教えて欲しいと伝えているのに、
〇〇なのにそんな事も知らないのかとか、勘が悪いとか、
知らないと素直に認めている事を否定しないで欲しかった

困ってそうだから助けようとか、仲良く話していた同級生が引越しで遠くへ行くから寂しくなるねと率直に言っただけで、
××の事好きだからあんな事しているんじゃないとか、八方美人だよねとか、
自分の本意とは反する言われの無い事を言われ、悲しかった

素直に自分の感情を表現して文章を書いても、書けた事や内容には一切触れず、
誤字があるとか、敬体(ですます調)と常体(である調)が混ざっている、文章が長いとか、言い回しがくどいとか、
文章で自己表現したく無くなる様な否定をしないで欲しかった

もっとこうしたら色んな人に読んでもらいやすくなるよとか、
綺麗な文章を書ける様になったら仕事する事もできるよとか、
違う言い方で促して欲しかった

対等にコミュニケーションを取って欲しかった

なぜそうするのか理由を伝えてもらえれば、
納得するし、言われた通りにやるのに、
やれと指示された事の意図がわからなくて質問をすると、
生意気だ、あいつは言われた事をやらない、反抗的だ、普通そんな事は聞かない、非常識だと、
頭ごなしに否定をして、理由を説明できない事を自分に擦り付けて、ごまかさないで欲しかった
もしくは、理由はわからないけれど、今はまずやらなければいけない状況だと、ただ素直に伝えて欲しかった

自分の当たり前を常識として、押し付けないで欲しかった
自分の当たり前を察する事ができないのは、コミュニケーション不足も原因であるのに、
気遣いができなくて空気の読めないやつとして、腫れ物扱いしないで欲しかった

自分の知っている範囲内で理解できないからと言って、
感性を常識で丸め込まないで欲しかった

価値観を押し付けないで欲しかった

今までできなかった事ができて、ただ上手くなるのが楽しいという自分のモチベーションを持っていたのに、
もっと上を目指せとか、1位になれとか、
求めてもいない価値観を押し付けないで欲しかった

結果ではなく挑戦を褒めて欲しかった

継続して取り組めたり、好奇心を持って主体的に物事に取り決めたり、
周りを助けながら物事を達成した事に全く触れず、
テストの結果が良いとか、偏差値が高い学校に合格できたとか、大会で優勝できたとか、
結果だけを褒めないで欲しかった

継続する事の方がよっぽど大事であり、結果は後から付いて来ると、
教えて欲しかった

苦手でやりたく無い事を少しずつでも克服しようと努力している最中に、
上手くいかなくて、普段全く吐かない弱音を少し漏らしただけで、
苦手を克服するなんて当たり前だと、努力を否定しないで欲しかった

人と違う自分の好きな事を否定しないで欲しかった

自分の好きな物を変なもの扱いしたり、そんな事が好きな私を、
変なもの扱いしないで欲しかった

スペックが良くないとか、値段の価値が無いとか、
自分が良いな、欲しいなと思って、納得して購入した物を否定しないで欲しかった
こういう指標をみると、より良いお買い物ができるよと、違う言い方をして欲しかった

そして、誰かに意見を求めないと自分1人で買い物が上手く出来ず、
買い物自体があまり好きでは無くなってしまった

また、お小遣い制では無かったから、親に欲しい物を伝えなければ欲しい物を買って貰えなかった
家計等、色々事情はあるとは思うし、欲しい物を全て買ってもらえなかったことは別に何も問題じゃない
欲しい物を伝えた時に、そんな物を買ってどうするの、また要らない物を欲しがってと言わないで欲しかった

好きだという感情を否定された気がして、
そのちょっとの積み重ねから、
だんだんと自分の好きな事の話を質問されても、安心して話せる相手だと思えない限り、誰にも自分の好きな事の話をしなくなってしまった

個性を変なもの扱いしないで欲しかった

周りと比べて少し変わっているからといって、笑い物にしないで欲しかった

無言で除け者にしないで欲しかった
何か嫌な事をしてしまったのなら、伝えて欲しかった
裏でコソコソ悪口を言われ、ある日突然理由もなく、話しかけても無視される様になって、悲しかった

膿を吐き出して気づいた事

自分の膿を洗い出してみると、以下4つのことに気付かされました

1.無意識に自己承認欲求の塊だった

自分の膿を客観視すると、周りに〇〇してもらいたかったという、欲求が強い事がわかりました
幼い頃、自分の認めてもらいたかった事を認めて貰えず、
自分を肯定して貰いたいという、気持ちが残り続けていたのだと思います

自分が必要以上に人に気を遣ったり、何かをした時に感謝されたいと思うのは、
周囲に自分の存在価値を認めてもらいたくて、
必死に取っていた行動だったのかもしれないと
ふと自分の内なる潜在意識を感じました

自分は気が利いて、良い人で、周りから認められたい、必要とされたい、
出来ると思われたいと

そうして、周りばかりを大切にして、自分の事は後回しにしていました

SNSでいいねが欲しくて誰かの目を引く投稿をしている人を内心、小馬鹿にしていました
そんなにいいねを貰わなくても、誰か1人でもいいねを貰えれば、
自分が良ければそれで良いのではと

でも、欲求の強度や種類はSNSでいいねを求める人たちと少し違ったかもしれないけれど、
自分の取っていた行動の根本は同じだったのだと気付かされました

承認されたい相手が、不特定多数の誰でもいいから数が欲しいのではなく、自分の知っている人から、自分はいいねが欲しかったのだと思います

これまで誰かから褒めてもらったことはありますが、
褒められた事が自分が認めて欲しいところでは無かったから、
自己肯定感は全く養われませんでした

加えて、自分のほめて欲しいことを他人から褒めて欲しい、
自己承認を他人に求めていたから、環境が変わったり、余裕がなくなると、
自己肯定感がぐらついていたのだと気付かされました

2.自己承認は自分で行うもの

自己承認は、誰かに依存することなく、
自分で行うものであり、
それは誰かと比べてどういう自分なのかは関係無く、
たとえ誰かに変なもの扱いされても、自分の好きなもの、個性で良くて、
ダメな自分も含めて、愛すべき自分なのだと、
やっと気が付く事ができました。

3.言葉の重み

自分が言われてショックだったことは10年以上前のものが沢山あります
けれども、未だに自分の中にずっと溜め込まれていました

言葉は、言い方次第で、誰かの心をへし折る可能性もあり、
その一方で元気を貰える源になったり、
言葉は薬にも、毒にもなり、
自分自身も扱いに気をつけなければならないなと身を持って感じました

4.自分には溢れ出る感性を表現する場が無いと幸せと思えない

仕事でとても楽しかったことの1つが、提案資料を作ったり、設計書を書いたり、何が根本的な原因なのか突き止めたり、何か自分の頭の中で考えたり、創作する時間でした

働いている際にストレス要因と思っていたことは全く無いにも関わらず、楽しい、幸せと思えないのは、この思考したり、創作する時間が無かったからだと気づきました

最後に

noteで久しぶりに感じたことを、頭を整理しながら書いて、投稿したりしたことで、
この悶々とした状況が少し緩和されました

仕事中は、自分が現場を見たりお客さんから聞いた話で感じた事と、
自分がこれまで感じていた社会の不便さに対する怒りを、
お客さんへの提案や設計書へぶつけていたのだと思います

退職してから、自分の感性をぶつける場所を失い、自己表現の場に飢え、
自分は楽しいと思えなかったのだと、今の自分の苦しみになっている原因を知る事ができました

誰にも邪魔をされない自由な自己表現の場で、
感じたことをとにかくガス抜きをしないと耐えられないのだと、
自分のストレス発散方法に気付くことが出来ました

とても見苦しく、長文で自分の感情を書き連ね、お恥ずかしい限りですが、
誰か1人でも同じように苦しんでいる方の参考になれば幸いです

皆様の貴重な時間を頂き、精読頂いて、ありがとうございました

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