ビジネス書2冊分の記事を書いて、書くことは諦めることだと気づいた話

休日に文章を書きはじめて、約2年が経った。
ライティング・ゼミに通い始めたことによって、
書くことの習慣は身についた。

文章のクオリティーは置いておいて、
2,000字以上の記事を
200以上このブログに投稿してきた。

自分の趣味のサウナのことであったり、
英語学習の経験、
大学受験の挫折の経験、
今までのキャリアのことであったり。
おもむくままに1記事1テーマで書いてきた。

目を通していただいたみなさま、
ありがとうございます。

いわゆる巷でよく言われるような
「ネタ切れ」の感覚に陥ることも
なく、淡々と書いていた。
もちろん周囲のリアクションもほしいなぁと
思っていたこともある。

せっかく休日の時間を使って
書いているのだから
何かしらの称賛がほしいと。

そんなことを思っている中で、
天狼院のライティング・ゼミと出会い
「読者に最後まで読んでもらえる文章」
について考えるようになった。

それを考えてかくプロセスは
非常に面白いものだった。

そこに起こっている事実は
ごくごく平凡なものであるはずなのに、
書き手がなにかしらのアレンジを
加えることによって、こんなに
輝きを増すものなのか。

こうやって人の心を少しでも動かせる
文章が書けたら、
素敵だろうな。そんな気持ちを
強くしていたのだった。

称賛やフィードバックがなくても
自分は書き続けていける。
そう思うようになった。
いまは休日にキーボードを叩かないと、
なにか気持ち悪い感覚に
なっている。
時間的に書くことができなかったときは、
酔っ払って歯磨きを忘れて寝てしまった
感覚に陥るくらいだ。

書くことで自分の景色は変わったか


参加しているライティング・ゼミは
「人生が変わる」と謳っているだけあって、
これをきっかけに賞を取ったり、
お仕事が増えたり着実に成果を
出している方もいるようだ。

自分の場合はどうか。
ビジネス書2冊分の記事を書いて
自分の生活が変わったか。
そんな変化は訪れる気配はない。
いわゆる「バズった」記事はないし、
1,300人以上のフォロワーがいても
ひとつもコメントがつかないことも
しょっちゅうだし、アフィリエイトで稼いだ
報酬も数百円という状況。

書くことで人生を変えるという
観点でいくと、見るも無残かもしれない。
惰性で続けてきたと言われて
しまうかもしれない。

これからも周囲の心を
動かすことができるような文章は
書けないかもしれない。

ただそれでもまだまだ書き続けたい
気持ちはくすぶっている感覚がある。

それはなぜなのだろう。
自分以外は読まれていないかもしれない文章を
休日の時間を使って書き続けているのだろうか。

書くことで自分を削ぎ落としてきた


書き続けられる理由。
それは書くことで周りの景色が
変わってきたのではなく、
自分の内面が変わってきたということを
実感できているからだろう。

その実感とはどうしようもないダメな
自分を受け入れること。
いろんなものを諦めてきたこと。

どうしようもない不安を
取り払う手段であること。
少しずつだ。自分が削ぎ落とされる
感覚が快感になっていったのが
よくわかった。

10年続けた野球も、3年かかった大学受験も、
200万円と3,000時間をかけて
取り組んだ資格試験の勉強も
何一つものにならなかった。何ひとつと。

書き始めるまでの自分はその「失敗」からとことん目をそらしてきた。

なにひとつ自分の挫折の過去の清算をせずに、
ヘラヘラ笑って生きていた。

文章を書くことはそんな、挫折との折り合いと決着を放置してきた
自分に大きな課題を突きつけてきた。

書き始めると当時の光景が蘇ってくる。
高校の部活のシゴキも、
ハガキできた大学の不合格通知の
冷たい紙ざわりも、
山積みの資格試験のテキストを
燃やした日のことも。

ひとつひとつの出来事を過去と
現在の視点で文字にして整理することで
浄化されていくような感覚だった。
過去の苦しいこと、ネガティブなことを書き続けることは苦しいこと
だと思っていたのに、
ちっともそんな感覚になることはなかった。

ちなみに私の記事で上位のPV数の記事ではこんなタイトルの記事がある。


自分が恥だと、隠したい、
目をそらしたいと思っていたこと。
どうしようもない失敗。
それが誰かの背中を押すこともある。
少し救われて、あの失敗があるから
今の自分があるとこのような記事から
清算することができたのではないだろうか。

私はどこにでもいるサラリーマンだ。
秀でた才能があるわけではない。
サラリーマンとしても世間的には
成功という位置づけではないのかもしれない。
子どももいない。
私が生きていた証はどこに残るのだろう。
いずれ必ず死ぬのだ。
お金も家族も誰一人連れていくことはできない。

こんな当たり前の事実。
自分は凡人で何も残せない、
意味を見いだせない。

ただひたすら消費して生きていく。
これでいいのか。このままでいいのか。
そんな不安にふとかられることもある。

そんな不安も書くことで緩和される。
紛らわせてくれるような感覚になる。
自分の気持ちを整理して、
削ぎ落としていく一連の作業が
癒やしにすらなっている感覚がある。

私は凡人である。
一丁前に「バズる」記事だって書いてみたいし、
いろんな人からコメントをいただけるような文章を書きたい。
そんな湧き上がる承認欲求の塊の
取り扱いに困ることも
一度や二度ではない。

ただ覚えておきたいのは、
誰かのために書くことだけでなく、
自分ファーストで書くことで
自分の内面や人生を変えることもできる。
そんなライティングの可能性があるから、
私は書き続けるのだろう。

これからも。







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