モルトモルテ Molto Morte 其の壱①
病に問ふ病は答えず病をゆき 病のこころをいまださとらず
いまの世をいかにか思ふ かく問へどヒトにあらねばノ餌は答えず
吉井勇の歌を捩った二首 枠林幹延
1.ドはドンビのド
午後の鐘が鳴り出した。
沼崎六一郎はキーボードを叩く指を止めた。
ちょうど「序文」(1)が書き上がったところだった。
沼崎は〈千里眼CHIZCO〉(2)を手に取った。静かに窓を開き、細長い円筒の先端をカーテンの隙間に差し込み、もう片方から下を覗いた。
丸い世界が地上を捉えると、高圧送電用の鉄塔の太い鉄骨にゆっくりと頭突きをしている男が映し出された。
大家の西機氏だ。本職は表具屋だがアパートも経営している。
西機氏は短く刈り込んだ白髪の頭を、ごーん、がーん、ごーんとゆったりとしたリズムで鉄塔の支柱に打ちつけていた。元国体の競漕の選手だったというだけあって、上腕二頭筋はぼこっと盛り上がり背中には分厚い広背筋を貼りつけている。
これが潜望鏡ではなくスコープつきのライフルなら、一発で終わらせられるのだが。丸い視界の中で胡麻塩頭がパーンと赤く弾ける様が次第にリアルに感じられていく。
沼崎は潜望鏡を左手で支えながら右手で実在しないトリガーを引いた。
一階の窓が開く音がした。
小さく「お父さん……」と呼ぶ声がして、窓から伸びた白い手がアルミのトレーに載せた丼鉢を揺らしていた。
中には茶色い物質が山盛りになっている。頭を支柱に打ちつける運動が止まった。
西機氏は振り向くと、妻が差し出す丼鉢のほうへ歩いていった。受け取った丼鉢にこんもりと盛られた味噌のようなものを手づかみで食べ始めた。
送電線の鉄塔が立つこの空地は、四方を家々の壁や塀や生け垣に囲まれて、ちょっとした中庭になっていた。
ドンビを放し飼いにするには打ってつけの場所だ。西機氏は日がな一日そこを徘徊し、腹が減るとごーん、がーん、ごーんと鐘を鳴らした。
西機氏は茶色い物質を脇目もふらず食べつづけている。茶色い物質は、赤玉土と鹿沼土を一対一の割合で混ぜ合わせて総合ビタミン剤を振りかけたものだ。
関東ローム層ならすぐ足下からダンプカー数台分は掘り出せそうだが、なぜかドンビはスーパーで売っている加工された園芸用の土しか食べない。
赤玉土と鹿沼土が人気で、これに砂やピートモスを混ぜて与える人もいる。腐葉土はよくない。土壌菌と発酵熱で内臓の腐敗が進んでしまうのだ。
〈土ンビ〉〈土ボット〉〈土―ガニック〉〈土ランク土ラゴン〉〈ムクロビオティック〉〈土砂万部〉〈ツチズン〉……呼び方はいろいろあれど、どれもSES(土食症候群)の患者を揶揄する言葉だった。
ドンビがまだ伝達性海綿状脳症の一種で狂牛病(牛海綿状脳症)の親戚だと考えられていた頃、患者の神経細胞内に蓄積する病原体・モンパク(モンスタータンパク質)を体内から追い出すためには、動物性タンパク質を積極的に摂取させればいいというデマが流行った。
ある研究者の説によると、モンパクは遺伝子組み換え種子と、ある種の土壌と、ある種の農薬の「絶妙なる不適切な出会い」から生まれた「狂った果実」「狂野菜」によって人へと伝染する。
そうなると、何を食べればいいのだろうか。
穀物、野菜、果物はとりあえず全部危ない。
味噌も醤油もサラダオイルも信用できない。
魚はどうだろうか。
ダメだった。魚には、田畑から溶け出して、川から海へ流れ込んだ「不適切な出会い」物質が蓄積している可能性がある。
肉は?
動物性の餌で育った動物の肉なら平気だろう。
肉だ。肉を食うしかない。
牛脂で焼いたステーキなら大丈夫。
ラードで揚げた唐揚げもOK。
ラードで揚げたトンカツは、しっかり衣を外すこと。
ハンバーガーもレタス、ピクルス、パン抜きが基本。
吉野家では「牛丼牛のみ」「牛皿ネギ抜き」が正式メニューに。
人々が肉に群がった。
食肉の値段は軒並み二倍まで跳ね上がった。
特に近江牛や松坂牛、アグー豚に東京X、名古屋コーチンなどブランド系の肉は五倍から十倍に高騰。
逆に高麗人参、霊芝、青汁、ロイヤルゼリーの売り上げは急落した。
この「肉なら安全」が、不思議なことに、いつしか「肉が病気に効く」に変わるのだ。
狂った農産物の毒を中和するためには肉だ、肉しかないとばかりに、すでに消化能力の衰えた患者の体内に鶏・豚・牛・羊の精肉が詰め込まれた。患者の腸内で生肉が腐敗した。患者がバタバタと朽ち果てて、これはダメだという話になった。
ところが、ある患者の家族が何を考えたのか園芸用の土を与えたところ、肉よりも食いつきがよかった。
肉食から土食への大転換の始まりだ。
土食は消化器官のデトックス(3)になるという説に家族も縋った。
患者はどんどん土を求め、スーパーやホームセンター、ダイソーの園芸棚が空になる事態へと発展した。
鹿沼土や赤玉土がなぜ効くのかについては、産地で今も秘かに行われている土葬にヒントがある、などという説も真しやかに語られた。
「地」や「国」や「領」と結びついて絶大な価値を誇りながらも、いったん掘り出され袋詰めされると百円均一に並んでしまう「土」とは、人々の思惑を超えてマージナルなマジカルな物質なのかもしれない。
ともかく原理は解明されないものの、土を与えておけば現状維持は可能となった。
やがて土を食べて土を排泄するのだから、患者の糞を寄せ集めてビタミンでも混ぜてまた与えればいいと気がつく無精者が現れ、患者から排出される残土に苦しめられていた家族を救うことになる。
何しろ土とは実に厄介な代物で、トイレには流せないし、自治体も通常のゴミとは認めず引き取ってくれない。
この手の貼り紙も増えすぎて違和感もなくなった。
こうなってしまうとそれなりの費用をかけて業者に頼むか、自宅の庭に撒くしかなくなる。
特に土地を持たない都市生活者にとって問題は深刻で、高層マンションのベランダに意味もなく増えていくプランターや、アパートの部屋の隅に堆くなっていく土嚢に困り果てていたのだ。
患者に患者の排泄物を食べさせるというタブーを乗り越え、土食土の土サイクルに走る家族が増えるとダイソーの土は売れ残り、高騰を見込んで園芸土を買い占めていた業者は地団駄を踏むことになった。
ドンビ特集は好評につき都合四回再放送された。
奇病の噂に怯え、何かとんでもないことが起きているのではないかと疑っていた人々は、難病が一つ増えただけだと知って安堵した。
AIDS(後天性免疫不全症候群)、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、AT(毛細血管拡張性失調症)、CD(クローン病)、DM(皮膚筋炎)、HD(ハンチントン病)、PM(多発性筋炎)、PN(結節性動脈周囲炎)、PSP(進行性核上性麻痺)など治療困難な病はほかにも多数存在するのだった。
人々の口からドンビが遠のいていった。
穀物、野菜、果物に次々と安全宣言が出され、肉はまた飽和脂肪酸で悪玉コレステロールだからメタボリックでほどほどに、へ戻った。
吉野家のメニューから「牛のみ」も消え、モンパクの危険性を唱えていた学者たちも研究室から出てこなくなった。
代わりに新たな噂が蠢き始める。
山梨の廃村に造られたゴミ処分場に夜な夜なトラックがやってきて大勢の人が下ろされるのだが誰も外へ出て来ない、それは都内を徘徊中に警察や保健所に保護された患者たちで、高名な僧侶でもあらせられる都知事猊下の裏大乗的なご慈悲により最終解決されているのだとか、逆にお隣の千葉ではドンビの政治利用が本格化、全国から患者を受け入れ、アイドル出身の県知事の土下僕として調教されているのだとか。(4)
まだまだある。
横須賀に停泊中の豪華客船が金持ち専用のドンビ病棟なのだとか、一般家庭ではリフォームで座敷牢を造るのが密かなブーム、すでにドンビ専門の訪問看護サービスも営業を始めているのだとか……。
泥沼にぶくぶく涌くアブクのような情報を掻き集め、忘れっぽい人の世に抗ってきたドンビ情報まとめサイト〈ドはドンビのド〉────沼崎が真相究明と警鐘を鳴らすために立ち上げ、活動の拠点としてきたウェブサイトは、嵐のようなスパムメールと冷やかしの書き込み、サイトの更新時を狙ったように接続が突然切られる謎のブロッキング現象などもろもろの「妨害活動」により、運営開始から二十か月目で閉鎖を余儀なくされた。(5)
しかし、本日、沼崎は晴れて孤立した。
プロバイダーとのADSL契約を打ち切り、愛用のノートパソコンはスタンドアローンのワードプロセッサーへと退化した。
固定電話も解約した。
テレビもすでに地上波アナログ放送終了とともに処分してある。
携帯電話、スマートフォンの類はもとより所持していない。
大量情報通信時代の遺物はスリーバンドの小型ラジオのみとなった。
一心不乱に土食にふける西機氏がやや前屈みになって股を開くと足元へぽと、ぽと、ぼとぼとぼとっと土が垂れ始めた。
(土ボト民が……)
沼崎は顔を顰めて〈千里眼CHIZCO〉から目を背けた。
西機氏はいつ排泄しても平気なように作業ズボンの後ろが切り取られていて常時尻を露出させていた。ときどき夫人がホースで温水をかけた。
この家では土のリサイクルは行われていない。常に新しい土が与えられているのがせめてもの救いだ。
2.鬱血織り姫と血色悪い王子
地下鉄の階段を上がり、協会から送られてきた葉書にある地図を眺め、右を見て左を見て上を向いて、あれあれあれと思った。
歩き始めて間もなく、チホはそこがどこか見覚えのある街だと気づいた。
頭上にそびえているのは確かに以前の職場が入っていたビルだった。ここの二十九階で約五カ月間、時給千六百八十円で事務処理の仕事をしていたのである。
日本吸血者協会のアウトソーシング事業部から紹介された、社会へ出て初めて働いた会社だったのだが、地図を見れば協会本部は職場から何と目と鼻の先にあったことになる。まったく気がつかなかった。
職場だったオフィスビルはこのあたりでは一等高い建物でそれは今も変わっていない。
チホは懐かしさに駆られながらもそそくさと高層ビルの前を通りすぎた。
務めていたのは四年前だからまだ中に知り合いがいるに違いない。
学校と神社仏閣が多い街だった。近くにレンガ塀で囲われた庭園もあったが、入園料を取られるので結局入らなかった。
しかし、こんなところに協会の建物なんてあっただろうか。
訝りながら進んでいくと、人々のざわめきが聞こえてきた。黒い建物の前で旗やプラカードを持った四、五十人の集団が声を上げている。
まさかあれが日本吸血者協会────ではなかった。
地図ではその黒い建物のちょうど真裏に印がつけられていた。
「日本仁術会は、SES情報を隠すな!」
五階建てのビルは〈日本仁術会館〉だった。
全国の医者の総本山にしては控え目な高さだが、黒い御影石がふんだんに使用されているところを見ると無駄に金がかかっていることは明らかだ。
「日本仁術会は、SES患者を入院させろ!」
拡声器で叫ぶリーダーの声につづいて全員が声を合わせ、拳を振り上げている。
デモ隊には患者も混じっていた。数台の車椅子に患者がベルトで縛りつけられている。患者の身体が椅子の上で前後左右に揺れていた。
デモ隊が掲げるプラカードには「SES」の文字が躍っている。
Sat eating syndrome……俗に言う「ドンビ」だ。
「日本仁術会は、SES新薬の実験を認めろ!」
歩道には抗議団体のテントが張られ、パイプ椅子と長いテーブル、募金箱、お菓子や飲み物も用意されている。長期戦の構えである。
他人事ではなかった。チホの父親もSESを患っている。去年見舞いに行った時はもうかなり病状が進んでいて会話も無理だった。
病院を追い出されて、母親が自宅看護している。本当なら、ここに混じって声を上げなければならないのかもしれない。
だが今日はもう一つの家族の件で、千葉からここまでやって来たのだ。
チホは歩道を占拠してスローガンを唱えているデモ隊のうしろを頭を下げて小走りに通りすぎた。
「日本仁術会は、SES患者を見て見ぬふりをするな!」
チホはようやく日本仁術会の裏へ回り込んだ。
チホの背丈の二倍はありそうな高い鉄格子の向こうに樹木が厚く茂っている。
奥に田舎の中学校のような二階建ての木造建築が見える。打放しコンクリートで窓のない博物館か美術館のような建物も見え隠れしている。
ひび割れた門の表札には〈国際タイドウォーター協会本部・潮流研究所〉の文字。
チホはインターフォンのスイッチを押した。
「はい」低く柔らかい男の声がした。
「ええと、イトマキの件で参りました」
「合言葉は?」
「ええと、英語ですよね、あ……ライフ・イズ・ロングバケーション、です」
「お入りください」
ロックが解除される軽い音がした。
風雨に晒され塗装がぼろぼろに剥がれた鉄の扉を、チホは押し開ける。鉄と鉄が擦れ合い背筋にゾクッと来る嫌な音色が響き渡った。
二時間後、本日のデモ活動を終え、残った数名がお茶を飲みながら談笑しているテントのうしろを通ってチホが戻ってきた。
日本吸血者協会で見聞きした「イトマキ症候群」についての情報を反芻しながら歩いているうちに、駅とは反対方向へ向かっていくチホ。
はっと気づいて、あたりを見回すと、庭園の赤いレンガ塀沿いの道を歩いていた。
一辺が三百メートルはある方形の庭園の周りを、チホは気づかないまま半周したことになる。
不意に視線を感じた。
道端に地蔵が立っていた。
よく見ると、地蔵ではなくアンパンマンのブロンズ像だ。 ブロンズ像のうしろの建物が、どうやらアンパンマンの版元の出版社のようだ。
「おい、あんた」
子供の声がした。
「あんただよ」
チホが振り向くと、レンガ塀の中に少年の顔が埋まっていた。
目を瞬かせ、もう一度見た。
レンガ塀に白人の少年が寄りかかっていた。
臙脂色の詰襟の服が塀と溶け合って見えたのだ。
少年が動き出した。
レンガ塀のレリーフが命を宿してこちらへ向かってくる。学帽を目深に被った少年の肌は七宝焼か貝殻を削って磨いた装飾品のように輝いていた。
碧い目もあとから嵌め込んだ宝石みたいに綺羅綺羅している。
生徒会長兼学園理事長で末は宇宙艦隊総司令だろうか。見たところ、かなり完成度の高いエリート幼年学校生のコスプレである。
チホは思った。
この子、知ってる。
自分はこの彫像の元の少年に会ったことがある。
「何だ? ガイジンがそんなに珍しいか?」
「プリン君……プリン君だよね?」
少年が歩みを止めた。命が抜けてただの像に戻っている。
「おれを知っているのか? おまえ、何者だ?」
「チホだよ。チホ。覚えてないか。河口湖だっけ? 山中湖かな? 一緒にスワンボート漕いだじゃない」
「知らない。おまえなど知らない」
「ほらキャンプだよ、サマーキャンプ。行ったじゃん。YMCAの」
チホが小学五年生の時だ。
夏休み、通っていた英語学習塾主催のキャンプに行ったのだ。
参加した生徒は全部で五十人、大学生のボランティアスタッフが二十人。
湖畔のキャンプ場で二泊三日の楽しい催しだった。
参加した生徒の中に一人、金髪の男の子がいた。英国人と日本人のハーフだった。
今目の前にいるこの少年だ。
「酷いキャンプだった。思い出したくもない。目がトロンとした二流私大のボランティアどもが、おれの髪や手や足や体中を撫で回しやがって気持ち悪いことこの上なかった」
「それって、男の?」
「男も女もだ。どいつもこいつも北国の春、夏休みの河口湖だ」
少年は碧い瞳をチホから外して、忌々しげに「ふん」と鼻を鳴らした。
チホが覚えている少年は素直で明るい聖歌隊みたいなハーフの男の子だった。
十二年もたつと人は変わってしまうのか。身長も体重もあまり変わっていないように見える。人形作家が組み立てたような細い手足も金色の癖毛も、当時のままだった。
「ね、ちょっと」チホは周囲を見回してから小声で言った。「プリン君も吸血者なの?」
「今のおれはプリンじゃない。おれの名は、世良彌堂。世良・彌堂・ランプリングは人間時代の名前だ」
彌堂がチホを見上げた。二つのサファイアで睨んだ。
「今度、プリンと呼んだら、おまえを咬み殺す」
「咬み?」チホは内心苦笑しながら折れておいた。
「こわ―い。じゃあ、彌堂君で」
「そんなことより、おまえ、さっき仁術会の裏から出てきたな」
「出てきたけど」
「あそこで何を聞いてきた? 包み隠さずおれに話すんだ」
国際タイドウォーター協会と潮流研究所は、地球規模の海流や潮流の変化を研究をしたり、普段は見過ごされがちな地球環境における海流や潮流の大切さを啓蒙する活動を行っている。
「わたし、国際タイドウォーター協会の会員なんだ」
「おまえ、不思議な吸血鬼ちゃんか? それで見事誤魔化せたつもりか? おれを子供扱いして遊んでいるな? どれでも殺す」
「わかった、わかった。ここじゃなんだから、どこか入ろう。喉が渇いたし」
「喫茶か。奢ってもらって悪いが、おれは清水と鮮血しか飲まない。南の国の情熱のアロマだけつき合おう」
二人は駅のほうへ歩き出した。
「そうか。おまえはおれを知っている……」
世良彌堂から鼠の鳴き声のような舌打ちが漏れた。
「知ってるけど」
「おまえの運命が決まったよ。やはりおまえにはいつか死んでもらわねばならない」
「どうだろう。たぶん死なないと思うよ」
チホは自分の肩の高さから睨んでくる碧い瞳を睨み返した。
「わたしたち吸血者じゃん。悪いけど」
(つづく)
その2
その3
その4
その5
その6
その7
その8
その9
その10
その11 最終回
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