ひとつびき

庭を通し 風土を見つめ 人に学び 五感を研ぎ澄ませ 何でもないことに気付くため、歩き続ける。明日は何が見えるのか・・・・・ 【植木屋50歳】

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庭を通し 風土を見つめ 人に学び 五感を研ぎ澄ませ 何でもないことに気付くため、歩き続ける。明日は何が見えるのか・・・・・ 【植木屋50歳】

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    作庭意

    庭は 目で見るものではない 目をつむり 息を落ち着かせると 静かな色が見えてくる 私はそれらの 小さな声と向き合い 表しているだけである

      • 作庭私論 「旅の中」 ⑦

        すべてひっくり返された 安諸親方の下での修業が始まりました。 しかしそれは今まで習ってきたことをすべてひっくり返されたような気分でした。 とにかくとんでもない親方で、庭のことしか頭になく、他のことはメチャクチャなのです。 でも親方には、本当にたくさんのことを学びました。 職人としてはもちろん、四ツ目垣の立子一本を山に取りに行くことから、屋根の葺き方までさまざまです。 しかし一番大事だと思うことはそれではなくて、とにかく良くいわれたことは、 「底力のある仕事をしろ

        • 作庭私論 「旅の中」 ⑥

          直感的に湧き上がってきた感情 ヘンテコおばさんから4年前、今から11年前のことです。 梅雨終いの豪雨を別府の鉄輪温泉で宿っていました。 どうにもこうにもならないということで、2度目の屋久島を目指すことにしました。 屋久島は梅雨が明けていました。 意外とカラッとしていて風が爽やかです。 トカラ列島も夏空の中、気持ち良さそうです。 ある沢を登っていた時です。 ヤマモモの木陰の下、大きな白い花崗岩の上で昼寝でもしようと横になったとき、一生懸命に働くアリが目に入りまし

          • 作庭私論 「旅の中」 ⑤

            九円の因縁 今から七年前にお世話になったときです。 金が無くなり野宿の旅となり、福山へたどり着いたとき、持金はたったの九円でした。そのときは一日三食の飯が食べられ、心底ありがたい気持ちとなりました。   この九円には因縁のようなものを感じます。ここに着く一ヶ月半ほど前だったでしょうか。愛媛の宇和島から西海町へ向かって歩いているときです。 長い登り坂の途中、後から自転車が近づいてきて、 「お遍路さんお遍路さん……、失礼しました和尚さん。」 見るからにヘンテコなおばさんです

            作庭私論 「旅の中」 ④

            情熱の塊 「おったおったあ、早よう棒もって来い。」 朝メシ前から裏の田んぼの畔で叫んでるのは、広島県福山市の清山園の親方です。 「おう、赤じゃ。」 それはマムシです。 顔中くしゃくしゃにして笑う姿はまるでガキ大将そのものです。ゲテモノ好きの親父さん、それを焼酎に漬けて飲むのです。 作業小屋の中には、セットウやコヤスケ、コンプレッサーにフイゴなどの硬派な庭の道具に混じって並んでいるのが、マムシのはいったペットボトル。 その中に水が少し入っていて、彼らはそこで二週間ほど水浴び

            作庭私論 「旅の中」 ③

            これは2008年・平成20年9月1日発行 庭 No.183 建築資料出版社で取り上げて頂き、作庭私論のコーナーで書き留めた、自論というよりも自身を組み上げてきた成り立ちのようなものを書き綴ったものです。 それをnoteに分割して引用します。一部固有名詞など隠す場合があります。 土佐のイゴッソウその数年後、私は大阪の造園会社に勤めていましたが、会社の方向性が変わったので旅に出ることにしました。九月半ばの夕暮れどき、大阪の南港に立った私は、大きなナップザックに刈込みバサミを結び

            作庭私論 「旅の中」 ②

             ハガネのような世界 高校。ほとんどの生徒が当然のように進学を志望する何の特色もない、ごく普通の高校でした。 私はなんとなく職人がいいと思っていました。そして1年のとき先生に大工になるにはどうしたらいいかたずねました。 先生は、大工になるにも大学に行ったほうがいいと言われました。 大学と聞いてすぐ考え直し、 「それじゃあ植木屋だ、なんだか独特で、ようすがいい」と決めました。 そして2年の時の修学旅行で奈良と京都に行き、ふてくされながら京都の町を歩いていたのですが、いつの間に

            作庭私論 「旅の中」 ①

            屋久島でのデキゴト 屋久島尾之間。 この日はまれに良く晴れ渡り、真っ青な水平線の果てにトカラ列島が望め、後ろを振り向くとモッチョム岳が空に突き上がるようにせり立っています。 濃い緑の間に民家がポツリポツリと建ち、坂道はゆるやかに曲がりくねっていて気持ちがいいです。 その坂道をヤマモモの実を食べながら登って行くと、突き当たりが尾之間温泉、地域の住民が入る風呂です。 その脇に蛇ノ口の滝に行ける登山口があります。 ガケのような坂と亜熱帯の森の始まりです。常緑照葉樹とシダ植物が鬱蒼

            旅とはなんであろうか 振り返ってみると私もいわゆる旅のようなものをしてきたようにも思う。 40リットルほどのザックに植木バサミを差し込み方々へ出かけていった。 あの時のその瞬間、旅だと感じていたかは定かでないが、 満ち溢れた好奇心と時には空腹と疲労で精神が混乱していたことは覚えている。 広辞苑で:旅:と調べてみると :住む土地を離れ、一時他の土地に行くこと: となっている。 となると、私は旅をしていたのであろう。 中学生の頃、国語の授業で『奥の細道』が出てきた。 「道祖

            亀戸という所

            朝っぱらコンビニだと言うのに何やらぼやいている人がいる レジでオヤジがごねているのだ (めんどくせぇジジイだな朝っぱらから) おかげで二つあるレジが一つ塞がってしまっている しかし、どう言うわけかこの街ではさほど不思議な光景に感じない 去り際オヤジは私に向かい 「お、どっかで祭りがあるのか。」 「無いだろ 仕事だっ!」 私は鯉口シャツに腹掛けをしているのでそう言ったのであろう 亀戸 東京都江東区亀戸 文字通り江戸の東 日本橋や神田からすれば、幾分東に離れたところに在す

            ある夏の日

            四国 讃岐の地形はとても穏やかで眺めていて心が落ち着く、瀬戸内の島並がそのまま陸に続いているようだ。 ぽっぽっ、と柔らかな山が野に浮かんで夏空に良く映えている。 しかしそれ以外の場所は険しい山が多い。 急な斜面によくもまあという段々畑が夏の日差しにじりじりと照らされていた。 縁があって立ち寄った町ですごい段々があるという話を聞いて行ってみることにした。 町からは鉄道が通って無いので歩きだ。 重いザックをずしりと背負い歩き出す、道を間違えないよう人に尋ねながら進んでいく。

            春も哀れかな

            今 まさに萌葱の時 武蔵野に浮かぶ森の梢は、まさに まさに、その時である 二月の始め、立春を過ぎると、森は すこーしずつ、水をあげてくる その梢は、少しずつ 少しずつ、日に日に、赤みをおびて太くなって行く そして 今 全力で若葉を吹き始める どんなに寒が戻ろうが、誰もこれを止めることは出来ない 喜ぼうが 惜しもうが 春を止めることは出来ない これはこれで、なんと せつなく 哀れなことであろうか それは秋の散りゆく木の葉だけではない 二十年ほど前のこと 旅先

            庭シンポジウムに参加して

            庭の多様性と拡張する庭師の仕事 先日、季刊誌NIWAが主催するシンポジウムが開催され参加してきた。 私が参加したのは第2部トークセッションで、大阪で活躍する同業者と、この春この道2年目をむかえる見習いの若い子たち数名で庭の仕事の魅力と後継者問題について話し合って来た。 このシンポジウムにはあるきっかけがある。 NIWA the rookies meeting と言うキャッチコピーを元に私達は庭の仕事を広げたり、雇用促進の活動をしているのだが、私達職人は今までこの様な活

            庭に手を入れる

            海を見渡す、陽だまりが心地の良い庭だ。 とある物件のオーナーが代わり、より良い庭空間にすると言う新規の仕事依頼だ。 そしてそこは昭和期に、建築含め某有名建築家が設計していると言うことで、オーナー関係者は著しい変化を求めてはいない。 それでは『より良い』とは何をすれば良いかということになる。 一言で表せば、『その場に合わせる』と言う事になる。 今まで、この庭は一般的な維持管理をされて来たと感じた。 庭は本来、維持管理をするのではなく、保護育成をするべきなのである。 我々

            巣立ちゆく 二十歳編

            1992年 平成4年夏 造園組合訓練校、課題作文「この職業に着いた理由」だったと思う。 一歩、一歩確実に前へ進む  京都の道を歩いていた。高二の修学旅行だった。かったるかった。その時あたりを見ると、自分の住んでる街並みとはぜんぜんちがう。そしてどこか寺に入った。庭があった。自分は今までとは別の世界にきたようだった。  自分は「ガキ」のころから自然が好きであった。いつも学校から帰ると、裏山にでかけて行った。年中行っていた。毎日同じことをしているようでいて、でも違っているのだ

            続 巣立ちゆく

            「胴上げだぁー」 次の瞬間、私は宙に待っていた。 駅前の繁華街、大勢の同級生に囲まれている。無重力とはこんな感じなのかなあ。なんて、興奮しながらも上の空で幸せと力強き何かを感じていた。 1991年3月25日の夜ことである。 当時とすれば桜の開花は、まだ十日以上先であろう。しかし私は今その時、満開の桜に包まれている。 翌日朝、私は駅のホームにいる。 そう、今から修業先の京都に向かうのです。 同級生たちが数名見送りに来てくれている。 ありがたく景色の残像に残っているが、意識は完