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作庭私論 「旅の中」 ⑦

これは2008年・平成20年9月1日発行 庭 No.183 建築資料出版社で取り上げて頂き、作庭私論のコーナーで書き留めた、自論というよりも自身を組み上げてきた成り立ちのようなものを書き綴ったものです。
それをnoteに分割して引用します。一部固有名詞など隠す場合があります。

すべてひっくり返された

安諸親方の下での修業が始まりました。

しかしそれは今まで習ってきたことをすべてひっくり返されたような気分でした。

とにかくとんでもない親方で、庭のことしか頭になく、他のことはメチャクチャなのです。

でも親方には、本当にたくさんのことを学びました。

職人としてはもちろん、四ツ目垣の立子一本を山に取りに行くことから、屋根の葺き方までさまざまです。

しかし一番大事だと思うことはそれではなくて、とにかく良くいわれたことは、

「底力のある仕事をしろ」
「フィロソフィーを持たなきゃだめなんだ」
「結界がわからないと庭はつくれない」

今思うと、これは植木屋ではなく、庭師の修業だったのかもしれません。

しかし当時はそんなことより、安諸親方の技の幅広さから、その一つ一つを覚えられることが楽しく、庭師の修業をしている気はありませんでした。


もちろん今は技をどんどん身につけていかなくてはならない歳だと思っています。

しかし私は腕の良い職人を目指しているわけじゃなくて、まともな植木屋になりたいです。

植木屋なので木に触れないと始まりませんが、これだけでも私は何もわかっていません。

みっともないほどです。

そして何といっても庭づくりです。

植木屋として庭をつくる、それは木を多く使うとか、植木屋という呼び名にこだわるという意味ではなくて、現場の庭づくりです。

机の上や、デザイン、アートではなくて、現場のニオイで庭をつくっていけたらと思っています。

ジャズのライブを見に行ったときです。

私は音楽を聞きませんのでよくわかりませんが、彼らは瞬間瞬間で音をつくり出し、どんどん膨れ上がらせているように聞こえたのです。

楽しそうに現場をこなし、個性と個性が反発し合うことなく、ひろい合って広がっていく。

元の曲を知りませんのでわかりませんが、たぶんそうだと思います。

これは録音では出せないライブ、現場だからできるのでしょう。

こんなふうに庭がつくれるようになりたいとそのとき、強く思いました。

やはり職人なので、早くキレイに収め、競い合うのはもちろん重要ですが、

それだけなく、ひろい合って膨れ上がっていけたらどんないか楽しいでしょう。

もっといろんなことを知り、たくさんの技を身につけ、スッスッと出していけるようになりたいです。


旅をしていると、あるとき金が無くなります。

そうすると歩かなければなりません。

宿にも泊まれず野宿となります。慣れていない頃は、いきなり夜がきます。

そうするとその場で寝ることになります。

それはあまりにも不安です。なんせ何もないのですから。


そのうち慣れてくると、日が傾き始める頃に寝床を探し始めます。

夜露がしのげ、水があり、気分がよいところというのは意外と大切で、キレイとかキタナイではなくて、子供っぽくいうとお化けが出ないようなところです。

特別に霊感があるわけではありませんが、何となく明るい感じのするところです。

そういうところで野宿となるのですが、そうすると一夜ですが棲家になり、そこには小さな生活ができます。

ナップザックを枕元に置き、手燭をその少し離れたところに置き、護身用にハサミやノコギリをすぐ手の届くところにすえ置くとやっと少し安心できるようになってきました。

気がつくと私にとってそれは小さな庭でした。

その小さな庭の中で、いつの日か本物をつくってやると思い、私は今日も歩き続けているのです。

 完


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