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作庭私論 「旅の中」 ⑤

これは2008年・平成20年9月1日発行 庭 No.183 建築資料出版社で取り上げて頂き、作庭私論のコーナーで書き留めた、自論というよりも自身を組み上げてきた成り立ちのようなものを書き綴ったものです。
それをnoteに分割して引用します。一部固有名詞など隠す場合があります。

九円の因縁

今から七年前にお世話になったときです。

金が無くなり野宿の旅となり、福山へたどり着いたとき、持金はたったの九円でした。そのときは一日三食の飯が食べられ、心底ありがたい気持ちとなりました。
 
この九円には因縁のようなものを感じます。ここに着く一ヶ月半ほど前だったでしょうか。愛媛の宇和島から西海町へ向かって歩いているときです。

長い登り坂の途中、後から自転車が近づいてきて、
「お遍路さんお遍路さん……、失礼しました和尚さん。」
見るからにヘンテコなおばさんです。
「え〜、オレはお遍路さんじゃないし、和尚さんなんてとんでもないですよ、植木屋ですよ。」
「和尚さん、さっきそこでお遍路さんがね……。」

まったく聞いていません。

「だからオレは和尚さんじゃなくてえ……。」
「和尚さん、うちの犬がね、車にはねられて死んだんですよ。かわいそうでどうしたら良いか。」
「えっいつですか。」
「今日ですよ朝、私の目の前で、どうやって供養したらいいんですか。」
「供養って、だからオレは和尚さんじゃないんです。」

「本当に悲しくって……。」

 人の話をまったく聞いてくれないので仕方なく、
「そういう心が大切なのです。それで良いのです。」
 なんていってしまいました。

そうしたら「ありがとうございます」と拝まれてしまい、何やらゴソゴソと入ったビニール袋をくれ、それから財布を取り出し「やめて下さい」といったのですが、ジャラジャラと出したのが九円でした。

福山へ必死にたどり着いたとき、もしかしてヘンテコおばさんは、私に一番大切なことを教えてくれたんじゃないかと、ふとそう思いました。

つづく



次回『旅の中』⑥は、直感的に湧き上がってきた感情


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