作庭私論 「旅の中」 ⑤
九円の因縁
今から七年前にお世話になったときです。
金が無くなり野宿の旅となり、福山へたどり着いたとき、持金はたったの九円でした。そのときは一日三食の飯が食べられ、心底ありがたい気持ちとなりました。
この九円には因縁のようなものを感じます。ここに着く一ヶ月半ほど前だったでしょうか。愛媛の宇和島から西海町へ向かって歩いているときです。
長い登り坂の途中、後から自転車が近づいてきて、
「お遍路さんお遍路さん……、失礼しました和尚さん。」
見るからにヘンテコなおばさんです。
「え〜、オレはお遍路さんじゃないし、和尚さんなんてとんでもないですよ、植木屋ですよ。」
「和尚さん、さっきそこでお遍路さんがね……。」
まったく聞いていません。
「だからオレは和尚さんじゃなくてえ……。」
「和尚さん、うちの犬がね、車にはねられて死んだんですよ。かわいそうでどうしたら良いか。」
「えっいつですか。」
「今日ですよ朝、私の目の前で、どうやって供養したらいいんですか。」
「供養って、だからオレは和尚さんじゃないんです。」
「本当に悲しくって……。」
人の話をまったく聞いてくれないので仕方なく、
「そういう心が大切なのです。それで良いのです。」
なんていってしまいました。
そうしたら「ありがとうございます」と拝まれてしまい、何やらゴソゴソと入ったビニール袋をくれ、それから財布を取り出し「やめて下さい」といったのですが、ジャラジャラと出したのが九円でした。
福山へ必死にたどり着いたとき、もしかしてヘンテコおばさんは、私に一番大切なことを教えてくれたんじゃないかと、ふとそう思いました。
つづく
次回『旅の中』⑥は、直感的に湧き上がってきた感情
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