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旅とはなんであろうか

振り返ってみると私もいわゆる旅のようなものをしてきたようにも思う。
40リットルほどのザックに植木バサミを差し込み方々へ出かけていった。
あの時のその瞬間、旅だと感じていたかは定かでないが、
満ち溢れた好奇心と時には空腹と疲労で精神が混乱していたことは覚えている。

広辞苑で:旅:と調べてみると
:住む土地を離れ、一時他の土地に行くこと:
となっている。
となると、私は旅をしていたのであろう。

中学生の頃、国語の授業で『奥の細道』が出てきた。
「道祖神の招きにあいて とるもの手につかず」
この一説に出会い、中学生の私は松尾芭蕉はどんな気持ちなんだろうかと、心ときめいたのを覚えている。

松尾芭蕉は何が見たくて心を狂わせたのかは実際わからないが、
私は庭と言うものにとても興味がある。
特に日本の庭だ。
この庭の世界に足を入れて30年が過ぎた。
この道一筋30年と言えばいくらか時間が経ったと言えるかもしれないが、
不思議なことに、全く過ぎていないのである。
今もって庭が解らず、興味は広がる一方で、10代の頃庭に出会ったその時のままなのだ。

だから私は庭に出会いたく足が進んでいくのかもしれない。
掻い摘んだ詳しい理由はない。

庭というものは全く解らないが、庭に向かっている事で少しだけ気がついたことがある。
それは、人との接し方だ。
あらゆる場面で、沢山の教えや失敗に出会うことで、とても大切な経験を積ませてもらっている事に気がついてきた。

これは旅の産物なのであろうか。

私は家を離れる折スケジュールのようなものは立てない。
行く先の縁にしたがうことが多い。
良い出会いと言うものは計画して表れるものでは無いと感じている。
良い出会いとは、歩き方により表れてくれるものであろう。

と言うよりもほとんど運まかせかもしれない。
そうだ。
運により出会えたものに何を感じるかの方が問題かもしれない。
きっと行く先は永遠に分からないのであろう。
しかし、昨日とは違う今を生きていることは間違えがない。

日常を無常と感じた瞬間に旅は始まっているのかもしれない。


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