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茅葺

ちょっとひにくな話があるようだ

庭と屋根

庭というものは建物があって初めて成り立つ。またその逆もそうであろう。
庭という景色を感じる時に建物、四阿(アズマヤ)であったり、塀や垣根であったりその屋根が目に入るということは大切なことなのだ。

日本の建物の特徴は屋根であると感じる。
神社であっても、お寺でああっても、民家であっても。
雨の多い日本では建物を守る大きな屋根、本来 大きいということが大切である。

大きな屋根。それが日本の景色なのだ。

茅葺き屋根

屋根を葺くための素材は様々、瓦、板、杉や檜の皮、そしてススキなど茅と呼ばれる草類がある。
瓦というものは土を捏ねて型取り焼いたもので、屋根としての寿命がながく本来とても貴重で高価なものであったはずだ。
それ以外のものは植物であるので昔の暮らしの中では手に届くところにあったはずで簡素で素朴なものであったろう。

今となっては手に届くところにあるとは嘘に感じてしまうが、実際そうなのだ。
私の住んでいるところは麦畑が多かったのでその昔は麦わら屋根が多かったそうだ。

そう。そのもっとも無難であったであろう屋根の素材が茅であったのではないか。

茅葺き屋根の家といえば昔話に出てくる景色のように多くの日本人が思い浮かべられるであろう建物だ。
草屋根のその景色はなんとも優しくおおらかだ。

屋根が草である以上、雨 風で痛んでくる。
大まか三十年ほどで葺き替えが必要となるそうだ。そしてその繰り返しが人々の営みとなっていたようであった。

集落では茅場を大切に育み、茅を刈り貯め、いざ葺き替えとなれば集落総出となり作業にあたる。そして古く朽ちた茅は畑の肥やしとなって作物を実らせる。
人の営みが野山と一体となっていた、そんな日本があったと聞く。
こんな一言では言い表せないながくながく続いたこんな行いが優しくおおらかな景色を作っていたのであろう。

茅葺の家とは昔話のようだが、数少ないが今でもちゃんと残っている。

茅葺職人

今、令和の時代集落の存在とはなかなか難しいことであろが、日本中に点在する茅葺き屋根を守りする職人たちがいるようだ。
このおおらかな伝統を受け継ぐのはある種、一つの生き方として若い世代にも受け入れられているようで二十代の女性も入り込んできている。
植物を扱う彼らは私たち植木屋となんらか共感がわき、道具もほぼ似たようなものを扱っている。

そして彼らは日本中を旅しながら屋根の葺き替えに勤しんでいる。

彼らと、またそれを守ろうとする側の人がいればこの景色は続いていくのだ。

大阪万博

来年2025年に大阪万博が開かれる。
そこには大きな茅葺建築が作られる計画となっている。
建築においての茅葺の重要性が見直される大切なきっかけとなるかもしれない。

その大きな茅葺建築には当然大量な茅を必要とするため日本中の茅場から茅を集める計画が始まっているようだ。

茅というものは農作物とは違い畑でにわかに生産できるものではない。
茅場という茅野があり人が長年手を入れ繁殖しているものらしい。
野原である以上、人が手を入れなければ荒れて藪となり森となっていくであろう。
きっと元々茅場であったであろうはずのところが必要とされず姿を変えてしまったものはたくさんあるはずだ。

その巨大な茅建築で日本に点在する残された茅場は賑わうはずであろう。
安心なことである。

さて。
一般生活では知る由もないところで、茅の流れが大きくうねる。

葺き替えが迫っている民家の茅は残るのであろうか。
民家の守りをする茅葺職人たちは茅を集められるのであろうか。
間違えなく大変であろう。
映えある若き茅葺職人たち踏ん張れ。
茅のように強く育ってほしい。


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