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庭に手を入れる

海を見渡す、陽だまりが心地の良い庭だ。

とある物件のオーナーが代わり、より良い庭空間にすると言う新規の仕事依頼だ。
そしてそこは昭和期に、建築含め某有名建築家が設計していると言うことで、オーナー関係者は著しい変化を求めてはいない。

それでは『より良い』とは何をすれば良いかということになる。

一言で表せば、『その場に合わせる』と言う事になる。

今まで、この庭は一般的な維持管理をされて来たと感じた。
庭は本来、維持管理をするのではなく、保護育成をするべきなのである。
我々の言葉では『守り』と言い、違った方向に進んで行かないように手を入れて行くのだ。
庭とは、決して自然ではない。庭は人工な場であり、その人工な場に自然観を持ち込んでいるに過ぎない。そういう訳で、野放図であっても無雑作に押さえ込んでも、それが過ぎてしまえば例え庭の持ち主がそれが良いと感じたとしても、他人がみて「ああ、いいなぁ。」とはならないだろう。

こと、そこが客人を多く招く場であれば、その場にあわせた、風土的、文化的共感性が問われるように感じてしまう。

我々、庭に携わる職業の者は施主に変わり、彼らの要望を超えた風景を作らなければ、プロフェッショナルとして成り立ちはしないであろう。


より良く

隠すべきものを隠し、見せるべき物を引き立たせる。

ここの邸宅は、とても景色の良いところに佇んでいる。
その事を大いに生かす必要があるのだが、なかなかこれ一ツ取っても難しい。
応接間から、リビングから、庭からなど施主や客人が意識する様々な感じ方(
視線)を読み取らなくてはいけない。
たやすく作業人となって自分の視線のみで樹木を剪定していくと幅広い共感性は生まれてこない。この一方的な剪定を維持管理と呼び、私は好ましく感じていない。

更に良く
『風土』風と土。日本の地形は変化に富んでいて、雨も多い。
四季折々の風が流れ、その土地に応じた雨が降り土に染みこみ、また土を削る。
風土に合わせた手入れをすることにより、気の滞りを少しでも減らし、その場にそう景色とする。
この様なことは、説明では伝わらないことで、何が変わったのか理解しずらいことでもある。
でも、「何だか いいところですねぇ〜」と言うような場所は気の淀みが少ないはずである。

更にさらに
個のらしさを引き立てる。
落葉樹であれば、優しく美しく。
常緑樹であれば葉の繁を生かし、
大木であれば幹や根張りを引き立て、樹木の生命力を十分に感じられる様。
樹種や個性を見いだしその場にそっと合わせてあげるのです。

ですがまた、矛盾している様でややこしいが、その一つ一つに意識を注ぎ構い過ぎ個性を大切にするのではない。
そうすると、一つ一つが主張し全体で見るとバラバラになる。
個のらしさを見出し全体で一つの空間を作って行くことが大切なのです。
全体とはもちろん敷地内全てのことを指すが、しいては敷地を飛び越えた遥か彼方の事となるのです。

これが日本人の永きにわたった習慣性であって日本の美意識へと繋がっていく。
こう言った様子に導いて行くことを我々は守りと呼んでいるのです。



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