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ある夏の日


四国


讃岐の地形はとても穏やかで眺めていて心が落ち着く、瀬戸内の島並がそのまま陸に続いているようだ。
ぽっぽっ、と柔らかな山が野に浮かんで夏空に良く映えている。
しかしそれ以外の場所は険しい山が多い。
急な斜面によくもまあという段々畑が夏の日差しにじりじりと照らされていた。

縁があって立ち寄った町ですごい段々があるという話を聞いて行ってみることにした。
町からは鉄道が通って無いので歩きだ。
重いザックをずしりと背負い歩き出す、道を間違えないよう人に尋ねながら進んでいく。

都会の人は旅人を警戒して遠目でみるが、四国の人はとても親切だ。
道を尋ねると、川に沿いながら国道をしばらく行くと左に支流があり橋が架かっているそこを沿って少し細い道があるのでそこを上っていけと答えてくれた。

とにかく橋があったらそこを左にそれればいいと言うことだろう。

橋が見えると安心したが、念のため人に尋ねそしてその少し細い道を行く。
なにやら少し暗い感じが漂う山と沢をしばらく行くと雨が降ってきた。ますます陰の気に包まれる。
蒸し暑いがまだまだ行く先が長いのでポンチョをかぶる、足元は草履でビタビタだ。

途中、段々畑がちょこちょこあり農作物をのせるカゴ用のモノレールがある。
上り下りするだけで大変そうだけど、昔は全部背負って行くことを思うと便利なんだろうなあ。
それにしてもすごい。

おばあちゃんがいたので話しかけると別れ際トマトを3つ持たせてくれた。
旅をしていると食べ物のありがたみがすごく深い。日常では忘れかけてしまう思いが、たとえあめ玉一つでもとてもありがたく思う。
トマトにかぶりつきながら深い緑の中の道を行く。

しばらく雨の中をとぼとぼと行く。
道が狭く、たまに通りすぎる車がトラックだと少しこわい。
相変わらず辺りは暗い気で満ちている。
トンネルだ。暗く長いその中を車にはね飛ばされないようなるべく端を歩く。
トンネルを抜けると山が切れはじめ大きく曲がったみちを行くと穏やかに平らになってきた。
そこはずいぶんと明るい気に満ちている、今までとは全然ちがう雰囲気だ。
下波という土地らしい。
喫茶店があったのでやっと遅い昼にすることにした。

そこでいろいろと石積みの段々について聞くことが出来た。
昔そこは『ミズ二浦』と呼んだらしい、水を担って上がっていったとか。
もうここからは5キロメートルほど行けば着くというので急いでいくことにした
いつの間にか雨が上がり日が差し始めていた。

小さな漁港を脇に見て、また山の道を行く。
峠の頂きから、ちいさな浦が見えた。

わぁ。

すごい、すごいとしか言えない。

浦を巡る山の肌がが石積みで固めてある。
それは岸壁か城壁か、どちらにしても絶壁の段々畑である。


急ぎ足で峠を下った。
海沿いのわずかな平地に集落があり、そこまで行くと畑が見えないほどの段畑が競り上がっている。

人の力強さ生命力がジンジンと伝わってくる。
一番上まで行ってみたら、おじいさんが石積みを直していた。
「すごいところですね」
「すごいなんて言うもんじゃない」と叱られた。
すごい。

一番上まで登ると尾根道があり、岬の方へと伸びて行っているようだ。
尾根の両側に海を感じ、その道の脇にはダンチクと常緑照葉樹が生い茂り、傾きかけた夏の日差しにうっそうと湿気を帯びている。いかにも南国らしい。
その道は一応アスファルトが敷かれているがボロボロと朽ちている。
そして奇妙なことに道一面にフナムシが覆い尽くし、それがずっと先まで続いているのだ。
道の先は南国の緑に消えている。行くことにした。

足下のフナムシの大群はワシャワシャと道の端へと逃げていく。
要領の悪いやつが脇にそれず、私の行く先の方へ慌てながら逃げていく。
そのフナムシの道がずっと続く。もうすでに現実なのか幻なのか分からなくなってきた。

道がゆるやかに下がってきて右に曲がっていく、先が見えないが急になにやら違うけはいが感じられた。
動物かな。

あ、

ひとだ、おじいさん?おばさんか? え、ひとか?
もしかしたら山の精、良くわからなくなってきた。
でも作業をしているからたぶん人なんだろう。ダンチクを縄でくくり股の下で引きずって、その道を先の方に進んでいる。後ろ姿だから顔は見えない。

「こんにちわ」と言いながら近づいた。

返事がない。

こんどはかなり大きな声で
「こんにちわあー」
まったく気づかない。

長靴を履いていた。
なぜか長靴の中に水が入っているらしくチャポンチャポンといいながらダンチクを引きずっている。

「こんにちわぁっ」
怒鳴ってみたが、気がつかない。

南国の蒸した緑の中を水の入った長靴の音とダンチクをひきづるザザッという音だけが聞こえる。

やっぱり幻の世界へ迷い込んでしまったかもしれない。

前へ回ってみたやっと気がついたようだ。
「手伝います」と言って一緒に引きずってみたが、なんだか人の手伝いをしているように思えない。
それに何だか嫌なようだ、山の生き物に近づいているようなそんな感じがする。

道を尋ねてみたけど全く言葉が通じない、地面に字を書いてみた。
何か答えてくれたけど、若干20代の若造には山の精の言葉は分からなかった。

「ありがとうございます」といって頭を下げて引き返すことにした。
帰る道はもうフナムシが戻り始めていた。

段畑までもどるとさっき怒られたおじいさんがまだ石積みの直しをしていた。
「なんか向こうの奥にすごい人がいたんですけど、しってますか」
「あ~、あのじいさんにはかなわん、明治だからな明治はすごい、ワシは大正だ」
どうやらダンチクが道を覆わない様に刈っているらしい。
だけど明治と大正って何か違うのかな。


いや、  きっとあれは山の精だな。

私はある夏の日、山の精に出会うことが出来た








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