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「こんなふうに生きてもいいのか」という許しは本棚にあった

わたしの大好きな書き手、土門蘭さんが先日Twitterでこんなことを呟いていた。

ここ数ヶ月のわたしの読書量は(ついでに映画鑑賞量も)、今までと比にならないくらい爆増している。(といっても今までそもそも本を読んでいなかっただけなのだけれど。)そしてその中で、土門さんの言うこの感覚をものすごく体感している。

実際の生活の中でわたし自身が取る選択肢が広がっているのかは今のところ不明ではあるが、「こんなふうに生きてもいいのか」と許された感覚はわたしの中で確実に拡大していっているのがわかる。

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本を手に取るとしたら、今までのわたしは小説には目もくれず真っ直ぐにビジネス書や自己啓発本に手を伸ばしていたので、いわゆる『成功者』っぽい人の話に触れることが多かったように感じる。(それに関してはこちらの記事にも↓)

本を通して、○○するとうまくいく!〜を意識すれば人生が変わる!といった類の話に頻繁に触れていたこともあり、「人生を変えたい人」「成功したい人(色んなカテゴリーにおいて)」の話に触れ、それが世界人口の多くを占めるのだろうと、ものすごい頭でっかちな勘違いを起こしていたのである。

それが小説を読み始めたことで、180度考えを改めさせられることになったのは言うまでもない。小説の中でさまざまに描かれる登場人物たちは、本当に多種多様。そしてその十人十色のキャラクターがそれぞれがそれぞれの特徴を持った上で交わり合って重なり合って、物語をあっちへもこっちへも紡いでいく。その中に無駄なキャラクターなんて1人もいなくて、どんな人間でもその物語の世界ではものすごい存在価値を発揮する。もちろんその中に、わたしが手にとってきたビジネス本や自己啓発書を書いたり参考にするような人物もいれば、そんなものに縁もゆかりも興味もないような人間も数えきれないほど登場する。けれどその物語の世界は、それでこそ回っている。

そしてそもそも、何が成功なのか、何が「うまくいっている」と言うことなのか、その定義からして幅広く異なるのが小説なのである。

数年前のわたしにとっては仕事、働くこと、稼ぐことが全てで、「起業家」「事業主」は成功者で「会社員」「アルバイト」「ニート」は成功できていない人、のような、今となってはその時のわたしの頭をもぎ取って潰してやりたいくらいの傲慢な考えをしていたわけだけれど、その考えも、ここ数年でさまざまな人に出会ったり、わたし自身が多くないまでも自分なりに色々な体験・経験をしてきたことで多少はマイルドに変化していった。そしてその変化が、小説を読む量と比例してさらに加速していったのもあり、小説というものにわたしは頭が上がらないのだ。

(そのクソッタレなわたしが考えを改めた時の記事はこちら。

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小説じゃなくてもネットでさまざまな人の情報収集すれば同じじゃないかとも言われそうだが、それも違うらしい。

「ネットで触れたものは情報、読書から得たものは体験」ととある方が話していたのを耳にしたことがある。ああ、本当にそれだと自分の変化からもそれを感じた。

ネットに書いてある誰がしの体験の「結果」を見たり読んだりすることで、その事実を「知る」、「認識する」ということは可能だが、その誰がしと同じ「プロセス」を体験したり「感情」を自分ごとのように感じることはほぼ不可能である。

ただ、それが読書においては可能だ。「彼氏にフラれてツラい」という誰かの言葉をネットやSNSで目にするのと、小説の中で2人の関係性(周りとの関係性も含め)と、一緒にいた今までの日々を彼女の視点から感性豊かに捉え、その人物に自分自身もなりきって感情移入した時に「フラれる」のとでは、自分の心に与えるインパクトが全く異なる。そして後者の場合、読者の脳内では、自分がその人物となってその事象を「経験した」という認識になり、自分自身の「経験」として自分に刻まれるのである。得た情報は全く同じ情報でも、ネットで読んだ人と、小説で読んだ人の人生経験値には、こうして大きな差が生まれる。

特にネットの中でもSNSという場で繰り広げられているのは現実のほんの一部で、みんながみんな「素敵だな」と思う瞬間が集まっているような輝かしく煌びやかな場であるがゆえ、「こんな部分は人に見せたくない」「見られるのは恥ずかしい」「これは自分の悪い部分だ」と思うような部分を、こんな公の場に晒すなんてことをする人はそうそういない。

しかし、それが小説の中では日常茶飯事だ。むしろそこから話は始まるといっても過言ではないほどに。「こんなふうに生きてもいいんだ」と許される感覚は、同時に、「こんなふうに感じてしまう、思ってしまう自分もいていいんだ。間違ってないんだ。」という心の安心にも導いてくれる。輝かしい世界だけではなく、人には隠したくなるような影の世界をも鮮明に描き、そこで生きる人々に焦点を当て浮き立たせてくれる小説に触れることで、そこにいる人物たちに共感し、自分自身がその影の世界線を生きることがあるという事実も悲観的に捉えることなく、「こんな自分がいてもいいんだ」と受け入れられるようになるのである。

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小説を読む習慣は、確実にわたしの価値観から生き方まで大きく変えてくれたと断言できる。現実世界では一生かけても経験できないような(喜んで経験したいというものから出来るなら経験したくないというものまでの)さまざまな経験を、本というものを通すことで「自分自身の」体験として経験することができる。そして千差万別の人の人生を生きることでたくさんの人の立場に立つことができて、どんなことにも心穏やかに広い心で受け入れられる自分になっていきたいと、改めて思う。

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