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趣味が変わったら競争社会から抜け出せちゃった話

もう12日が過ぎていた。2023年もマイペースなスタートになったな。

といっても、昨年の年末から昨日まで出張で東京にいたので、実質私にとっては今日が元旦みたいなもんだ。あけましておめでとう。

年初めに書く一発目のnoteなんだからと気を張ってみたものの、気を張れば張るほど書けなくなるので、結局いつも通りのゆるい感じでこうして書いていくことになっている。

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私は、昨年も一昨年前も、年に何度も(しかもまあまあ長期で)東京へ出張へ行っているのだけれど、今回の年末年始の出張は今まで1番心身ともに楽であったように感じた、という話を今日はしてみようと思う。

結構いろんな刺激に弱い私は、都会へ行くと瞬時にやられる。人の多さにやられ、情報の多さにやられ、音の大きさにやられ、色の派手さにやられる。(ちなみに住んでいるのは沖縄北部の虫と牛とヤギの声しか聞こえないとっても静かな村)

通り過ぎる全ての人の念を吸い取ってるじゃないかと思える程、都会にいるだけで文字通り死にそうになる。今までは出張で東京に出る度に、できるだけ電車に乗らないようにしたり、近所の公園や川辺といった自然に助けを求めるかのように足を運び、できるだけイヤホンで周りの音を遮り、キツイ香水を打ち消すかのようにアロマオイルを鼻の中に塗り込んで過ごしているのが常だった。(そこまでしてでも仕事をしに行きたかった私を何だか今では誇らしく思うくらい。あ、ちなみに仕事中は交感神経フルマックスで稼働してるから逆にそう見えないくらい元気になってしまうのも問題)

そんな私が、今回の出張は死にそうになることなく、ストレスもほぼ溜めることなく、体調も壊すことなく(お正月の食べ過ぎでお腹を壊すことはあったけど)、沖縄にこうして帰ってこれた。今までの私からしたら奇跡でしかない。自分でもなぜなのか考えてみたけれど、大きく何かを変えたわけではない。

唯一変わったことといえば、沖縄に行く前から少しずつ変わってきていた私自身の心持ちと、それに伴うちょっとした行動の工夫くらいだ。ちょっとそれらを振り返ってみようと思う。

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心持ちというのが合ってるのかはわからないけれど、昨年の年末にかけて、私は一切の「競争」や「成長」「変化」の精神を手放していた。全てを同じ意識として一括りにしていいのかはなんとも言えないけれど、今までは、街ですれ違うたくさんの人たちを見て、「人がこれだけ頑張ってるんだから私ももっと頑張らなきゃ!」とか、「せっかくお金かけて時間かけて出張に来てるんだからちゃんと稼ぎを作って帰らなきゃ!」「できるだけたくさんの人に会っていかなきゃ!」「たくさんインプットしていかなきゃ!」とか、何かにつけて人より勝らないと、はたまた過去の自分くらいは超えていかないと!、とものすごい成長意識を無意識のうちに持っていたように感じる。ただ今回はそれが、一切なかった。

その変化を私にもたらしたのは、ここ最近の私の興味関心が大きく変わってきたことに理由があるように思う。

ひとつは、私が昨年からアートや芸術に興味を持つようになったこと。自分自身でも絵を描くようになったのもあるけれど、今まではどちらかというと自己啓発やビジネスなどに集中していた私の興味関心というエネルギーが、ほぼ全てアートに注がれるようになった。「稼ぐこと」や「自己成長」を必要とするビジネスから、少し言葉は偏りがあるかもしれないけれど「なんでもあり」、表現はどこまでも「自由」とするアートが私の主となる価値観になったのは、とても大きい。

そしてもうひとつ、「小説」を読むことが楽しくなったことも理由の一つのようだ。一見、都会でのストレスとは何も関係なさそうに見える習慣だけれど、これが意外と大きい。特に出張中だと荷物が重くなるのは避けたかったので今まで本を持ち歩くことはなかったのが、今回はたくさん本を読んだ。その中でも、「小説」を1番手に取っていた。

どちらかというとビジネス本や自己啓発本を読んできていた私が小説を読むようになったことで、さまざまなストーリーの中で、本当にさまざまな表現や感情に触れることができるようになった。(自己啓発やビジネス本は、どちらかというとプロセスより結果、まとめのような表現が多い一方、小説は結果云々ではなく、ストーリーとしてプロセスを描き、結論どう感じるかは読者に委ねられているように感じるものが多い。)そして結果、どんな事象も良い悪いのジャッジすることなく、ストーリーとして、生き方のひとつとして、いち人間の価値観として、全てのものが必須であり必然、そしてそれぞれが素晴らしく、なんて美しいのだろうと自然に思えるようになった私がいたのが、驚きだった。

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これらの興味関心が大きく変わっていたことで、私の中の物事をみるフィルターというか、存在するスタンスみたいなものが無意識のうちに大きく変わっていたようだ。アートに触れ、ストーリーに触れるうちに、私の心持ちそのものが『全てが美しい』という視点になったことが今回の都会でのストレス軽減にものすごくつながっていたのである。

私の考え方がこうして変わったことによって、毎日のちょっとした行動に変化をもたらしたということも、もちろんある。移動中はスマホは開くことなく本の中の世界に没頭していたし、なんか違うなあという違和感を1ミリも無視することなくピンときた予定だけを入れ(そういう予定しか入れられないようなスケジュールに自然となっていたのも面白い)、街を歩けば大好きな光を探して写真を撮ったりして美しい瞬間探しを自然としていたり。

つまり、今までは目に入るもの全てが自分を否定する、攻撃してくる(と自分で思い込んでしまってる)ものだったけれど、今回は目に入る全てのものが私の世界をさらに美しくしてくれるもので、感動を与えてくれるものに変化していたのである。

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自分で自分が生きたい世界線を選ぶのはなんだかんだ難しい、と心の底では思っていたのかもしれない。でもその理想の現実が目の前になくても(私にとってはストレスのない社会自体は目の前にはない)目の前にある現実を、自分が見たいように見る「眼」を持つことはできる。(どんな現象も美しいと見ることができる眼になった)

そう見続けた先にはきっと、自分の眼で今見ている世界が拡大していくだけだし、いつの間にかそこには理想の世界線で生きている自分が当たり前のようにいる世界に、きっとなっているんだと思う。

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