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物語の中を生きることは、私を生きないことじゃない。

読書というものに、実は長い間手を出せずにいた。

私は読書が人並みには好きで、小さい頃こそそんなに本を読んだ記憶はないのだけれど、大人になってからは本に触れることが好きだった。そう、文字通り、触れることが。

つまり、本を読むことはできていない。さらっと前書き読んだり帯に書いてあることとか紹介文や要約みたいなものを読むことは多くても、ちゃんと一冊手に取って読むことができないでいた。その本の空気感に「触れて」終わり。でもそれを永遠にやってるので、本屋にはまあまあ長いこと居座るのだけれど。

そしてそれは特に「小説」に対しての私がそうなのである。エッセイとか自己啓発本とか勉強のための本とか、そういったものは一冊問題なく読める。「小説」にだけ手が出ない。そしてそれは、小説がそんなに好きじゃないとか、特に関心がないとかではなく、好きなのに手が出せない。読めないのである。

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私は小説の中に繰り広げられる「物語」の中に潜ることが、ただただ怖かった。小説を読むことが『怖い』。この思ってもいなかった感情が、読書の先にあったのである。

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小さい頃(小学校に上がってからかな)、私はものすごくゲームにハマったことがある。プレステが流行る前だったから、あれはゲームボーイだったかな。何かのゲームにものすごくハマってハマってハマって、ハマりすぎて親にものすごく怒られた記憶がある。今考えればそればそうなのだけれど、ハマりすぎて人の話が入ってこなくて、お母さんの「ご飯だよー」を無視し続けた。小さい頃の話としてはあるあるだろう。母としてはもちろん取り上げるしかない。またはゲームをするならご飯は一切あげない。そんなことを言われ、大好きだったゲームをそこから電源を入れることもなく、一切断ち切った記憶がある。だって少しでも手を出すと、また同じことを繰り返してしまう自分がいるのがわかっていたから。

何かにハマると誰かに迷惑をかける、怒られる。何かにハマるとご飯を取り上げられる。何かにハマると沼りすぎてその世界から抜けられなくなる。そんなことが、小さな私の恐怖になっていった。

そうなるとこれはゲームだけの話じゃなくなってくる。マンガ、ドラマ、映画、アイドル。ストーリーがある、物語があって、私のこの人生とは別に存在する「誰かが生きている世界」を覗き込むこと、それが怖くなっていた。もちろん友人と会話ができるくらいに漫画読んだり、ドラマをキャッチアップしたりとかはしてきたけど、またあの時のように、どっぷりその世界に浸るということを自分から避けてきていた。(避けきれずにハマってしまったものもあったけれど笑)

HSPやエンパスの気質もあるので、映画一本でもハマってしまうと、見終わった後にその世界から抜け出せなくなることも多々。昔夫とのデートで、結構ダークな映画を映画館で観た後、本当に本当に抜けられなくなり小一時間椅子に座ったまま一言も喋れなくなったことも一つの思い出。これは後味がいい悪いは関係なく、その世界の感情をそのまま自分自身にコピーしてしまい、私の世界に戻ってくるまでが、結構大変なのだ。

そしてもう一つ。これは大人になって自分でビジネスをするようになってからだろうか。「お金になること以外やるな」という無言の自分への圧が、本へ向かう手を止めていたこともあった。エッセイや自己啓発本、学びのための本であれば、そこからの学びをスピーディに実行しやすいし、結果にも繋がりやすい。でも小説は、明確なそれがないと思っていたため、読むことが時間の無駄だと思っていた。

そしてこれはどこで誰に言われたのか、はたまた自分で勝手に思ったのかは覚えていないけれど、

『本の中の誰かの人生覗いてる暇あるなら、今の自分の人生をもっと一生懸命生きなよ。』

という言葉が頭から離れない。きっとどこかの誰かに言われた言葉なような気はしているけれど、物語の中に潜っている時間は、私は私自身の人生を二の次にして、今の自分の人生から逃げているんだ、そう解釈したのを覚えている。

そこから、「小説を読むこと」にに対して、「逃げ」「意味のないこと」というレッテルを貼ってしまうことになる。

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そうして私の、本の触りだけにちょっとだけ触れるという習慣が始まったのだ。物語に潜らなくてよくて、感情移入しなくてよくて、でもなんとなく内容はわかる、といった自分のちょうどいい塩梅のところで止めていたのである。

もちろん読書がもたらす素晴らしい効果や、小説を読むことのメリットなども、研究もたくさん出ているし、頭ではすごくすごく理解している。(わざわざ調べたりもしたくらい)全く無駄になんかならないこともわかっている。でも人の感情が動く体験というのは何よりも強くて、体が、心が、一度『怖い』と感じたことは、どれだけ頭で理解したところで怖いのだろう。

でも最近は、それを上回るくらい「読みたい」という欲が上回ってきている自分も同時にいる。しかも、たとえば「〜をするといい」みたいなことを自己啓発本とかで読んだとしてもそれは頭・思考での理解程度であって私の中に刻まれることはない。一方で、小説の中でそのメッセージ性を持つ場面があると、私はその物語の中でそれを実際に体験し、自分自身の感情を動かしながら学んでいることになる。そして結果、経験として私自身が何かにハマるのが怖くなったように、実際に私の感情を動かして体験している学びは、大きく私自身の行動に現れることになる。

つまりは、学びのためのエッセイや自己啓発本から学ぶ何個ものメッセージより、小説から学ぶ1つのメッセージの方が実際の人生への影響は大きく、そして行動までも変えるので、結果自分にとっては価値のあるものになるという見方もできるのだ。

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やっぱり、読みたいのなら本を読もう。物語の世界に、飛び込んでみよう。

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