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お母さん、勝手に神様にしてごめんなさい。大人になるということ

大人になったな〜と思う瞬間。

ハーゲンダッツのストロベリーがすっごく美味しいことに気づいた時
(昔はシンプルなフレーバー選ぶ人なんなん?って思ってた)。
かかとの角質を取るのが気持ちいいと感じた時。



1番は、親が人間だと気づいた時だと思う。

わたしの中で、母親はずっと絶対神だった。

父親は仕事が忙しくてめったに家にいなかったし、
あまり話したこともなかった。

母親に認められるために勉強し、ピアノを1日も欠かさず練習した。
褒めてくれなくていいから、生きてていいよと言ってほしかったから。

そう、わたしは母親から褒められた記憶がない。

テストで100点を取っても、学年1位になっても、
男の子に喧嘩で勝っても、ムカつく先生を言い負かして泣かしても、
ピアノのコンクールで賞を取っても、
駅前で困っているおばあちゃんを助けても、

褒められることはない。
わたしは必死だった。

学校で会った話をいかに面白く話すかに命をかけていた。
夕方のワイドショーやドラマの再放送よりも、
母がわたしの話を楽しそうに聞いてくれた時は
寝る前に何度もそのリアクションを頭の中で反芻した。
話を盛り上げるために嘘もついた。

周りと比べたらだいぶ遅いであろう、
反抗期がわたしにもあった。

高校生になってから、
自分は一般的な人よりも勉強ができる人間だと分かった。

これなら母親に勝てるかもしれないと思った。

少しずつ、わたしに怒鳴り散らす母に、口ごたえをするようになった。

母は驚いていたように思う。
なにも言わずに泣いていた子どもが急に喋りだしたから。
母はわたしのことをよく、「ずっと3歳のときから変わらない」と言っていた。

わたしは17歳だった。

17歳の夏に、わたしは母と喧嘩をしたのち、
「この世に誰もわたしが生きていることを肯定してくれる人はいない」
と思った。

道路の真ん中に座り込み、
誰かが車で轢いてくれればいいのにと思った。

父が慌てた様子で家から出てきて、
道路の真ん中から家までわたしを引きずっていった。

父と母が喧嘩になり、
母は「私の味方はこの世に誰もいない」と泣いた。

あれ?

と思った。

母とわたしは同じ理由で泣いていた。

顔を上げると、わたしに向かってなにかを投げつける母の姿が見えた。

次に見えたのは床にできた血だまりだった。

わたしの顔から流れている血だった。

目が今までに感じたことないくらい熱くて、
視界が赤くなっていった。


どんどん大きくなっていく血だまりと、
慌てる母の顔を交互に見て思った。

あ、母もわたしと同じ人間なんだ

そんな当たり前のこと、と思うけど
その瞬間まで、母は完全なる神だったから。

人間なのに、今まで神棚においやってごめんなさい。
ごめんなさい。と謝ったら、
母もごめんなさい、ごめんなさい。とわたしに言った。

紛れもなく、人間同士の会話だと思った。

嬉しかった。


今では母とは友だちのように仲がいい。
いっしょに映画を見に行ったり、
おすすめのNetflixを紹介しあったり、
なんでも話せる関係になった。

親を人間だと思えるようになったら、
少し大人になれたってことなのかな、
と思っている。

皆さんはどんなタイミングで親を人間だと知りましたか。



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