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受け身で学ぶ。自ら進んで学ぶ。
色んな方法がありますよね!

人間は千差万別、という前提に立てば
学び方もまた千差万別で、
強制的にでも学んだほうが良いケースもあれば
能動的が良いケースもある…と思われます。

一方だけには決められない。

受け身で学ぶから、100%良い/悪い。
能動的に学ぶから、100%良い/悪い。

それは極論、言い過ぎ。
実際には両方ある。混ざっている。
ただ、そのどちらか「だけ」が脚光を浴び、
振り子のように行ったり来たりするから
「ブーム」が起こったり去ったりする。

それは個々の学習者によっても言えます。
それぞれの個性により
受動がハマる人もいれば、能動がハマる人も。

またジャンルによって
「創意工夫」「探究」寄りの分野もあれば
「温故知新」「模倣」寄りの分野もある。

基礎か応用か、という段階もある。

…と、ごちゃ混ぜにしておいてから、
教育思想の歴史あれこれをつまみ食いして
紹介してみよう…
というのが本記事の趣旨。

ぜひ、読者の皆様もご自身の経験や
皆様の子どもへの教育などの経験に即して
お読みいただけましたら幸いです。

古い言葉から行きます。

「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、
思ひて学ばざれば即ち殆(あやふ)し」。

超訳しますと、
「誰かの真似ばっかりしてると暗くなる。
自分勝手の主観ばっかりだと危なっかしい」。

孔子がストレートに喝破した言葉です。

どっちもメリデメがある。
両方やれ。学ぶのも、思うのも…。

これを踏まえて、明治以降の日本の
教育について考えます。

明治維新で「近代化」路線を進んだ日本は、
「真似る」ことを第一にしました。
何を? 欧米の近代的な思想、技術を、です。

「真似る」は「学ぶ」とも言いますが、
「思う」よりも「学ぶ」一辺倒。
上っ面、皮相上滑りでもいい。
欧米は凄い。
いったん全部取り込んでしまえ!と。

ガンガン若い俊英を留学させて学ばせる。
欧米から即戦力の技術者や教育者を招く。
「明治の文豪」森鷗外や夏目漱石も
政府に留学を命じられています。
(鷗外は医学、漱石は英語学についてで、
文学について、という訳ではありません)

その思想は、初等・中等教育にも及ぶ。

漱石が「文豪夏目漱石」になる前に
松山や熊本などで英語教師を
していたことは有名ですが
(松山は「坊ちゃん」のモチーフになった)

上がそうなら下もそれにならえ、で
とにかく「直輸入」「真似る」
イコール「学ぶ」だった
のです。
自由に「思う」余地はあまりなかった。
必死に欧米を真似た。
鹿鳴館のダンスはその象徴。

そもそも、明治新政府が
全国一律の学校制度を整えて
方言よりも「国語」などを教えていったのも、
「国民国家」「富国強兵」を実現するため。

学ぶ内容は国が決める。学習者じゃない。
創意工夫より「学ぶ」の知識。受動的に。
それがスタンダードだった。

ゆえに、自らの苦悩から「思い」、
その枠をはみ出していった漱石
は、
帝国大学の講師を自ら辞して
新聞社お抱えの専属作家になります。

…しかしこの頃、世界では
一石を投じるような教育思想が生まれた。

「モンテッソーリ教育」です。

1870年に生まれ1952年に亡くなった
マリア・モンテッソーリの教育法。
1868年が明治元年なので、
日本の明治時代~昭和時代初期の人。
ちなみに夏目漱石は
1867年生まれなので同年代です。

イタリアのローマの人で、
1896年に女性で
イタリア初の医学博士号取得。

しかし、当時のイタリアは男性優位、
女性はまだ自由に動けなかった。
モンテッソーリはローマ大学付属の
精神病院にようやく職を得ました。

そこで、彼女は知的障害のある幼児が
床に落ちたパンくずで
遊んでいる姿を目に留めます。

「…彼たち、彼女たちに、
指先で動かすような玩具を与え、
感覚に刺激を与えていけば、
知能の向上が見られるのではないか?」

彼女はその仮説の下、教育法を開発する。
これがモンテッソーリ教育法
彼女が知能テストを受けさせてみると
当時の健常の子どもの知能を
上回るような結果が得られたそうです。

ものすごい衝撃がイタリアを駆け巡る!
何だ、この教育法は!

…それをアメリカでアレンジして
実践していったのが、
1887年生まれのヘレン・パーカースト。
1919年頃から、彼女は
「ドルトン・プラン」という
教育プログラムを提唱します。

このプランが、大正時代の日本に伝わる。

「大正自由教育運動」が起こります。
「教師が上から『教え込む』のではなく
学習者自身の良さを引き出す教育」。
受動的ではなく能動的に学ばせた。
明治時代の教育の反動ですね。
大正デモクラシーの時代ですから。

その流れに乗った教育機関の一つが
「トモエ学園」でした。

黒柳徹子さんのベストセラー、
『窓ぎわのトットちゃん』で書かれた学校。
最近ではNHKの「新プロジェクトX」でも
紹介されています。

1928年、手塚岸衛が「自由教育」の下に
自由ヶ丘学園を創設。
1937年、音楽教育家の小林宗作が、
この学園の小学校と幼稚園を引き受ける形で
「トモエ学園」をつくった。

「リトミックによる創造教育」を実践。

リトミック、とは20世紀初頭に
ダルクローズという人が開発した音楽教育で、
学習者自身の内なる「リズム」を重視する。
小林宗作は欧州に二度留学しますが、
国連に勤めていた新渡戸稲造から
リトミックを紹介されたんですね。
これを、日本に取り入れる。

奔放で当意即妙、自分の「部屋」を持つ
黒柳徹子さん
には、主体性を重視した
小林先生のリトミカルなトモエ学園が
とても性に合っていたのでしょう。

自由に個性を伸長させた彼女は、
戦後の芸能界を代表する一人へと
成長していくのです。

最後にまとめましょう。

本記事では「受動と能動の教育論」
一端を書きました。

最近、学校教育で言われる
アクティブラーニングも、
学習者主体と考えれば、古くて新しい手法。

モンテッソーリ教育は、
最近では棋士の藤井聡太さん
幼少期に受けていたことから、
ブームになったりしています。

…ただ、先述したように、

「学びて思わざれば則ち罔し
思ひて学ばざれば即ち殆し」

という言葉もある
黒柳徹子さんも藤井聡太さんも決して
自分だけで「思う」だけでなく、
「学ぶ」ことも積み重ねて
素晴らしい個性を築いた
、とも言える。

明治初期の「欧米を真似る」教育、
戦中時の教育、戦後の詰め込み教育など、
受動的に学ぶことも多い学校教育…。

その「合わせ鏡」として
「学習者自身のアクティブで能動的な学び」
合わせて実践することで、
より深い学びが得られる…と思うのです。

例えば、SNSでの投稿や交流、
個々のキャリア、キャリア教育についても。

読者の皆様は、いかにして学んでいきますか?
受動的、能動的、そのバランスは?

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