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改札口は故郷があなたを迎え入れてくれる場所 〜 「駅舎」 さだまさし

地方と都市部

地方出身者の特権というものがあるならば、それは田舎があるということでしょう。

帰る場所がある。都会に根を張ったとしても、どこかに帰る場所があるという事実には揺るぎない安心感がある。

夏休みなどに帰る場所、ちょっと都会の喧騒から離れる事ができる場所。

反対に、都市部出身者の特権というものがあるならば、それは、その都市部にのみ存在するものの享受。大学、会社などは、それなりに都市部に集中していて。美術館、博物館も都市部に集中している。

何かその道での成功を目指すならば、やはり都市部の方が有利な点はあるでしょう。

この都市部と地方の違いが、戦後の集団就職から現在にいたるまで、数多くの名もないドラマを生んできた。

東京にでてきた京都の大学生の新鮮な感じ方を描いてみたり(くるり「東京」)、
KAGOSHIMAを耳をつんざくばかりの波しぶきの中に捨てたと歌う長渕剛の「いつかの少年」、
北へ帰る人の群れは誰も無口だったとは石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、
故郷へ向かう最終に乗ろうとするが迷い果たせぬ女性を描いたのが中島みゆき「ホームにて」

そして、このさだまさしの「駅舎(えき)」では、夢破れて故郷に還る女性を暖かく迎える男性の姿を描いています。

駅舎

手荷物は小さな包みだけ。彼女の存在との暗喩。夢破れた彼女は、その心も小さく小さく。気持ちは沈み、上を向いて歩こうとはいかず、うつむき加減に降りてくる。

待っているということを明確には伝えていなかったのか、彼女は彼をみてひどく驚いたような表情をする。

そこに地方訛りの駅舎のアナウンス。もうここは、慣れ親しんだ田舎であることを告げている。その瞬間、アナウンスの声の懐かしさに誘われ、ほっとしたような安堵に包まれる。

相当の決心をして故郷を後にしたであろう彼女。故郷に還る決断は、同様に相当な重い決心の元になされたのだろう。

その間のことは、今は語らなくてもいい。それが、いつか思い出になってから話せばいい。

戻ってきてくれたことそれだけが嬉しい。それだけで十分。迷い思い悩んだ日々に惑いはぐれた彼女は、時計の針を戻したかのように戻ってきた。

改札口を抜けたならもう故郷は春だから。都会でのことは語らなくても良いから。その前のことをたくさん話そう。もう、寒い凍えるような時期は終わったんだ。

改札口は、彼女が故郷を後にした場所でもあるし、故郷が彼女を迎え入れる場所でもある。

改札の外には、もう春の訪れが迫っている。

彼女の第2の人生の進展を暗示するかのような春の始まり。そこには待っている人がいた。

この曲は限りないやさしさに包まれている。


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