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映画『PLAN 75』人生100年時代を生きるつもりの私の感想(ネタバレなし)

「PLAN 75」とは、75歳から自分の生死を選択できるという架空の制度のことです。

この制度は75歳以上なら誰でも利用でき、申し込みをすると自分の最期を決めることになります。

このような制度がある日本の高齢化社会を描いたのが、映画『PLAN 75』です。

この映画を観てみたいと心引かれた理由に、親しい友人との個人的なエピソードがあります。

およそ10年前のこと。
学生時代から仲の良かった友人と飼い犬の話題になりました。

彼女の飼い犬は糖尿病を患い介護がたいへんになったとのことでした。

「かわいそうだと思ったんだけど、実は先日動物病院で安楽死させたの。
最後はごめんねありがとう、って言葉をかけながら抱きしめて、わたしの腕の中で旅立って行ったの。」

同じような小型犬を私も飼って可愛がっているので、彼女のこの告白はとてもとてもショックでした・・。

(ペットは最後まで責任もって面倒みるものでしょっ!!)

と、心の中で叫んだものの、彼女は仕事と愛犬の介護の両立がどうにも難しかったらしく苦渋の決断だったようでした。

彼女は、周りの友達にも気遣いがありやさしく私の大好きな友人のひとりです。
そんな彼女の選択を、受け入れられなくても目の前で責めることはできませんでした。

しかし、もっと驚いたのはその後の彼女の発言でした。

「人間も自分で死を選べる社会になるといいのに」

と、サラッと言葉を付け加えたのです。

そのような死生観に馴染みがなかった私は、しばらくの間彼女と距離をとってしまいました。

現在は時間も経過したこともあり昔ながらの付き合いに戻っていますが、彼女の言葉はいつまでも心に残っていました。

愛犬の死を選択をしたように、彼女自身も「自分の最期」を自分で決めたいのかな?

そしてまさに、彼女がサラッと語った世界観が『PLAN 75』で映画化されたのです。

「彼女の選択」を覗くような気持ちで、この映画を観に行きました。

映画では、高齢化が進む日常生活の中で「PLAN 75」の制度がたんたんと機能している様子が描かれています。

テレビを見ていても、役所に行っても「PLAN 75」の利用を促すアナウンスが目に入ります。

そのアナウンスに腹を立てる高齢者、しだいに「PLAN 75」を検討しだす高齢者がいます。

日本で後期高齢者といわれる人たちが、自分の環境のなかで「自分の選択」をします。

映画を観ながら、その姿をフィクションとして客観的に眺めることもできるし、自分なら・・と主観的に考えることもできます。

さて、人生100年時代を楽しむつもりのわたしはどう感じたか?

75歳オーバーになるまであと20年くらいあるからかもしれませんが、やはり実感が湧かないし、自ら死を選択できたとしても選ばないだろうと思いました。

どうして私は「PLAN 75」の制度に申し込まないのか?

もし、わたしが高齢になり「PLAN 75」を選択したとすると、その時の自分の希望は満たせると思います。

しかし、わたしがそれを選択したときには周りの人(とくに身内でなくとも若い世代の人)への影響が重くなると感じたからなのです。

映画『PLAN 75』を劇場で一緒に観ていた人は、わたしやわたしよりも年上の人が多かったです。
わたし自身も、中高年向きの映画でその世代の人たちへの問題提起なのだろうという先入観がありました。

しかし、実はそのような制度があった時に本当に傷つくのは「PLAN 75」という制度を支えることになる若い人なのかもしれないと、映画を観て気が付きました。

「自分で死を選べる社会になるといいのに」とつぶやいた彼女は、この映画観るかな?

たぶんだけど、興味がわかないような気がします。
ずっと以前の自分の発言も忘れているかも。

歳をとればとるほど、もしかして自分の選択の影響力は大きくなるのかな?

自分の背中を見ている人が増えるから。

久しぶりに劇場まで映画を観に行きましたが、昔のことを思い出したり、フィクションの未来を想像したりする機会になりました。

重いテーマですが、若い人にも見てもらいたい映画だなと感じました。
(*´ω`)


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