見出し画像

日々の暮らしにまつわるブランドをはじめます

こんにちは。
陸前高田で漁師をしている三浦尚子(みうらひさこ)です。
(主な自己紹介や仕事の話はこちらのnoteを読んでいただけたらうれしいです。)

2020年の10月に"ura"という屋号で独立開業し、生産者のひとりとしてわかめの養殖をはじめました。

画像1

そして、今年の春頃に1期目の養殖作業を終えて、8月頃からすこしずつ2期目の養殖作業の準備に入るところです。

この1年ちかく、海の仕事と並行して、uraとしてのもうひとつの事業のことをゆっくりと進めていました。
一言でいうと、暮らしにまつわるブランドを立ち上げて、商品開発をした製品を販売します。

このnoteでは、なぜ私がブランドを立ち上げて商品開発をするのか、このブランドにまつわる約1年間の道のりや心境について書いています。
最後まで読んでいただけたらうれしいです。



ライフスタイルブランド:”ura"

画像9

uraとして、暮らしにまつわるブランドをはじめます。

このブランドでは、漁業や農業、林業などの一次産業の生産者時点で出てくる生産廃棄を日用品に変化させることで、作り手や、自然と人とが寄り添った暮らしになることを目指しています。
日用品として商品開発したものたちは、”ura”というブランドとして展開していく予定です。

この商品開発に関して、ちょうど1年くらい前からすこしずつ構想がはじまりました。
そして、私自身の職業の「海」にまつわる日にこのnoteを出せてうれしい気持ちです。

まず、なぜ一次産業の生産時に出てくる廃棄を使った商品開発をはじめるのかについてですが、廃棄される食材などを別の価値として編み直して、違うものに生まれ変わらせることで自然の循環や環境を考えるきっかけをつくりたいという気持ちが、このブランドや商品開発をはじめるきっかけです。

私自身が携わっている一次産業の仕事をしていると、廃棄するもったいない部分を目にすることがあります。

「これ、捨てなくてもよさそうな気がする」「実は違うものに活用できるんじゃないか?」など、ときどきそういったことを思いました。

食にまつわる仕事をしているから食べることは基本だけど、「食べる」以外の価値を生み出せないだろうか。
いままで捨てることが「当たり前」とされていたものが、視点を変えて違う角度から考えたら新たな価値になるんじゃないか。

そういった廃棄される食材を別の価値として編み直して、普段使う日用品として生まれ変わらせることで自然の循環や環境を考えるきっかけをつくりたいなと感じました。

とはいえ、こんなに「自然」のことを言いながらも、私自身が自然の仕事をしていて第一線で自然環境の変化を感じる職業にいるのにも関わらず、現状でそこまで環境のことを配慮できていないことにモヤモヤするようになりました。

私自身ができていないからこそ、ブランドとしてできることからすこしずつ自然や環境について考えていきたい。こういった考えに共感してくださる方と一緒に考えながら、これからuraというブランドを形作っていけたらうれしい気持ちです。

uraの1番最初の製品として一緒に商品企画・製造について進めてくださるのは、東京にオフィスを、岩手に製造拠点をお持ちの株式会社ファーメンステーションさん。

お米などの穀物や果物などの未利用資源からエタノールを抽出する技術をお持ちで、余剰農作物や飲料製造の過程で排出されるバイプロダクトを原料化。それらのオリジナル原料を用いた、化粧品、雑貨、日用品の製品化を得意とするサスティナブルなものづくりをしている、素敵な会社さんです。


ブランドとしてのこと、uraで展開していく製品などの情報は、すこしずつ”ura note”で発信していけたらと考えているので、ときどきこちらの ura noteを覗きにきてもらえたらうれしいです。





はじまりの話

ブランドや商品開発のことをnoteでお伝えするまでの約1年間、私のやりたいことに関して相談を聞いてくださったり、協力してくださる方々がいてくれて、いまにいたると思っています。ほんとにありがたいことです。

ここからはブランドを立ち上げるまでの原点、約1年前がどういう感じだったのかを書いていきたいと思います。

”ura”の屋号をつけて開業する直前の、2020年の夏。
このブランドにまつわる話の原点は、学生の頃に一緒に京都の北部にある集落や伊根町に通っていた松井大くん(だいちゃん)が私の仕事のサポートをしてくれることになったことからはじまるなと、この1年をふりかえってみて感じます。

(よく私の週報やほかのnote内にときどき出てくるだいちゃんです。だいちゃんとの京都での思い出話、結婚の連絡がきたときのことを書いたnoteはこちら)

私がまだ学生だった2012年にだいちゃんと出会い、月1で一緒に京都の日ヶ谷と伊根町という地域に通ってローカル旅をしていた相棒です。

私が先に大学を卒業して岩手に来たあともときどき京都や集落に行ったり、だいちゃんが牡蠣を買ってくれたり、ときどき連絡を取っていました。
だいちゃんが京都の大学院を卒業して、就職で東京にきてからはなかなか集落に行けずですが、どこかのタイミングでだいちゃんファミリーと一緒に行けたらと感じています。

ちょうど1年前の2020年の7月頃、岩手県内に住む山羊座友達たちと一緒にオンラインイベントをしたことがきっかけで、それを観てくれていただいちゃんと久しぶりにゆっくり話すことに。

私がお話しをしたオンラインイベントを見たことで、学生の頃に京都の集落に通っていたときのことを思い出したそう。
だいちゃんは東京で働きながらローカルのなにかお手伝いができないかと考えていて、「もしよかったら、私のサポートをしてほしい」と伝えたことで、私の仕事にまつわるサポートや事業戦略を考えてくれる相棒になりました。

それから約1年間、定期的にだいちゃんとオンラインでmtgをしているのですが、私の開業前からすでに「こういうことがやりたい!」という話を相談していました。
そのひとつが商品開発。そして、すこしずつ話を進めていく中で、今回のブランドを立ち上げることになりました。

だいちゃんは都内の広告業界に身を置いていて、忙しい職種をしているのですが、お互いのスケジュールに合わせて7〜10日に1回のペースで定期的にmtgをして、私の散らかっている思考の整理、ブランドにまつわる事業を一緒に考えてくれているめちゃくちゃありがたい存在です。ものすごく助けていただいています。(私の中ではマネージャー的存在です)

東京と岩手という距離だから会えてないけど、私が不安になることだらけの中、「一緒にやりましょう」や「ひーさんが海のことに集中できるようにサポートします」と言ってくれたことがどれだけありがたいことか。

たびたび不安になってしまう私の話から思考の道筋を整えてくれて、毎回ありがたさしかありません。
いちばん最初に私と一緒に歩いてくれている相棒がだいちゃんで、ほんとによかったなとひたすら思います。だいちゃんありがとう!




やりたいことの伴走者

2020年末に、友達たちとオンラインでこれからやりたいことを話す機会がありました。

私の話をしたときに「いいですね!廃材活用に興味があります、何かあればお手伝いしますよ」と言ってくれたのが、一関を拠点にローカルプロデューサーをしている櫻井陽くん。
企業の広報や商品開発など、一関の仕事を中心に企画プロデュースの仕事をしています。

私の父は陽くんと同じ一関の摺沢出身なのですが、2年前のお盆に摺沢に墓参りに来ていた父と一緒に「摺沢水晶あんどん祭り」に行ったときに陽くんと出会いました。
その数ヶ月後、ローカルプロデュースについて学ぶ学校で再会。学校の同期として、ときどき会ってお茶をしたり、相談をしたりしてました。

ときどき商品開発にまつわる情報とかをシェアしてくれて、「なんていい人なんだ!」と思ったことを覚えています。私が嘆いたような相談をすると、電話をしてくれて話を聞いてくれることもあり、ほんとにとにかくいい人。

陽くんは助成金の申請から始まって、プロジェクトマネージャーとして、ブランドの商品開発にまつわる進行管理をしてくれています。

今年の2月末、そろそろわかめの収穫作業がはじまるけど、商品開発のための助成金申請が間に合わなそうだと感じ、陽くんに相談。
陽くんは年度末締めの仕事でかなり忙しそうだったけど、親身に聞いてくれて助成金の申請をお手伝いしてくれることに。

そして、開発にまつわる全体の進行管理もお願いしていて、伴走者として一緒に走っていただいています。

本製造納品までまだ道のりはありますが、試作品のできあがりが楽しみです。




"ura"のステートメント / キービジュアルができるまで

uraとしてのブランドを考えるにあたり、今年の4月頃から遠野でライター・ディレクターをしている宮本拓海くん、盛岡のgrams design officeでアートディレクター・グラフィックデザイナーをしている山内稜平くんのふたりに相談。

ブランドネーミングやロゴ、どういう方向性で進んでいくのか、ふたりと話をしながらすこしずつ整っていきました。

打ち合わせ前半はブランドのネーミングとロゴ制作の話をしていたのですが、元々持っている”ura”のネーミングと屋号ロゴを活かして大事にしたいという気持ちで固まり、結果的に私の屋号兼ブランドのネーミングとロゴという形に。

画像10

そして、私がこれからはじめるブランドの指針となるコピーがつきました。

「流れる水のように ゆるやかに つながりつづける」


宮本くんが考えてくれた言葉が、すごくしっくりきました。

私は私自身のことを話すことがほんとは苦手で、4月頃から何度も打ち合わせをしているにも関わらず全然話せなかったなと、ふりかえってみて思うけど。

宮本くんはひとつひとつ、丁寧に私の言葉をすくいあげてくれて、去年屋号のロゴに考えるときに私自身がどうありたいかを示した「流れる水のように生きる」という言葉を尊重してくれた、新たな言葉を考えてくれました。

また、uraというブランドがどうあってほしいのか、どういうことをし続けていきたいのかをボディコピーとして綴ってくれています。

uraとして大事にしている価値観、自然の循環をかけあわせた言葉になりました。

これからの未来も自然と人が
柔軟性と多様性を持って
ゆるやかにつながり続けられるように

自然と人との関わりから
生まれた素材の恵みに
つくり手の想いをのせて
新たな形を生み出していく

私自身、ブランドとしてどうあってほしいのかというと、すばやい一過性の関係ではなく、できればゆっくり長くお付き合いしていただけることを望んでいます。

使っていただく人の暮らしにそっと寄り添って、製品を使うことで生産者の裏側を知っていただけるものになったらなと、そう考えています。

また、去年開業するときに私の屋号ロゴを制作してくれた稜平くんは、ブランドとしての方向性の整理をしてくれて、uraのイメージに沿ったキービジュアル作成をしてくれました。

キービジュアルに使われている写真の撮影は、陸前高田を拠点に岩手県内や東京などの多拠点で活動する写真家、飯塚麻美ちゃん。
なかよしの友達で、遠野で一緒にシェアハウスをしています。

去年から今年の春にかけて、はじめての私のわかめの作業写真を継続的に撮影してくれて、今回キービジュアルの撮影をしてくれました。

宮本くんが綴ってくれた言葉、稜平くんが制作してくれたロゴ、さみちゃんが撮影してくれた写真が重なってできた今回のキービジュアル。とても素敵なものができました。

自然の循環やめぐりのイメージから、ゆるやかに弧を描いているような波打ち際の海と空、連なる山の風景です。

画像8


相談しながらお仕事をお願いしている友達たちですが、いままでの私を振り返ると、それぞれ私にとって大事な縁を感じる友達たちです。

学生の頃に毎回いろんな人たちを連れて、一緒に集落への旅をしただいちゃん。
3年前に私を広く知っていただくきっかけになった記事を書いてくれた宮本くん。
1年前の私の屋号ロゴ制作を通して、私自身の指針となる軸をつくってくれた稜平くん。
私のはじめてのわかめ作業の工程を撮影して、写真に残してくれたさみちゃん。
父の故郷の地域が同じで、はじめての商品開発を伴走してくれている陽くん。

文字にしてみるとさらっとしちゃうけど、みんなからすごく大事なものをたくさんいただいています。

みんな、本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。




最後に

画像8

私はどこまでも人に恵まれていて、たくさんの人たちに生かしていただいています。
去年わかめの養殖をはじめるときも同じことを感じたのですが、ブランドと商品開発についても同様です。

この約1年間は、私自身の弱さや不安とひたすら向き合う時間だったと感じています。うれしかったり、不安でしんどくなったり、気持ちのアップダウンが激しい時期でした。

正直なところ、まだ私自身のわかめ養殖がひとりで成り立っていないにも関わらず、「なぜいま、ブランドと商品開発をやるのか」という気持ちも頭の片隅にありました。

「もしかしたら、失敗するかもしれない。」
「もしかしたら、批判されるかもしれない。」
「もしかしたら、ずっと続けている職場の仕事や、新しくはじめたわかめの養殖、全部が中途半端になるかもしれない。」

こういった「もしかしたら◯◯かもしれない」という言葉は、不安を増長させます。不安になると行動がとまり、悩みはじめて動けなくなる。

ただ、そんな風に私のことを責めたり、怒ったりするのは一体誰なのか。

それは私自身です。
「私は私だ」と思って進めていても、ときどき私は私自身に自信をなくすことがありました。

私の周りにいるみんなは応援をしてくれる方々ばかりなので安心して進められるはずなのに、私の体力が落ちてくるとネガティブになって、不安になってしまうこともしばしばです。

何度も悩んで、その度に考えがとまりました。私がやりたいからはじめたことは、私が進めないと動かないもの。立ち止まったらなにも進みません。
でも、私自身の力で前に進んで生きていくために、こういった苦しさは必要だったのかもしれないなと、ふりかえってみて思います。

悩んでは何度も不安になって歩みが止まったりしたけど、そのたびに周りにいてくれる方々が手を差し伸べて、私の話を聞いてくれました。

そして、「私自身がやりたいことだからやる」という気持ちで何度も不安を拭い、またすこしずつ歩く、ということをくりかえしてきました。

いまこうやってブランドの立ち上げと商品開発をすること、いままでの工程をnoteでお伝えできるのも、私の相談を聞いてくださって手助けをしていただいたり、応援してくださるみなさんの支えがあったからです。決して、私だけの力だけではありません。

私は漁師としての海に出ること以外に、同時に違う道を持つという選択肢を持ってもいいんじゃないかと感じています。
ひとつの道を突き詰めるのはすごくかっこいいことで、すごいことです。
でも、同時にほかにもやりたいことがあってもいいじゃないかと思います。

私は欲張りなので、やりたいことをひとつだけに絞って、他の興味があることを諦めたくはなかった。

私は私自身に向けて、「私の好きにしてよし!」とずっと言いたかったんだなと、いろんな方々とのやりとりを通して思いました。
私は、私のやりたいことをやって生きる。そういった自分自身をすこしずつ肯定していこうと思います。

わかめ養殖に関してはまだまだ足りていない面などがあるので、どうしてもまだ職場のボスたちの手を借りていく状態が続くけど。
ブランドに関しては、完全に私の自主事業として進んでいきます。
それは地図のない船に乗って手探りで海を進んでいるようなもので、怖くなって不安になるのも当たり前だなと思いました。

怖いことだからこそ、踏み出してみる。
このブランドをはじめることがもうすこし遠い将来の私や、周りにいてくれる人たちの力になると信じて。

また、最後にすごく現実的な話を書くと、ひとつの道だけでは生き残れないこともあるなと感じています。というのも、後継者としての事業継承と違った、ゼロベースからはじめる一次産業の新規事業者は大変だからです。

自分自身で自立して、生きていく上の軸となる「生業」としていくために、実際に事業者としてはじめてからも施設の空き状況や、設備面や資金面、技術面などでまだまだハードルがあります。
新規事業者が移住者の場合、住み続けるための住居や新しい環境でのコミュニティ形成の問題も出てきます。

「一次産業」と広く書いたのは、私自身が感じたことは漁業だけの問題ではなく、農業や林業でも同じことが言えると感じているからです。

自然と対峙する一次産業の仕事は楽しくもあり、反面でコントロール不可能な天候のリスクもあります。自身の暮らしを成り立たせるだけの生業になれるかは何年と経験を積まないと難しいし、継続できるかどうかは未知です。

そういった厳しさのある面も含めて、私自身がわかめ養殖の生産者としての立場だけでなく、編集者としての立場で違う視点から考える事業をはじめることで、同じ一次産業者の方々の新たな選択肢や可能性が増えることがあったらいいなと感じています。

あとは、もしかしたらなにかをはじめたい気持ちをもっている、誰かの背中をそっと押せると信じて。
いま開発を進めているものたちを、届けたい方々へ届けられるように。いろんな方と一緒に、すこしずつuraというブランドを形作っていけたらと思います。

これからも、ゆっくり見守っていただけたらうれしいです。よろしくお願いします。

1番最後に。
ここにいたるまでにめちゃくちゃアドバイスや人生相談を聞いてくれたり、応援してくれてお世話になっている方々です。ほんとにありがとうございました!

遠野醸造 袴田大輔さん
三陸ジンジャー 菊地康智さん
松田ファーム 松田俊一さん
・溝渕康三郎さん
橋詰友人さん
・岸本麻衣さん
・佐藤文香さん
・今野陽介さん
牧野沙紀さん
吉浜知輝さん
アベマホコさん

私のnote、読んでくださってありがとうございます。 もしも「いいな」と思っていただけたら、感想と一緒にRTやシェアしていただけるとうれしかったりします。。