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"編集のあとで" kurashi024

1月の中旬頃に山梨市に住むオガタさんの記事を公開しました。

大学卒業後すぐに神奈川県から山梨県に移住して、農家さんや作物のことを発信しているオガタさん。
実はこの編集後記を書いているミウラの友人で、山梨市に移住する前から知っています。


やりたいことができる、くらしの余白


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オガタさんは農家さんから「手伝ってほしい」と声をかけてもらい、休みの日には農家さんの農作業のお手伝いやカフェのお手伝いをしている。彼女自身も「趣味は農作業!」と言ってしまうくらい、黙々と農作業のお手伝いをするのが大好き。

農家さんは人手が必要だし、オガタさんはやりたくて自らやっていることだから、お互いにとってすごく良い。

地域の人や移住者内で地域に住む人のところへのお手伝いや、自分のやりたいことに関われたりするのは、私の住む陸前高田内でも同じようなことがある。それってくらしの中にふんわりとした関わりどころ、つまり「余白」があるからできることなのかなと思う。
また、地方ではくらしのオンとオフの境目が曖昧になりがち。だからこそ余白ができるのかもしれない。

陸前高田の例で言うと、以前記事化したハギワラさんは平日は学童の仕事をしながら休日はツボ焼き芋屋さんとして焼き芋を販売していたり、また別の友人で普段は移住サポートの仕事をしながら休日は漁師さんのお手伝いをしたりレストランで料理をつくる子がいたりして、自分の持つ仕事とは別にやりたいことに関わりながらくらしている方々がいる。

(ハギワラさんのくらしはこちら)


それは、地域に住む人から「手伝ってよー」と声をかけてもらったり、自分がやりたいことをゆるやかに関わることができる土壌がくらしの中にあるからこそなのかなと。

働きながら自分の好きな物事に関わるお手伝いできたり、新しくはじめられる余白があるのは、地方のくらしならではなのかもしれない。


就活をしないことを決めた


オガタさんは学生の頃に就活はせず、学生の頃に縁ができた山梨市に移住して農家さんたちのサポートや発信をしている。
そして、休みには農家さんのところで農作業のお手伝い。

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彼女は学生の頃からフリーランスのライターとして全国各地を飛び回って農家さんのところへ行って取材をして記事を書いたり、農作業のお手伝いをしていた。

特に柑橘類を愛していて、あるときは夜行バスに乗って愛媛県の宇和島で農家さんたちと一緒にみかんの作業をして、気づいたら和歌山県でもみかんの作業。ブラッドオレンジの農家さんのところにいたときもあった。
またあるときは宮城県石巻市に2週間くらい滞在して漁師さんの取材をしていて、東京にいるほうがめずらしかった。正直、いつ学校に行ってたのか全然わからなくて、飛び回るという言葉がぴったりなくらし。

ただ、学生の頃と今のくらしを比べても、山梨県内が主な拠点になったこと以外、彼女がやっていること自体に大きな差はない。
「大好きな農家さんの力になりたい」という信念のもと、それができるくらしを模索して選んだ。

また、オガタさんは学生の頃に就活を全くしなかった。
彼女が就活をしなかった理由は「個性を消したり、人となんでも同じというのは嫌だから」や「縛られるのが苦手だから」。

オガタさんのその感覚、すごくわかる。
実は私も学生の頃に「なぜ個性を消すようにみんな黒いスーツを着て、相手に受けるような受け答えをしないといけないのか」と思ってて、みんな一斉に無個性になろうとする就活というものに一種の気持ち悪さを感じていた。

そんなことを思うタイプだったから周りの友人たちが少しづつ進路を決める中でも就活はせず、自分自身に力をつけて仕事をしたほうが後々いいよねと思って、編集関係のインターンをしてたのだけど、今思い出してみてもかなり異端だった。

私や上の世代の頃では就活は、なんとなく「就活はやるもの」として認識されていたと思う。

でも、ここ数年で就活以外の選択肢が少しずつだけど増えてきているような気がしている。

それは、私自身が学生だった6年前と比べてSNSによってたくさんの人たちの働き方、生き方があることを容易に知ることができるようになったからかもしれない。最近はいろんな場所の、いろんな人たちのくらしや考えが見えるようになった。

このトピックで書いた”就活”のような、今まで一般的にあったとされる慣習になんとなくでそのまま乗っからずに、オガタさんのように自分自身の気持ちを大事にして、やりたいことを自らの力で形にする若者がなんとなくだけど増えているような感じがしている。(とはいえ、まだまだ少数派なんだと思うけど)

オガタさんは自分の気持ちにとても正直。
自分にとって、何が1番大事なのかを考えて行動する。

オガタさんのように自分の気持ちを大切にして、就活という枠にとらわれずに選んだ働き方も、もしかしたらくらしを考える上では大事なことのひとつなのかもしれない。


農家さんとつくった干し柿のその後


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オガタさんは農家さんと一緒に干し柿をつくっていた。(事務所に約200個の干し柿が吊るしてあるそう。)

その干し柿、なんと岩手の私の自宅までおすそわけしていただきました。

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せっかくならと思って、秋頃から遠野で定期的に受けている勉強会のメンバーたちにもおすそわけ。

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この講座には11月に記事になった花巻のサトウさんも参加している。

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(サトウさんの記事はこちら)

講義の合間のお茶菓子にオガタさんの干し柿はぴったり。

山梨で取れた柿にオガタさんの思いをのせて、遠く離れた岩手県でたくさんの人たちに食べてもらう。
それはオガタさんが見続けている農家さんが日常的にやっていること。

農家さんの思いを届ける側のオガタさんにとって、もしかしたら作り手側の視点が増えたのかなと思いながら干し柿をもぐもぐと食べてた。

くらしている場所は違えど、手づくりの干し柿を通してオガタさんや山梨の距離がぐっと近くなった。今度は岩手から山梨へ、柿から牡蠣をお返ししようかな。


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