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フィジカルナイト <旅行記シリーズ>

 タイに行ったら行きたいところがあった。シリラート大学法医学博物館、通称「死体博物館」。露悪的な趣味を持った日本人がやたら訪れる場所である。客になぜか日本人の割合が多い。8月24日。

校舎内にある展示室へむかう途中の踊り場、伝説的な教授4名(ご本人)がお出迎えしてくれる


 もっと前。シリラート大学を訪れる夏から数えて、さらに十年近く昔のことになるが、はじめてやってきた東京のその町は、そのころ、人間がときとして野蛮で昏(くら)い欲望を抱いてしまう仕方なさへの許容度がまだまだ高い町で、当時まだ高校生の僕がふらりと立ち入った「18歳未満立入禁止」の暖簾のかかった店はエロの方面の店ではなく死体関連の物品の専門店だった。薄暗い天井から人体のパーツを模したオブジェがぶらさがり、死体の生写真や、交通事故や解剖の現場をおさめたVHSあるいはDVDが売られている。インターネットもポータルサイト(ヤフーやグーグルなど)も、さらにはYoutubeもすでにあるにはあった。あったけれども、「インターネットは、インターネットをやってるようなやつが閲覧するだけのもの」という空気感がまだ濃かった。

 タイの写真週刊誌には、芸能ゴシップや女性モデルのグラビア写真と並び、「今週の事故・事件の現場写真」のカラーページがあるという話は前もって知っていたのだけど、実際にその写真週刊誌が1冊300円で売っていた。レジに出すと、「おにいさん死体とか好きなんですか? 関係ないけど、今日、近くでこういうイベントあるんで、よかったら」店員さんにチラシを渡される。その夜行われるライブのチラシだったが、出演者をみると「三上寛」の名前がある。エネルギッシュで、アンダーグラウンド色も濃い伝説的なフォークシンガーである。「死体好きなんですか?」との切り出しフレーズとまじでまったく関係ない情報だったが、ありがたく耳に入れ、退店し、歩きだしたらすぐ三上寛さんその人を見かけた。風俗店から出てきた、まさにその瞬間を目撃したのだった。

名盤たち

 7月4日。ライブ会場で三上さんが歌う。

君はおおきなイカになる
光る体と大きな目っ スイカのような大きな目ぅうぉおお シックスティーフォー! オオオオおお64! 64! 
6月4日ということか? ム・シ、されているということか?ウアアアアアおッ

 マリファナでぶりぶりにキマっている客のひとりが「おっちゃんやべえよ、やべえよおー!」と調子のはずれた野次を飛ばす。

ンこれはなにかの間違いだろうか
おれは何かが違うんだろうかゥオオオ
オッイシックスティフォー 64〜! イイッ!



 ま、いいや。
 タイの写真週刊誌や「死体博物館」の情報に接した、という話に戻ろう。


 梶井基次郎の「檸檬」じゃないが、本屋には爆弾がおかれている。それは無神経で、暴力的で、不謹慎で、あぶなく、殺傷の能力を持ったものである。感情や思考のエネルギーを解放し、相転移を引き起こす可能性が本にはあって、その可能性を引き当てるギャンブルにとりつかれるから本屋を巡るんだ。まじで悪い意味で、それこそほんとうにほんものの「爆弾」につながる可能性すらある。アブナさの程度はたいへんなもので、だってところが案外、決定的な一冊になるのはもしかしたら、いかにも安っぽい「泣ける本」とか、拝金主義的ハウツー本かもしれない。あらゆる可能性がある。

 まだ子供だったころ、知らない世界に憧れて、肝試しのような楽しさを胸に、古本屋にいりびたっていた。近所にちょうど、ひろくてアヤシイ店があったのだ。そこで、ひとまずは、表面的にわかりやすくアブナそうなもの、アヤシイもの、イケナイもの、シゲキ的なものを追い求めていた。
 ぶつかった一冊が、水木しげるのインタビューの載った「別冊宝島」で、この本で、水木しげるさんには、死体の写真を集めるという趣味があることを知った。

「別冊宝島」とは平成時代にたいへん興隆した「ムック本」という形式の出版物の具体例。ムック本とは、いわゆる「雑誌」と「一般書」の中間に位置するような、ソフトカバーの単行本である。実態的には逐次刊行物なのだけど、そういう顔つきはしない。「別冊太陽」とかね。

 4月8日のアイドルの投身自殺と8月12日の飛行機事故のダイレクトな写真報道への反響をかえりみて、出版物に死体の写真を載せないムードがしっかり定着した平成時代がはじまってすぐ、中森明菜が近藤真彦にフラれて手首を切った、その日に私は生まれました。

 子供ってただでさえ、キモいもの、クサいもの、残酷なことや怖い話が好きだが、私はおそらく、ほかの子よりも少し、もっと好きだった。水木しげるのインタビューの載った「別冊宝島」の特集タイトルは「死体の本」。古本屋でその背表紙をみかけたとき素直に興奮した。なにこれ、すげえ! こんなもの、いいの? こんなものあり得るの? すっげー! んで、開くと水木しげるがニコニコほがらかにインタビューに応えてる。もともと知ってる顔と名前である。親しみがある。(好きすぎて「弟子にしてください」と手紙を出す僕を不憫に思った親戚がサイン会に連れて行ってくれたこともあった)

 そんなこんなで、古本屋にて、アブナそうでアヤシそうなムック本を探りだした僕はまもなく、「鬼畜本」という界隈にぶつかった。「世紀末倶楽部」とか「危ない一号」、「TOO NEGATIVE」とか、内容については詳しくは書かないけれども、非常に下品で下劣な出版物群にぶつかった。

「鬼畜本」に紹介されていた、前述のお店

 そんな「鬼畜本」でよく紹介されていた「死体スポット」の大目玉が、タイはバンコクのシリラート博物館だった。話は8月24日に戻る。

 シリラート大のミュージアムには、人類史博物館と、医学博物館と、法医学博物館があって、人類史博物館では類人猿から現代の人類までの進化を学ぶことができる。医学博物館には、医学資料としての人体の標本が大量にある。内臓や筋肉のからくりを示す標本のほか、水頭症やシャム双生児、象皮病や巨大な腫瘍がホルマリン漬けになっていて、行ったときにはたくさんの中高生が校外学習をしていた。バインダーを手に、レポートを書いていた。

当時の日記の一部



 法医学博物館はもっとも娯楽的で、ジオラマや体験コーナーが充実している。たとえば、足の裏がおおきくえぐれ、膿んだ傷跡のなまなましい模型がまずあって、そのそばにスプーンや果物の種など、日常的なアイテムの模型が並んでいる。ひとつひとつ手に取って足裏模型の傷跡にあてがい、「この傷の原因の正解」をみつける、知育玩具的なゲームなのである。

正解は「チュッパチャップスを踏んだ」でした。(さすがにこうはならなくない?)


 法医学博物館にある資料とは、つまりは事故事件捜査に関係するものである。ナイフで刺された皮膚や、銃で撃たれた皮膚など、実際の傷跡の、傷跡部分だけが標本になって並んでいたり、極端な展示物だと、強姦殺人の犯人がミイラにされ、テレフォンボックスのようなおおきなガラスケースにいれられている。この壁面には当時の新聞記事など事件資料が貼られ、背後の展示ケースでは被害者の着ていた服などが並んでい、犯罪状況のむごさを想像させる。
 法医学博物館には人は少なく、蒸し暑い夏のバンコクの扇風機が、全力で、しかしむなしく首を振る部屋に、僕のほか、孫と孫の手を引くおばあちゃんの二人組しかいない。テレフォンボックスにいれられた凶悪レイプ犯の死体は、法医学博物館の長年の「目玉」だったのだけど、つい数年前に冤罪が判明し、展示自体引き上げられたのだと聞く。

住宅街

 水のなかにいるような抵抗感なのに、むしろすがすがしい気分になるのはどうしてだろう。あんまり蒸し暑いから体が降参して、頭がぼうっとなって、心のこだわりもゆるくなって、あと少しでトランス状態になれそうな酩酊感である。
 水上バスで川を渡る。混んだ船内の大きな円形ベンチに、リュックを背負ったまま座るバカなおばさんの、そのリュックのポケットからはみ出ているサイフを盗ろうと試みるスリの白眼が血走っていて、現場を目撃した僕の目をまっすぐ射るとすぐ甲板へ逃げていった。

 泥色の川をわたって、観光客でごった返す寺院を見物する。仏像が中庭の四周を囲んでいる回廊には、まったく同様に、仏像が四周に並んでいる回廊が隣接している。次のスペースに立ち入ったはずなのに景色が変わらない。筒井康隆の「遠い座敷」、マリオ・レブレーロの「場所」よろしく、移動しても移動しても同じ回廊が並んでいる。しかしよく注意してみれば、寺院の中心にむかって回廊も、そこに並ぶ仏像も、ひとまわりずつ、比率が変わっていくのだ。マンダラの図がそっくりそのまま建築化されている。この酩酊感は、ヤバい。トビそう。

壮麗な寺院


 足の裏は宇宙に繋がっている。寝そべる仏像の足の裏に青い宇宙が描かれている。その寺院に付属するマッサージ部屋でマッサージを受ける。(足の裏は宇宙に繋がっている。寺でマッサージが行われているのは少しもへんじゃない)薄暗い室内はひろく、静かで、もちろん蒸し暑い。たくさんの人が寝そべって、それぞれ黙って施術を受けている。重たいお香の匂いが鼻先を走り抜けるのが唯一の清涼感である。衣がゆるやかにすれる音が充満している。
 施術を終え、寺院をあとにする。体はたしかに軽くなったようだ。この足で次の目的地にむかうが、暑いので、セブンイレブンを見かけるたびに立ち寄って涼んでいた。おなじことをしてる人はたくさんいる。

 時刻は夕方にさしかかるころだった。あるセブンイレブンを出て、二十秒ほど歩いたところでスコールが降ってきた。降り出したな、と思う間もなく滝のようなどしゃぶりである。屋根のあるバス停に座る。視界がぐにゃりと眩んで、それから、なぜ視界がぐにゃりと眩んだのか、その原因に気がついた。雨水をかぶった路面が一瞬にして鏡面になったのだ。目に映る世界が倍増した。どしゃぶりに打たれる水面は揺れている。さっきまでアスファルト色でしかなかった道にはいまや車のライトや店の看板がとろけている。

 ものの3分ほどで雨はあがり、また歩き出す。ムエタイのスタジアムを目指す。

会場


 コンクリートむきだしの武骨な会場である。なんの音楽も流れていない。厳粛な雰囲気がある。座席エリアは後方でフェンスに区切られていて、フェンスの奥の席は安い。フェンスの外側では、ムエタイ賭博に興じるおっちゃんらが金網にしがみついている。その荒っぽい野次もまた、ひりひりするような緊張感の原因になっている。リング側のエリアには、もう少しおとなしい人たちが座る。たとえば僕のような観光客がそれだ。ひとつ下の段でもある前列の座席には日本人の若者たちがおり、その日に出場する日本人選手の応援をしにきた人たち。明らかに、それだけのためにきている。というのも、日本人選手が試合をしている以外の時間は、ムエタイの試合に一切目もくれず、スマホで犬の動画をみていたからだ。ゴールデンレトリーバーが泳ぐ映像を食い入るようにみていた。

 試合中はただ、肉と肉のぶつかる鈍く硬い音が重く刻まれるだけの時間。音は響かない。みんな静かに見守っている。

 ムエタイが終わったころには外は暗い。街灯や店屋自体そうないから道はよほど真っ暗である。こわがりながらだいぶ歩いて、ようやく見つけたタクシーを拾う。信号待ちのつかのまに、「トイレいってくるね」と、エンジンかけっぱなしの車に私を置いて運転手が出ていく。信号が変わる前に戻ってきてくれてよかった。
 ホステルに戻ると、受付スタッフのにいちゃん二人が、ロビーで殴り合いの喧嘩をしていた。ヘッドロックをかまして相手の全身を揺さぶって、揺らされた側が相手の腹をえぐるように突き上げる。首を締めつける腕が緩んだすきに回し蹴りで攻撃しながら距離をとって、バランスをとるあいだに普通に顔をグーでいかれたり、言い争わず、派手なことはせず、はぁはぁ荒い息と、肉の打たれる苦しい音は、さっきムエタイの会場で聞いたのと同じやつだ。おもわず間にはいって二人を引き離す。言葉は三人とも見つからない。

 なんてフィジカルな一日なんだろう。死体を眺め、マッサージを受け、格闘技をみて喧嘩をとめる。「体の日」だった。よくよく考えれば全部受け身で、自分が運動をしたわけじゃないけど。
 翌日、喧嘩をしていたにいちゃんそれぞれに、それぞれ別の時間につかまって、謝罪と言い訳をきかされた。あいつは偉そうなんだよ、コキ使いやがって、ひどいやつなんだ。/あいつは働かないんだよ、怠け者で、我慢ならないんだ。
 すまなそうに話しかけてくるにいちゃんはふたりともかわいい顔でへらへら微笑んでいて、肩はかなりしっかりしている。胸も厚い。腕も太い。アザやカサブタが顔ところどころにある。仲良くして欲しいと思う。
 
 セブンイレブンをはじめ、いろんな店にはいったけれど、事故現場や死体写真の掲載された週刊誌はみつけられなかった。そんな本、もうないのかもしれない。




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