2024 春 静岡 その1
「こだま」という新幹線にはじめて乗りました。はじめてだったから、外国からの旅行者の質問に答えられない。「これは掛川につく?」とか、「これは××系統?」とか、いまの時代にかえって珍しい有線イヤフォンをつけた私にばかり、どうして尋ねるんだろうか。
リニアモーターカーならもっと早く着くのに「こだま」を利用し、静岡に行ったんです。停車駅のならびを見上げながら、バスで腰が痛くなるって距離でもないのに新幹線使ってる、無駄遣いしちゃったかなと悔やむ。席について、ゆっくりしようかと思ったときにはもう静岡駅である。静岡市、および静岡駅にははじめてやってきた。
直前に予約をいれていた美容院に行って髪を切ってもらう。「静岡はじめてきたんです。おすすめのエリアや、人が集まるようなところはありますか」そんなふうに、静岡について問いかける。美容師さんは非常に気さくで、とても話しやすい。
「さわやか以外はなにもないですね
「なんだろう。私はパルコ行きますね
「伊豆、伊豆はいいですよ」
……まあ、情報の内容はともかく、やりとり自体に愉快な味があるのでうれしい。とはいえ、「むそう」という居酒屋と、東静岡駅前の天然温泉施設を教えてくれました。
「ほんものの温泉だし、車なくても行けますし、あそこレストランがおいしいんですよ。うどんとか、定食も、なんでも。ラーメン系だけ食べたことないのでわからないですけど、レストランだけの利用もできるんで、私たまに食べにだけいきますよ」
予約した宿は近くない。ぶらぶら散歩をする。静岡駅周辺は、どこをどこまで歩いても賑やかで、「駅ビル」や「繁華街」の四周をいくつもの「商店街」が隙間なく埋めている。石畳で格子状の商店街エリアは、ぱっと見で車道と歩道の違いが明確じゃないけれど、交差点だらけだし人は多く、たまに通る車の勢いが容赦ないので、どんなにちっちゃな信号も、歩く人はきちんと守る。(神戸とは大違いだ…)天気はよくて、暑いくらい。
その喫茶店のレトロな雰囲気の由来は建物の古さにある。喫茶店になる前には石鹸工場かなにかだった。石鹸屋さんのころには使われていたけれど、喫茶店としては利用できない二階のエリアが宿になっている。「古民家改装系」の、風情あるユースホステルのヴァリエーションといえる。ものすごく人当りのよい宿の人(喫茶店の店員さんでもある)に昼食をとる店を案内してもらい、荷物をおいて出かけた。
ランチ営業を終える直前に入ったため、店のモードは完全に片付けにかたむいている。緊張し、試合の合間に麦茶でも飲むような勢いで海鮮丼を流し込んだ。生しらすってはじめて食べたけど、結構歯ごたえのあるものなんだな。
さて散歩を再開しよう。事前に人から勧めてもらっていた古書店には、大橋歩や立岩真也、辻潤や泰淳がやけにたくさん集まっていたり(谷崎や足穂や内藤陳、手塚治虫や岡崎京子ではなく!)加藤楸邨全集や葛西善蔵全集など、そう見かけない個人全集ばかりが並び、静岡各地の郷土資料・市史・民話童話全集の蔵書もかなり豊富で、アナーキズム関連の貴重書だけで埋まった棚(貴重であるがゆえ、簡単には売れないとの張り紙あり)など、背表紙を睨んでると思わず、本のオタクならではの粘っこい笑みがこぼれるような品ぞろえ。
そこで目についたのは、ぼくが12年住んだ家の、最寄りの駅名が冠された「鷹の台の黄昏」なる小説。購入し、「品ぞろえがすごいですね」などと少々立ち話。(もちろんオススメの場所もきく)店主の机の上には僕も寄稿している雑誌BEACONが置かれている。
当然のことである。なぜならBEACONの主宰の石垣くんは静岡の出身者で、この古本屋は、まさに彼にオススメされた場所なのだから。静岡に住んでいた石垣くんが、この店に足繁く通っていたころの話をうかがった。
次に立ち寄ったのも本屋さんである。ここで開催されている展覧会が、今回の静岡行のめあてのメインだった。BEACONのイベントが行われたこともある書店なので、BEACONが、しかも面陳で売られていることには驚かなかったが、店員さんも寄稿者のひとりだったので驚いた。「またあさってきます」あいさつをして店を出て、駿府城公園のベンチに座り、寒くなるまで本を読む。そのときに持参していたのは、河合隼雄の「中空構造日本の深層」。女子高校生ふたりがTikTokの撮影をしている。余念がない。何度も撮りなおす。カメラに向いてもいないのに笑顔をつくるなんてもったいないとの思想なのか、たのしそうにはしゃぐ様子を、自身で厳しく倹約している。あ、場所を変えた。場所を変えて同じ踊りだ。
暗くなったから飲みにいかなければならない。オススメされた店はいくつもあるのに、そのすべてが定休日だった。仕方なく、いかにも観光客向けというか、わざとらしいような横丁にはいると、中から「どうぞどうぞ」と超強引なアピールをしてくる店につかまった。店にメニューが張り巡らされているが、読む間も与えず「おでんが食いてえんだろ?」とオヤジさん。店はカウンターだけで、お客はひとり。切り盛りをする老夫婦のうち、おかあさんは「寒い寒い」と繰り返しながらもかたくなに扉のすぐそばに座って、誰かが通りかかるたびに声を張り上げる。しかし誰も入ってこない。壁には、眞鍋かをりが来店したときの写真と、舞の海が来店したときの写真が貼ってある。
メニューにも「今日のオススメ」ホワイトボードにも、値段が書いていない。腹をくくって瓶ビールと、オヤジさんがほぼ勝手にあてがってくる静岡おでん。「これはおいしいんだ」的な宣伝をしきりに繰り返すオヤジさんのうしろで、唯一のお客さんが「ここはいいお店ですよ」と加勢する。お客さんはオヤジさんと同じくらいの年齢、聞けば同郷、博多の出だという。ほかに誰もやってこない狭い店の奥の席に強引に誘い込まれているので、全員グルなのではないかと疑う。おでんはやわらかく、歯ごたえも味もない。自分のよだれを食べてるような調子である。静岡おでんというのを知らないから、まあ、こんなものなのかもしれない、と、自分で自分に言い聞かせる。
昔は百貨店の帽子売り場のマネージメントをしていたというオヤジさん、売り上げの芳しくない店舗を一年コーチングして、結果が出たら別の店舗へ、また別の店舗へ、と、ずいぶんたくさん引っ越しをしたらしい。副部長を殴って退職してから静岡でおでん屋をやっている。お店はいま4代目ではあるけれど、先代と交流があったわけでも、修行をしたわけでもない。どういうことか。
戦後、このあたり一帯には建物なんてなく、そのかわり露店や屋台でひしめいていた。なにせ海が近いから、おでん屋台が増える。くず魚たちをまとめて練って、一度揚げて、それにさらに火を通すから生より持つし、風味が少々ヘンでもごまかせる。完全に主催側の事情によりそったメニューとしてのおでん屋台がとにかく多い。で、すべからく食中毒発生。ときは復興期である。市(いち)ごとぶっ潰して商店街を建てようと話は進む。しかし屋台街にこだわる意見もあって、そんなこんなで、ごくごく限られた一画のみ当時の面影を残した<特例おでん横丁>として残された。それはあくまで特例なので、新たにお店を追加できない。その当時に登録された屋号の店しか営業をゆるされていない。
ところが当然、店をしている人にも事情があるし、時間がすぎるだけで年はとる、体は悪くなる。あるいは次の事業に手を出したくなる。
てなわけで、屋号「だけ」が売買されることになる。お店の場所と名前がキープされているばかりだので、1代目と2代目に師弟関係はなく、2代目と3代目で店のトーンは大違い、3代目と4代目で出すメニューがまったく違う。(ローカルルール:代変わりがあると、店の扉が新調される。扉が白くてきれいなところは、最近代が変わったところ。)
4代目のオヤジさんがこだわっているのは、刺身を提供すること。
「ここでウチだけだよ、ナマの魚出すのは」
常連?さんも声をあげる
「ここの刺身はほんとうにすごいよ、これは日本でもここだけだよ」
確かに、常連さんも実際食べている刺身は、まったく見たことのないものだった。ぶ厚すぎるのだ。一切れのサイズが、ふつうの刺身の3倍以上はある。
「東京で食べたら1万はするよ」
オヤジさんも声をかける。ここで食べたらいくらなのかは言わない。
ええいままよと頼んだが、出てきた刺身は確かにおいしい。体感ニベヤ缶サイズのマグロは生臭くなくて、モノがいいのはそうだろう。一口で食べられないのはもちろんのこと、齧りとってなお口がいっぱいになる。アザラシかなにかになった気分である。
「アザラシになったみたいです」
渾身のたとえツッコミはややウケ、そのかわりというかなんというか、常連さんはお店のおかあさんに
「ママあれ、おいも、見せてあげなよ、おいも」と耳打ち。
おかあさんはスマホを取り出し、なにやら探し出すとおもむろに私に画像を、三枚続けて見せつけてきた。
①人の顔みたいなかたちのナスの写真
②四股を踏んでいるようなダイコンの写真
③おおきなお尻にみえるセクシーなサツマイモの写真
眞鍋かをりの写真に見守られながら、これまで見てきたバラエティータレントの笑い方をとっさに必死で思い出す。
圧倒的な不明瞭会計の支払いを行い、夜をしばらく散歩する。宿のリビングに並べられている本に目をやると、さくらもももこの漫画があった。その名も「ちびしかくちゃん」。なんだこれ。どうやら、著者によるセルフパロディであるらしい。
開くと、「ちびまるこちゃん」でおなじみのキャラクターたちが、人間的によくない方向にブーストされている。とくに「たまちゃん」ならぬ「だまちゃん」の性格の悪いこと悪いこと。ひとり主人公の「まるこ」ならぬ「しかこ」だけが悪意を持っていない。けど、めちゃくちゃ卑屈でかわいそう。俺のなかに蓄積されてきた「ちびまるこ」が全部、この漫画のための前フリになってしまって、ひきつけをおこしたかのように大笑いする。
翌朝、宿を出てまっさきに書店へ。「ちびしかくちゃん」を全巻(2冊)購入し、静岡駅にむかう。浜松に住んでいる友人と一緒に、富士市に行く。
(つづきはこちら)
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