夏目漱石「それから」 貴方の御都合の好いように

「代さん、成ろう事なら、年寄に心配を掛けない様になさいよ。御父さんだって、もう長い事はありませんから」と云った。代助は梅子の口から、こんな陰気な言葉を聞くのは始めてであった。不意に穴倉へ落ちたような心持がした。

父は烟草盆を前に控えて、俯向いていた。代助の足音を聞いても顔を上げなかった。代助は父の前へ出て、叮嚀に御辞儀をした。定めてむずかしい眼付きをされると思いの外、父は存外穏かなもので、

「降るのに御苦労だったな」と労わってくれた。

その時始めて気が付いて見ると、父の頬が何時の間にかぐっと瘠けていた。元来が肉の多い方だったので、この変化が代助は覚えず、

「どうか為(な)さいましたか」と聞いた。

父は親らしい色をちょっと顔に動かしただけで、別に代助の心配もなかったが、少時(しばらく)話しているうちに、

「己(おれ)も大分年を取ってな」と云い出した。その調子が何時もの父とは全く違っていたので、代助は最前嫂の云った事を、愈(いよいよ)重く見なければならなくなった。

父は年の所為で健康の衰えたのを理由として、近々実業界を退く意志のあることを代助に漏らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している最中だから、この難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免れる事が出来ないので、当分已むを得ずに辛抱しているより外に仕方がないのだという事情を委(くわ)しく話した。代助は父の言葉を至極尤もだと思った。

父は普通の実業なるものの困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地味であって、その実自分等よりはずっと鞏固の基礎を有している事を述べた。そうして、この比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させようと力(つと)めた。

「そう云う親類が一軒位あるのは、大変な便利で、かつこの際甚だ必要じゃないか」と云った。代助は、父としては寧ろ露骨すぎるこの政略的結婚の申出に対して、今更驚くほど、始めから父を買い被ってはいなかった。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かったのを、寧ろ快く感じた。彼自身も、こんな意味の結婚を敢てし得る程度の人間だと自ら見積(つもっ)ていた。

その上父に対して何時にない同情があった。その顔、その声、その代助を動かそうとする努力、凡てに老後の憐れを認めることが出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかった。私(わたくし)はどうでも宜う御座いますから、貴方の御都合の好いように御極めなさいと云いたかった。

けれども三千代と最後の会見を遂げた今更、父の意に叶うような当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承したことのない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口であった。彼自身さえ、この二つの非難の何れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。しかしその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。彼はこの能力のために、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫かれた。即かず離れず現状に立ち竦んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのでなくて、却って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずるところを断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである。三千代の場合は、即ちその適例であった。


夏目漱石 「それから」

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