好きなことするとうまくいかなくなる訳
ひろ健作です。
前回、こんな話をしました。
ここで言いたかったのは、「よくある出逢いとか引き寄せとか言う人は多いけど、実際にはそうは問屋が卸しませんよ」って話です。
読んでみてピンときたでしょうか。
自分の恥とも言える過去のエピソードも紹介しながら、何とか私の言わんとすることが少しでも伝わればいいな、そうしたらアドバイザーと称する人たちに翻弄されず、悩まずに済むからです。
~教えやアドバイスに翻弄されていた私
かつての私は、人からアドバイスされたり、教えを本などで読んだりすると、試さずにはいられない性格でした。少しでも「人生がよくなる!」という教えを知ったら、生かさない手はないと想っていたのです。
というのも私の人生は、上向きになりそうで、一向によくならなかったからです。どん底ではなかったけれど、可もなく不可もなし。女性にモテもせず、男性からはバカにされる、上の人からは評価されないとさんざんな目に遭っていたのです。
教えを知って、感謝とか前向きとかポジティブシンキングとか、さまざまなことをやりました。α波が人生をよくすると言えば、自立訓練マシーンなるものを39,800円で買う。付録で付いていた解説用カセットテープには、有名な大学教授の朴とつとした語りが入っていました。
「きみの手はあたたか~い。あたたかーい」
α波が出ると、精神が落ち着きます。すると皮膚温と皮膚抵抗が上がる。そのため、その微細な変化をキャッチすれば、α波が出ていると言えるわけです。
当時は高校生。男子校でした。国立文系を狙うクラスでエリート意識が高い。しかし私はひとりなじめずにいました。友だちを作ろうと想ってもできなかったのです。
でも、前を向いて明るく、と口角を上げていました。けれどもどこか悲壮感があります。暗くこのままではダメだ、何とかしなければ、と想っていました。
成績はダラ下がりに落ちて行きました。あんなに大好きだった英語。英和辞典の前書きを真似て、辞書づくりを真似たトークをノートに書き出し、大受けしていた私――。そんな私が1年上がった途端今度はクソまじめなクラスになじめず苦しみ、もがいていました。
数少ない友人ズッコケ3人組とも言える仲間といつもつるんでいました。唯一の救いだったのです、それが。
~事件は突然訪れた
それがある日のこと、事件は突然訪れました。
担任の英語教諭から面談で呼ばれたのです。
「ひろ、オマエ最近元気ないな。どうしたんや」
「はい、なんかやる気が起きなくて・・・・・・」
「高2のときはあんなに楽しんでたじゃないか。いったいどうしたんだ」
「たしかにそうですね。ただなじめないんです」
やる気がそがれた本当の理由は言えませんでした。なぜならクラスの同級生がカンニングをし、間違いは書き直してあげて、いい点数を点けてあげていたのを目の当たりにしていたからです。
それは期末の本番のテストとは違う、授業中に行われるもの。だからそんなに神経質になることではありません。めくじらを立てるほどのものでもないかもしれません。
けれど自分には許せなかったのです。そんなことまでして、いい点数を取りたいのか。そんなのウソじゃないか。ウソついてまで評価をもらおうとするなんて――。
私は目の前でくり広げられる不正とも言えるできごとに、目をつむることはできませんでした。けれどもその一方で、その事実を担任に告発することもしませんでした。
なぜならその同級生は友だちでもなんでもなかったからです。何の利害関係もない。私にとって特にマイナスでもない。だったら私が言わないことで彼が救われる部分もあるかもしれない。そんなふうに想ったのです。
しかしそんな公平ではない採点のやり方に、無言の抵抗をしていました。言って見れば国の圧政に対して反旗を翻す行為。しかし静かな反抗です。それがテストの点数をどんどん下げていく行為でした。
担任にとっては何で点数が下がって行くのかわからない。私は、わかっている問題なのに、あえてわざと間違って「どうにでもなれ」と人生やけくそになっていたからです。
まともにちゃんとやっている人が評価されず、適当にやり、要領よくごまかしている人が評価される――そんな理不尽なことがあっていいのだろうか。内心私はふつふつと煮えたぎる怒りが噴出していました。
テストの点数をあえて悪くしていく――ある意味それは、ささやかな、無言の抵抗だったのです。
あなたももしかしたら、いまの職場で、いまの学校で、いまの組織で、そしていまの世の中で、理不尽な扱いを受け、むしずが走っているかもしれません。もしかしたらかつての私のように、はらわたは煮えくり返り、どうしようもない怒りが吹き出ているかもしれません。
そんなとき、きょうの話を少し想い出してみてください。そうしたら少しは浮かばれる気持ちになるかもしれません。
~父との確執
そんなある日のことです。父がお座敷にくるように、と呼びます。まず母が私に声かけ、次いで父が待つ部屋へと入るという恒例の流れです。言ってみれば母は従順な秘書、悪く言えば自分の意見がない伝書鳩。私のことを少しも擁護してくれない人でした。
お座敷へ入ると父はおもむろに言いました。
「なんか、最近、元気がないらしいね。どうしたんだ」
「うん」
どうせ父に言ったところでわかってくれる筈はない。そう想っていました。いつもです。父は私を呼びつけ、一通り話を聴いたかと想うと今度は持論を展開するからです。
でもそれでももしかしたら、との想いがよぎりました。少しはわかってくれるかもしれない。そう想って精一杯の想いの丈を言いました。
「友だちができんのよ」
「自意識過剰なところがあるからだ。考え過ぎだ」
「違うよ、ホントできないんだよ」
「友だちは作るもんだ。努力で」
「努力じゃ作れないよ、友だちは」
「そんなことはない。努力だ努力」
私は一向にらちが明かない話の展開にまたも失望しました。そしてその後、これが自分の親かと耳を疑う言葉を吐かれるのです。
「だいたいオマエの目は魚の腐った目のようだ。そんなんだからできないんだよ」
ふつうなら腹が立つところです。けれども父なら言いそうなことだし第一実際にそんなふうに覇気がない目をしていたのだろうと想いました。
けれども実の父が言うことだろうか、とも想いました。実の息子がクラスになじめず、友だちができず、もがいていた。成績はダラ下がりになり、取り返しの付かない人生を歩もうとしている。それなのにまったくと言っていいほど親身にはなってくれません。
「もういいよ」
話はそれで終わりました。
~体育の授業、卓球での嫌がらせ
ちょうどそのときを同じくした頃のことです。体育で卓球の授業がありました。卓球と言えば、中学のとき、クラブにも属した経験があり、けっこう自信もあります。当然カットやアタックもできます。
クラスの仲間とも少し話せるようになりました。ネクラな自分が明るくなれるひとときの時間――それが卓球の時間だったからです。
「あ、今度は僕がサーブの番だね」
割と明るいほうの仲間が相手でした。本当はもっとバシっと最初からカットをし、相手が取れないようなサーブもできる。けれどもそれをやってしまうとすぐに私が勝ち、試合にはならない。
けれども卓球の時間くらいは、自分がプチヒーローになれる時間だ。少しくらいだったら勝ってもいいだろう。
そう想って次々と勝ち進んでいきました。そうしていたある日のこと、再び事件が起きたのです。
試合を終え、体育館シューズを脱ぎ、いつも置いていた外靴を履こうとしたら、いつもの場所にありません。たしかにそこに置いていたのに。それなのにそこにない。私は嫌な予感がしました。
靴箱ものぞきました。いつもの所定の位置にもありません。もしやと想い、視線を上にやると、自分の靴の後ろ側のマークが観えました。靴箱の上の、背伸びしなければ届かない上の所にそれは置いてあったのです。
右手でそれを取ろうとした瞬間気づきました。靴の重さが倍くらい重くなっていたのです。すぐにわかりました。水をたっぷりと入れられていたのです。
嫌がらせでした。
私が活躍し、勝ち進んでいくのを面白がらないヤツがいたのです。いつも日陰にいる男が、活躍している――そのことを面白がらない人がいるかもしれない――そう想ってあまり華々しく勝つのは止めていたのに――それなのにそれでも嫌がらせを受けたのです。
これでどうやって友だちを作れって言うんだよ。
私は父への腹立ちが出ました。嫌がらせを受けても腹は立ちませんでした。なぜなら私が勝つことを面白くないヤツがやったことだとわかったからです。
だったら活躍しなければいい。目立たなければいい。そう想って冒頭のマシーンを買うなどして少しでも人生がよくなればとの一念で自身を励ましていたのです。
自分がしたいように、好きなように、生きているつもりでした。
けれども天は自分を救ってはくれなかったのです。
何かが違う。何かの歯車がズレている。けれど、その何かが当時はわからなかったのです。
・・・・・・つづく
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