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ドラマ『東京タワー』続編「透と詩史の行方」+江國香織『デューク』オマージュ 二次小説

※ドラマにおいて小島透は呼吸器内科医になったそうですが、一部設定を変更して書きました。

 彼女との再会は突然だった。三十歳になり、婦人科医として大学病院に勤務していた僕の前に、九年間音信不通だった詩史さんが現れた。
「透…くん?」
「詩史さん…お久しぶりです。」
診察室に入り、僕の姿を見るや否や、彼女は戸惑いを隠せない様子だった。
「どうして今日、小島先生がここに…?」
「本日新患担当のはずの大原先生が急病のため、代理で私が診察しています。」
再会の挨拶後、示し合わせたように僕らは患者と医師らしい口調に変えていた。
「そうだったんですか…。」
「もしどうしても大原先生でなければ困るようであれば、予約を取り直してもらって、診察はまた後日ということも可能ですが…。」
「いえ、小島先生にお願いしたいです。」
意外なことに彼女は迷う様子なく、まっすぐ僕の目を見つめながら即答した。
「そうですか…不正出血がひどいということですし、まずは検査しましょう。」
 
 何度も愛を確かめ合った彼女のその大切な場所を、まさか診察する日が訪れるなんて…想像したこともなかった。子宮頸部から体部を確認していると、腫瘍を見つけてしまい、不安が脳裏を過った。
 
 「がん検診は定期的に受けていましたか?」
「長いこと、パリで暮らしていたので、検診はほとんど受けていませんでした。日本にいた若い頃から、自分の身体のことは無頓着で、仕事ばかりしていたので…。」
「そうでしたか…。検診結果は二週間後に出ます。また、二週間後、いらしてください。」
「あの…二週間後の検査結果の時もまた小島先生にお願いできますか?」
「はい、私で良ければ…。じゃあ私が再来担当の曜日に予約を取りましょう。」
患者と医師という関係に過ぎないけれど、彼女と再会できたことはうれしかったはずなのに、この時の僕はまだ、その幸せを実感する余裕はなかった。彼女の身体を蝕む病魔の正体ばかり気になってしまって…。
 
 悪い予感は的中した。見つかった腫瘍は悪性で、彼女は子宮体がんのステージ2だった。がんが体部を越えて、頸部にまで広がっている状況だった。これ以上進行させないためには、子宮を全摘出する必要があった。すでに閉経を迎えていた五十四歳の彼女は、妊娠・出産することはないため、子宮はもはや使う必要のない臓器だけれど、女性にとって子宮や卵巣を摘出する手術は何歳になっても、勇気と覚悟がいる。女性の象徴的な部位を失うことをあっさり受け入れられる女性はそう多くはない。
 
 再診で訪れた彼女に、ステージ2の子宮体がんだということを告げた。
「そうですか…やっぱり、がんでしたか…。」
それほど驚く様子はなかったものの、彼女は静かに肩を落とした。
「私の先輩医師の大原先生とも話し合ったのですが、できるだけ早いうちに、子宮摘出手術を受けることをお勧めします。私はまだ経験が浅いので、手術はベテランの大原先生が担当することになります。ですから今後は、主治医も大原先生に変わります。」
「あの…手術をお願いするとしても、可能な限り、このまま小島先生に担当していただきたいのですが、それは難しいでしょうか?」
「手術には執刀医の助手として入ることはできると思いますが、主治医に関しては大島先生にも相談してみないと何とも言えません。」
この時まで、どうして彼女が僕にこだわるのか理由が分からなかった。再会できたことがうれしいからだろうかと、勝手な軽い憶測しかできなかった。
 
 「明日、土曜の夜、少し会えないかしら?」
その日の夜、彼女からラインが届いた。九年ぶりに彼女と二人きりで過ごせることになった。幼い大学生だったあの頃の僕なら、素直に喜び、彼女とまたやり直せるのではないかと期待までしてしまうと思うが、あの頃と比べたら大人になった僕は期待なんてしない。そう自分に言い聞かせながら、高鳴る予感をなだめていた。
 
 夜景が綺麗で、東京タワーも一望できるレストランを選んだ。彼女ではなく、大人になった僕が。
「素敵なレストランね…。立派なお医者さまになった透くんと再会した時は驚いちゃった。本当は私、透くんが新患を担当する曜日は避けて、予約を取ったのよ。それなのに、透くんがいて…。」
九年ぶりとは思えないほど、当時と変わらない彼女の口調や態度にようやくほっとできた。
「僕の方こそ、驚いたよ。代理で入った曜日に、詩史さんが患者として現れたから。ごめんね、ほんとは最初から安心して任せられる大原先生が良かったんでしょ?新米の僕になんて気遣わなくていいから、これからは大原先生に任せた方が詩史さんの身体のためだよ。」
「病院に行く前に、外来担当医の中に名前を見つけて、透くんを避けたのはほんとだけど、今は違うの。透くんに気を遣っているわけじゃなくて、患者として小島先生に診てもらいたいと思い直したのよ。できればこれからもずっと…。」
「そう言ってもらえるのは医者としてはうれしいけど、詩史さんの知人としてはベテランの大原先生に診てもらった方がいいのにって思うよ。」
「そうね…。一般的にはそう思うかもしれないけど…あの日、もし予定通り大原先生だったらこんなこと考えなかったと思うけど、運命だって思えたのよ。避けていた透くんと再会できたことが。」
「再会できたことが運命…。」
「そう。抗っても再会してしまうなら、運命を受け入れて、このまま透くんに診てもらいたいって思えたの。本当に必要な人とは、何度離れても再会してしまうものって何かで読んだことがあるわ。」
「必要な人って言ってもらえることはうれしいよ。でも、僕が詩史さんの身体を治せるかどうか、自信ないんだ…。本当は医者が患者に弱音を吐いちゃいけないって分かってるけど、詩史さんは今でも僕にとって大事な人だから、確実に詩史さんの命を守ってくれそうな医者に任せたくなる…。」
「どんなにベテラン医師だって、人間だから百パーセント病気を治せるとは限らないでしょ?逆に新米医師だって、優秀な人はたくさんいるし…。それに透くんが私を担当してくれれば、透くんのこれからの医師人生に、少しは役に立てるじゃない?経験を積むことが大事な時期だと思うから、一人でも多くの患者や症例と関わった方が透くんのためになるんじゃないかって勝手に思ったの。」
「それはそうだし…そこまで考えたくれたなんてありがたいけど…。」
「私ね…あの頃、大学生だった未来ある透くんと、透くんの未来に嫉妬してたの。透くんの未来という時間に私は関われないって分かってたから…。けれど、病気になったおかげであの頃の未来、今の透くんの時間に私も役に立てるかもしれないって気づいたら、うれしくなって。病気するのも悪くないわね。治療を受けるために思い切って、日本へ帰ってきて良かったわ。」
「別に病気にならなくても、詩史さんさえ望んでくれたら、あのままずっと僕の未来や今という時間の中に詩史さんはいたよ。同じ時間を共有できていたと思う。でもそうしていたら、寂しい者同士依存し合うだけで、お互い、今の人生はなかったことも分かってる。」
「そうよね…あのまま二人でいたら、きっと透くんはお医者さまにはなれていなかったし、私もパリへは行けなかった。単身、パリへ行って良かったと思ってるから。」
「そう言えば、パリはどうだったの?」
「パリで暮らせて良かったと思ってるわよ。日本ではちやほやされて、自分が東京タワーみたいだなんて自惚れていたけど、世界は違ったの。海外に行けば私なんて無名同然で、実力や才能溢れる人たちがたくさんいることに気づけたから、良かったって思うの。エッフェル塔みたいな人たちがいることを知れて、自分の傲慢さに気づけたから。」
「自惚れや傲慢なんかじゃないよ…。詩史さんはどこにいてもすごい人だし、僕にとっては憧れで尊敬できる人に違いないから。エッフェル塔にも負けてないよ。」
「ありがとう、透くん。透くんにだけはずっと良く見られていたいって思ってたのも本当だから、うれしいわ。透くんの人生で一番綺麗な思い出の私でいたいってお別れする時思ったんだけど、再会してしまったから、その綺麗な思い出さえ、もうじき消えてしまうわね…。ごめんなさいね。透くんの憧れの私のままでいられなくて。」
「何言ってるの?今までもこれからもずっと詩史さんは僕にとって綺麗な思い出のままで、僕の人生の一番の宝物だよ。病気が分かったからって、詩史さんが詩史さんでなくなってしまうわけじゃない。詩史さんへの思いは何も変わらないよ。だから安心して。」
「ありがとう。本当はね…怖さもあるの。子宮を取ってしまったら、女じゃなくなる気がするし、今までの自分ではいられなくなる気がして。もう子どもを産めるわけでもないし、子宮なんて必要ないって分かってるのに、割り切れない自分もいて…。それに年齢や病でどんどん衰えていく自分の姿を、透くんに見せたくない気持ちもあるの…。」
「僕は男だから、女性の気持ちを完全に分かることは難しいけど、でも医者だから、そういう悩める女性に寄り添いたいって思うし、割り切れない気持ちとか分かるようになりたいって思うよ。僕で良ければ不安は何でも話して。大学生の頃と比べたら大人になったつもりだから。寂しいから詩史さんの側にいたいんじゃなくて、詩史さんを支えるために側にいたい。歳を重ねていく詩史さんを一番近くで見守り続けたい。」
彼女の主治医になることは躊躇していた僕だったけれど、強気な彼女が僕に弱い部分を見せてくれたから、彼女を守り、支えたいと心から思えるようになった。
 
 大原教授とも相談し、僕は彼女の主治医をこのまま担当できることになった。

 手術予定日も決まり、入院する前、彼女からあることをお願いされた。子宮が残っているうちにもう一度だけ、抱いてほしいと…。僕を好きだからとか恋心とは違うと思う。女として誰かに抱かれたかったんだと思う。僕はそれに応じた。僕の方はまだ彼女のことが好きだから。手術を控えた病気の患者を抱くなんて主治医としては失格だと分かっていたけれど、それ以上に愛する女性の願いを叶えられる男でいたいと思った。彼女を抱きたいと願っていた己の欲望を満たすためではなく。
 
 出血がひどくなるといけないから、ゴムをつけて浅めに挿入し、やさしく抱いた。
「もし…病気じゃなかったら、子宮で透くんを受け止めてみたかったわ…。」
行為の最中、うわ言のように彼女はそう呟いた。
「うん…そっか…わかった。」
僕はゴムを外して、彼女の中で射精した。
「透くん…ありがとう。私のわがままを叶えてくれて。でも血がついてるといけないから、早くシャワーで洗い流して。」
「うん、気にしなくていいよ。僕がしたくてそうしただけだから。また詩史さんとひとつになれてうれしかった。それより痛くなかった?体調大丈夫?」
「透くんがやさしくしてくれたから、痛くないわ。体調も大丈夫。私は透くんにとって綺麗な思い出であり続けたいって思ってたけど、私の方がいつも透くんから綺麗な思い出をもらっているって気づいたわ。ありがとう。透くんは私の人生の宝物よ。東京タワーよりエッフェル塔より何より一番、透くんが輝いて見えるわ。女として最後の幸せな思い出をありがとう。」
「最後なんて言わないで。治療して病気が治ったら、またできるようになるから。心配いらないよ。」
「えぇ、でも…術後は子宮は存在しないし、年齢的にも今日が最後って思ってるの。女として最後の日に抱いてくれてありがとう、透くん。」
彼女は少し寂しそうに微笑んでいた。
 
 大原教授の下、彼女の手術は無事、成功した。(偶然、親友の耕二と同じ名字だから気になったわけではないけれど、僕は大原教授に厚い信頼を寄せている。)

 術後、麻酔が切れ、目覚めた彼女はベッドに横たわったまま、びょおびょお泣いていた。
「体調はどうですか…?」
回診に訪れた僕に気づくと彼女は慌てて泣くのをやめようとした。
「ごめんなさいね。痛み止めとかお薬の影響かしら…メンタルが落ち着かなくて…。」
「個室ですし、他に誰もいませんから、無理して感情を止めることはないですよ。遠慮せず、吐き出してください、詩史さん。」
僕は医師としてだけでなく、透という一人の男として彼女の手にやさしく触れながら言った。
「ありがとう…小島先生…透くん。」
「手術は成功したので、あとは回復を待つだけです。ゆっくり休んでください。」
「えぇ…ありがとう、透くん。」
「じゃあ、身体に障るといけませんから、僕はこれで。また来ますね。」
「待って、透くん。もし時間あるなら、もう少し側にいてほしいの…。」
彼女に引き止められた僕は、ベッドの近くの椅子に座った。
「あのね…透くん。」
「うん、どうしたの?」
「手術中に夢を見た気がするの…。子どもの頃、飼っていた犬、デュークって言うんだけど、亡くなったその子が出てきて、一緒に散歩したのよ。デュークを連れて東京タワーの真下まで行ったり。」
「そっか、そうなんだ。素敵な夢だね。」
「私が最初に手掛けた建築物は、デュークのおうちなのよ。犬小屋をね、小学生の頃に自分で設計して作ったの。初めて作った犬小屋だから、ちょっと屋根が傾いたりして不格好だったけど、デュークは気に入って生涯、住み続けてくれたわ。」
「へぇーその子が世界的建築家の詩史さんを生み出すきっかけになったんだね。」
「現実では犬と会話できるわけじゃないから、本当に気に入ってくれてたどうかは定かじゃないんだけど、さっき…夢の中ではね、デュークとおしゃべりできたの。デュークは犬小屋のことも、私のことも好きだって言ってくれたわ。そして東京タワーの真下でキスしてくれた…。」
「へぇーほのぼのする夢だね。」
「キスされて驚いたの。あまりにも透くんのキスに似てたから…。そして今さら気づいたのよ。透くんと初めて会った時、どうしようもなく透くんに惹かれたのは、透くんの寂しそうな瞳が、大好きなデュークの瞳に似てたからだって。私が透くんと恋に落ちたのはデュークのおかげかもしれないって。」
「そうなんだ、僕って詩史さんにとって大切なデュークに似てるんだね。」
「えぇ、特に瞳が似てるわ。犬に似てるなんて失礼よね。ごめんなさいね。」
「ううん、犬でも何でも詩史さんの大好きな存在に似てるって言われるのはうれしいよ。僕もデュークに会ってみたかったな…。」
「もし…私が透くんとこんなに歳の差がなくて同い年くらいだったら、本当に透くんと一緒に暮らすこともきっと考えたわ。同棲できたらデュークみたいな犬を飼って、あの時よりもう少し立派な犬小屋も作って、子どもが生まれたら、一緒に散歩したりして…楽しいだろうなって、想像してしまった時もあったわ…。」
「僕は今でも歳の差なんて関係ないと思ってるし、あの時よりは自分の足でちゃんと立って自立した大人になれたと思ってるから、詩史さんとデュークみたいな犬と一緒に暮らすのは夢じゃないよ。」
「えぇ、ありがとう。でもやっぱり私にとっては、それは夢でしかないのよ。実現できない夢のままでいいの。どうしたって歳の差は埋まらないし、透くんはまだ三十歳よ?私はこれからどんどん年老いていくだけ…。もう透くんの子を産むこともできないし、病気だって増えるかもしれない。透くんと同じ時間を過ごせるのは入院してる今だけって分かってるの。」
「いつも勝手に決めないでよ。何でも自分で決断できるのは詩史さんの良いところでもあるけど、少しは頼ってほしいって思う。たしかにあの頃の僕はまだ子どもで頼りないのに、大人の詩史さんと恋に落ちて、恋に溺れてしまったけど、再会できたら、恋じゃなくて愛にも気づけたんだよ。恋がするものじゃなくて、落ちるものだとすれば、愛は乞うものじゃなくて、与えるものだって気づいたんだ。もう寂しさを埋め合わせるだけの関係じゃないと思う。詩史さんの弱さ、痛み、不安…何でも受け止めて、和らげてあげられる存在になりたいって思ってるよ。詩史さんが病気になっても、僕が治してあげるから。医師としてだけじゃなくて男として…。このまま僕の未来に詩史さんが居続けてくれたらうれしい。」
そう言って、僕は彼女の唇にキスをした。彼女は
「やっぱり…デュークみたいだわ。」
って微笑んだ。

 詩史さんは何も知らなかった寂しい子どもの僕に、恋を教えてくれた。恋の痛みも与えてくれた。そして愛も教えてくれた。詩史さんに与えられる不幸なら、他のどんな幸福よりもずっと価値があるなんて大学生の頃の僕は信じてしまっていたけれど、大人になって愛にも気づいた今なら分かるよ。詩史さんのどこかに不幸が存在するなら、それを取り除いてあげて、幸せを与えたいと。人が幸せでいられる時間なんて限られている。何のしがらみもなく自由に、経済的にも苦労なく、病気もない健康体で過ごせる時間は一生で考えれば僅か。心身に不安や不幸を抱えながら生きる時間が大半だから、幸せよりも、共に不幸や痛みを分かち合える人と一緒にいたい。この人となら何があっても乗り越えられる、不幸さえ幸せに変えられる、そんな人と生きてる間に出会えたら、それこそ何より幸福なことだ。そう思える詩史さんという女性と出会えた僕は、たとえ彼女と結ばれることはないとしても、幸せだと思えるよ。ありがとう、詩史さん。
 不幸の中に潜む、真の幸せを教えてくれて。生まれつき手に入れてた幸せなんて本当の幸せじゃなかった。自分で見つけた幸せと信じられるものを手に入れようともがいて不幸になった結果、得られるものこそ価値があるということを教えてくれたのも詩史さんだったよ。
 僕の人生に忘れられない爪痕を残してくれたあなたが、最後に教えてくれたものは命の尊さと儚さだったね。自分の命を懸けて、僕を一人前の医師にしてくれてありがとう。僕の心と命の中で詩史さんは生き続けているから、ひとりだけど孤独じゃない、不幸だけど幸せだと思えるよ。あなたに出会えて良かった。愛してる。
 
 これは手術から何年後か先、半分欠けた月の夜、東京タワーより遥か高い場所へ旅立ってしまった詩史さんに向けた、もう届くことはない僕からのプロポーズ。

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