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https://hirokotsuchimoto.info/ ストックホルムでパフォー…

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https://hirokotsuchimoto.info/ ストックホルムでパフォーマンスアーティストとして活動。個人主義の世の中に違和感を抱きつつ、何もできないことに悶々としている日々。それでも一応表現することは続けています。

記事一覧

食欲がある

食欲について書く前に、前回綴った”Poor me”事件について。実は、その後おそらく”Pardon me”だったのではないかということで落ち着きました。今となってはどう考えても…

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ちょっと踏み込んで考えてみる

先週から、LAから2時間ほどに位置するメキシコと国境を接する街、サンディエゴに滞在している。 週末のコインランドリーでの出来事。 車から降りると、駐車場で若い男性が…

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受け流すという美徳

受け流すことは、流すこと、忘れることとは少し違う。一旦受け取り考える。それから流すということを選択する。 私は受け流すことが苦手だ。一旦私の思考回路を通過すると…

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予定を立てることについて

明日の予定も明後日の予定もなし。私のスケジュールは二ヶ月後までほぼ真っ白。 しかしながら、この予定のない日々を送るために半年以上も前から計画はしていたのだけれど…

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消費じゃない方法で自分をhappyにすること

小さい頃、横浜に住む祖母に連れられてそごうに行くのが大好きだった。 そごう入口の世界の人形時計は今でも記憶に鮮やかだけれど、今検索してみたら、かなり前にからくり…

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「コンセプトもステートメントもない文章」を書こうと思う

長らく書くことから遠ざかっていた。 理由はざっくりと、「自意識が邪魔をしていた」のだと思う。 いつからか、誰かからジャッジされることを想像すると、「書かなくてもい…

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食欲がある

食欲がある

食欲について書く前に、前回綴った”Poor me”事件について。実は、その後おそらく”Pardon me”だったのではないかということで落ち着きました。今となってはどう考えても”Pardon me”だろうと思います。数日ほどあれこれ彼の人物像について想像をめぐらせてしまったけれど、周りに言いふらしたおかげで、ネガティブな勘違いに気づくことができたのは良かった。普段もこういうような小さな勘違い、たく

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ちょっと踏み込んで考えてみる

ちょっと踏み込んで考えてみる

先週から、LAから2時間ほどに位置するメキシコと国境を接する街、サンディエゴに滞在している。
週末のコインランドリーでの出来事。
車から降りると、駐車場で若い男性が中年カップルの女性の方に対して、
「いい歳して10歳の子供のような格好して頭おかしいんじゃないか」と冷やかしていた。事情はよくわからなかったし、私はその女性がどんな格好していたか十分に確認していなかったけれど、、何となく場の空気が良くな

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受け流すという美徳

受け流すという美徳

受け流すことは、流すこと、忘れることとは少し違う。一旦受け取り考える。それから流すということを選択する。
私は受け流すことが苦手だ。一旦私の思考回路を通過すると、「流す」という柔軟な方法でアウトプットすることが非常に難しい。世の中ではきっとこれを「不器用」と呼ぶ。

信頼を置ける同性の友人となら、受ける時点で不快に思うことが少ない。しかしながら、特に親しくない知り合い、異性、家族、パートナー、目上

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予定を立てることについて

予定を立てることについて

明日の予定も明後日の予定もなし。私のスケジュールは二ヶ月後までほぼ真っ白。
しかしながら、この予定のない日々を送るために半年以上も前から計画はしていたのだけれどね。

予定のない生活を一週間してみて、予定がなくてもやることは尽きない、ということを実感する。別に忙しくしなくても、毎日充実するんだなぁ、とも。

気がつけばずーっと予定に追われていたような気がする。
基本的に怠惰な性格なので、予定がない

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消費じゃない方法で自分をhappyにすること

消費じゃない方法で自分をhappyにすること

小さい頃、横浜に住む祖母に連れられてそごうに行くのが大好きだった。
そごう入口の世界の人形時計は今でも記憶に鮮やかだけれど、今検索してみたら、かなり前にからくりの機能は終了して、時計としての役割のみになってしまったらしい。そこまで思い入れはなかったが、少し残念だ。

そのそごうで、小学生の私は祖母にこう言ったらしい。「おばあちゃん、欲しいものがいっぱいあって選べないから、デパート丸ごと欲しい!」

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「コンセプトもステートメントもない文章」を書こうと思う

「コンセプトもステートメントもない文章」を書こうと思う

長らく書くことから遠ざかっていた。
理由はざっくりと、「自意識が邪魔をしていた」のだと思う。
いつからか、誰かからジャッジされることを想像すると、「書かなくてもいい。寧ろ書かない方がいい」と、書くことから意識を遠ざけるようになっていた。
ソーシャルメディアを始めとする情報過多の現代社会の罠にまんまと嵌ってしまったのもあるし、単に三十路を過ぎて、無邪気に手当たり次第に表現すればよい訳でもなくなってき

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