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過去の私へ、ちゃんと幸せになってるよ。

先日、夢にまで見ていた「結婚式」を無事にあげることができた。本当に夢みたいで…大袈裟に聞こえるかも知れないけれど、一生に一度のあのイベントは、ただのイベントなんかじゃなくて、自分のこれまでの人生を肯定できたイベントだった。いろんな方々に支えられて、いまの自分がいるんだなって、幸せになれているんだなって。

そして、自分にはもったいないほどの素敵なパートナーが居て。こんな世界があっていいのかな?こんな幸せを感じていていいのかな?

今感じている幸せを誰に伝えたい?
…「過去の自分」に伝えたいかな。

私のこれまでの人生、とっても平穏だったなんて、お世辞にも言えなくって。中学2年生までは、身よりもいない外国人の母ひとりに育てられた。母はとっても愛情深くて、勤勉で、努力家。ただ、周囲の環境やトラブルの内容があまりにも酷くて、子供ながら、大人のことを信じれなくなっていたなあ。

そんな環境だったからか、母の誠実さや真面目さが、余計に輝いていて、その母親がいたから、ブレずに真っ直ぐに育ったのだと強く思っている。何が正しく、悪いのか、自分なりに問いて、探って、時に反面教師にしたりして、子供ながらに、たくさん感じて、学んで、今がある。

裕福では無かったけれど、学ぶ環境と健康な食卓が、しっかりあった我が家。毎日同じような献立だったけど、嫌だなんて思ったことは一度も無かった。だって、母も頑張っていたから。同じ方向を向いて、一生懸命に生きてきたから。その当時からかな「同じ方向を向いている人と一緒に生きていくこと」って、こんなにも心強くて、幸せで、無敵だと知ったのは。

「大丈夫?」「かわいそう」周囲からはいろんな声が上がった。悔しさはあったけど全然平気だった。だって、私幸せだったから。朝起きると、朝ごはんがあって、お昼にはお弁当があって、夜はママと一緒にご飯を食べられて、寝るときは、大好きなママの横で。これが私の何よりの幸せだった。

友達がかわいい服を着ていたり、ゲームを持っていたり、新しい文房具を持っていたりしたとき、もちろん羨ましいと思ったことはあるけれど、全部全部、大人になって、自分で買ってやる!そんな事を考えて、自分の中の野心の火種として、フツフツと育てていった。

自分にとっての幸せは、自分の心だけが知っていればいい、当時からそう思えていた。

私が幸せかどうかは、他者が判断するものではない。誰かに自慢したり伝える必要もない。自分だけが知っていれば、それでいい。そして、その幸せを循環させていければよい。自分が感じたあったかさを、また誰かに広げていけばよい、そんな事を考えていた。そして、今も。

でも、子供ながらに、自分の将来のことは、とってもとっても不安だったし、こんな大人になりたくない!って人たちが多かったからか、理想の大人になれているか、それをずっと気にかけていた。

結婚だってそう。離婚しか知らなかった自分が、誰かを永遠に愛し続ける事ができるか・・・そんな怖さを抱いていた。愛し合っても、いつかはお別れする、そんな事実を多く目の当たりにしていると、やっぱり子供ながらに、永遠の愛への夢は、儚くぼやけていく。

でも、それを覆してくれたのが、中学2年生の時に家族になった、今の義父。無償の愛とはこの事か…と思うほど、深い愛情で私を包んでくれた。何度も反抗したし、無視もしてしまっていた私。それでも、父からの愛情は一度も揺るがず、常に安定した絶対的な愛情で私と向き合ってくれた。そして同様に、私の母親のことも、深く愛して、守り続けていた。

誰かの事を信じるって、とっても難しい事だ思う。時間もかかる。でも時間をかけて築き上げられた絆は、ちょっとやそっとで崩れないことも事実。それを築き上げられる努力ができるかどうか。そう思うと、うちの父の覚悟と努力には、もう言葉が出ないぐらい…この事は私と父の間だけが知っていればいい。ただ、父を讃えるためにも、やっぱりこれからも父の偉大さは伝えていきたいな。。。

何度も言うけど、これまで出会った大人たちは、我が家を複雑だの、かわいそうだの、本当に色々散々に言ってきた。

その当時の大人たちに伝えたい。「そんな、複雑だの、かわいそうな家庭で育った私は、今とっても幸せですよ。とっても。」って。

昔の私。大丈夫、ちゃんと、ちゃんと幸せになってるよ。だから、自信を持って、これからも生き続けてね。あなたの心を信じて。

そんな感じで、私にとって結婚式は、過去の自分を最大に褒めて、認めて、肯定できた、そんなイベントでもあったな。忘れたくないから、いまここに綴りました。幸せになれているよ、Hiroko!







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