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禁酒無事10日目

無事禁酒10日目になった。これはいける気がしてきた。
二度目の正直でこれはずっといけるかもしれないと感じてきている。

今年の1月から3月まで、最大88日間禁酒したことがある。そのときは本当に気分がよかった。精神は安定し、むくみがとれ、痩せて顔が良くなり、自己肯定感も高まっていた。

寂しさももちろんあったが、その代わりに生産性を手に入れていた。
ソバーキュリアスの本質だと思う。

ソバーキュリアスは、酒の楽しみというよりも、生産性を手に入れることだ。
酒に時間を費やさず、自分の可処分時間と可処分所得を最大化したときに、いったい自分には何ができるのかということに対して興味を持つ。つまり最大の愛みたいなものだ。

酒を抜くと、身体も心もどんどん軽くなっていく。
手が動くようになっていく。

仕事が進むようになっていく。
どんどんと仕事ができるようになってくる。

思考が深くなり、有機的に絡み合っていく。

以前、依存ナビ(だっけな?)という団体が有している町田康の動画を見たことがある。というか、何度も見ている。

町田康曰く、「酒を飲んでいて何もいいことがなかった」という。多分俺もそうだと思う。生産性は高くなるし、町田康のように作家の仕事をしていたらさらにそうなんだろう。思慮が深くなり、書くものの深度が高まっていく。

また、町田康は日経新聞の動画でこう言っている。

「酒はアンプ。いわゆる増幅器である。増幅ということは、楽しいやつは楽しさが増幅されてもっと楽しくなるけど、嫌な奴は嫌なところが増幅されてもっと嫌になる。だから、酒飲んでも飲まなくても、できるだけ面白い人間になることが大事」

まぁおれはそこまで考えているわけではない。
普通に、加齢とともにアセドアルデヒドの消化が追いつかなくなって、翌日、普通に生活できないぐらいになってきたからだ。現在41歳だが、すでにこうなんだから、これから加速度的にそうなっていく。

それと、酒をやめて、その時間で本も読めるようになってきた。
ギターを手にすることができるようになってきたし、英語の勉強に精が出るようになってきた。こういう色々なこと一つひとつが自己肯定感につながる。

今書いているこの文章だって、だれに読ませるわけでもなく、一円にも当然ならない。ただ、むかしのようにキーボードに指が触れている感覚自体に幸せを感じることができるし、それは自分に大きな希望をもたらす。

シラフが完結してきたら、そろそろ薬をやめる頃だとも思っている。
昨年、おれは精神に大きな負担をかけて大きなものを掴んだ。
その大きなものというのがなんなのかはここでは書けないが、普通に生きていたら得られることはないとてつもなく大きなものだ。それに対するリハビリで心療内科で処方される薬を薬1年近く飲んでいる。とてもヘルプフルなものだった。

なんとなく、それをやめてもいいような気がしてきた。

今何文字書いただろうか。
こんなに長く、まだ自分は文章を書けるんだということに少し驚いている。
加齢と中年の危機、そしてストレスなどによって、自分が文章を長く書けるという自信も、意味合いも、なんとなくなくなってきていた。いや、実際、どんな仕事でもホワイトカラーの場合、ほとんどが精神的な活動なわけで、自発的に、心の底から湧き出るエネルギーのようなものを活用しないと、物事など前に進まないのである。

内臓が疲れていると人間何もできない。病気になったりして延命していても、実際には何もできないであろう。41歳でこのような状況の上澄を感じられただけでも良しとしたいと思う。

一度しかない人生。
後半は酒を飲まない人生にしてみようと思う。

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