見えないけれどそこにある
昨日の夜、少し体調が悪くて早めに仕事を上げてもらった
家にまっすぐ帰って葛根湯を飲んで目覚ましをかけずに寝た、起きたら夕方の18時
本当は家に帰って絵を進めてから寝ようと思っていたのだが、身体にかかる重力がいつもより強かったように思う
僕がいつも絵を描くスタイルは絵のサイズによってだが、だいたい決まっている
地べたに片足立てるか、あぐらか、正座だが
小さい絵ならあぐらか正座だ
大きくなると片足立てるか膝で立つか、中腰になる
椅子は使わない
昨日はそのどれもが身体に合わず、風呂も入らずにベッドに伏した
眠りに落ちるまで見ていたのはいろんな画家の絵、これはいつもと変わらない
実は携帯でエッチなやつも見てみたけれど、EDの僕にはというか僕の息子にピンと来るものはなかった
それよりも絵画の方が僕の心を駆り立ててくれる、芸術に関してはEDではない事は僕にとってゆういつの心の救いになっている
これが逆だったら?
つまり絵に関心がなくなりエッチなことばっかりだったなら
死んだ方がいいかもしれない🤣笑
冗談でも死んだ方がいいなんて言っちゃいけないか、けど、昔から人の死に関してはよく考える、身近な人の死が、それによって起こる周りの人々への影響が僕に沢山の勉強をさせてくれたのは間違いない、僕はこれで良かったと思っている。
多分僕は結構さっぱりした性格で、自分で物事を決め切りたいタイプで、極端で、ポジティブなのである
全てを自分の心の糧にして行ける自信がある
その反面、白か黒か決められない事にはとてもイライラする、自分にイライラするのだ、だから、無理矢理にでも自分の心に区切りをつけようとする面がある、これはきっと人間が成長して行けば自ずとわかってくる事なのだろうけど僕はきっとせっかちなのだ、それによってかき乱される自分自身が好きじゃない
けれど人を傷つけている事には気付いていない、というか気付いていても気づかないふりをしている
きっと怖いんだな、そう思う。
怖い事にはさっさと腹を決めてしまおう
おととい僕が書いたブログかな?タイトルは確か、とどけ熱量。だったと思うけれど
そこにも書いたとおりである、暇があれば是非そちらもよろしく。
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話は盛大に逸れてしまったが
そうやって気付いたら眠りに落ちていったのだ。
落ちた先で僕はとても美しいものを見た
誰かはわからないが出会って間もない女性、年は僕と同じ二十代、長い髪が夜風になびいていた、その子に連れられて高台に来たのだ
どうやら僕達はあの林の向こうにチカチカ見える街明かりから来たのだろう、そんなに距離は離れていないが随分遠くまで来たなと思っていた
もしかしたらもっと遠くの街から来たのかもしれない、そこの街に親近感が湧かなかったからね
その子とは特に会話していたわけではないが楽しい気分だった、多分彼女ではないと思う
僕は夜景を見ていたが、その子が振り返って
「凄いでしょ?星」
と言うものだから空を見上げた
そこで僕はプラネタリウムのような満天の星空を見た
どちらかといえば、プラネタリウムのように天井に照射された光というよりは、まさに遥か向こうの宇宙から光が飛んできたのが手に取るようにわかる澄み切った空だった
あれは空というか、宇宙だった
思えば星は見えないから無いのでは無く、本当は東京の真ん中から見上げた空にも満天の星空が広がっているはずなのだ
僕はよく東京でも星を探してみたりするけれど、見えないね本当に🙉
その夢は僕の芸術の世界を少し広げてくれたような気がする、何かわからない、見えないけれどそこには美しいものがある
それは星に限らず、街の中でも、人の心の中にも、芸術を見ることができると改めて思わされました
今日は描こう、描くものは決まってる。
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