2種類の先生
有名だけど、「先」という言葉は2つの逆の意味を持っている。
時間軸を一直線にしたときに左にある"過去めな先"と、
時間軸を一直線にしたときに右にある"未来めな先"だ。
【先A(時間軸で過去め)】
・先にやっといた
・先に行っちゃった
・先の件ですが…
【先B(時間軸で未来め】
・先のことはわからない
・まだ先の話じゃないか
先生、というのは一般的には「先に生きといた」人だから、
【先A(時間軸で過去め)】にあたる。
時間軸を基準にすると。
同じ時代に同時に存在する中で、
年齢が上の人の方が先にこの世に生きてるわけだから、
年上の方が蓄積した時間が大きい→先生は年上ってのが普通。
あることがらにおいて蓄積した時間が大きい人がつまり、
その分野において"先に生きといた人"だから、
経験が長い人は年齢関係なく先生と呼ぶことができる。
というのが、普通。
ところで今度、母校でお話をすることになった。
今を生きる高校生を相手に、卒業生の33歳がお話をする。
何を話そうかなぁと考えていると、
自分が彼らの年齢だったときのこととか、
そこから今日までなにをどう考えて生きてきて今どうなのか、
ということが普通に浮かんできているのだが、
そこでふと思う。
僕が17歳だったのは、2002年。
時間じゃなくて年齢を軸にして並べてみたら。
17歳の僕が見ているのは、2002年の世界。
17歳の彼らが見ているのは、2018年の世界。
当然、16年分世界は更新されている。
そのぶんなんか、彼らの方が「先に生きている」気がする。
スポーツの世界では、記録がどんどん更新されている。
映画の世界でも、技術はどんどん更新されている。
1980年代にタイムスリップして、
映画館で『アベンジャーズ』を流したら観客はどう思うんだろうと
ときどき妄想する。
過去の蓄積、先人というか先生というか、先に生きといた人たちに蓄積した時間は、とても価値がある。いろいろ学びたい。学ばせてもらってる。
しかし年下がいちがいに自分より"後輩"…後ろにいるっていうのは、
忘れた方がいいなと思った。
年下を相手にするからって、上から目線はやめよう。
「君たちにはこうなってほしい」みたいなことを言うのは絶対だめだ。
自分が17歳のときには気づけなかったけど、今ならわかることを、
"ちなみに"、"参考程度に"、"過去の例として"、お話させてもらおう。
逆に、2018年の世界を見ている17歳の"先生"たちに、
いろいろ教わりたい。
世界はどう見えているのか。
何が余計で、何が足りないと思うのか。
自分にまだない蓄積した経験値から導き出されそうな、既存の最適解は、
「年上の先生」に聞こう。
問いをきちんと設定すれば、年上の人は必ず自分なりの答えを持っている。
自分がもう取り戻せない目から世界がどう見えているのかは、
「年下の先生」に聞こう。
僕らが解決しなきゃいけない問いや問題は、たぶん彼らの中にある。
「これこうしたいんだけどどうしたらいいか」は、
その経験値がある年長者に聞く。
「こんなのつくったんだけど単純にどう思う?」は、
いまを生きてる若い人に聞く。
これ、逆はたまにしんどくなる。
特に「こんなのつくったんだけど単純にどう思う?」を年長者に聞くと、
膨大に蓄積された過去事例と比較されてコテンパンにされることも。
それも貴重な意見なんだけど、どうせ先輩に聞くなら
「これをこうしたいんだけどどうしたらいいか」の方が
いろいろちゃんと教えてもらえて、建設的だと思っている。
「さよなら、オッサン」と「最近の若いもんは…」の二元論じゃ、
もったいない。
時系列で先に生きといたんだから、年長者は先生
時代的に先を生きているんだから、若い人も先生
互いに先生と考えると、誰と話してても楽しくて学びがあるはず。
また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。