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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 後編 26

 東の空は、青みを帯びてくる。

 弟成と黒万呂を乗せた船は、田来津の船の後方を走って行く。

 2人は思っていた ―― 帰れる、必ず斑鳩に帰れる………………

「大国様、あれを!」

 久米部大津が河口を指差す。

 前方を見る。

 そこには、一艘の大船が浮かんでいる………………いや、一艘だけではない、何十隻という船が河口を埋め尽くしている。

 しかも、殆どが大船である。

 弟成は、その異様な光景に背筋が冷たくなった。

 ―― 本当に、俺たちは故郷に帰れるのだろうか………………?

「大国様、大船から撤退命令です!」

「分かった。田来津の船とともに殿を務めるぞ。櫂入れ、止め!」

 漕ぎ手は櫂を水面に櫂を入れ、垂直に立てて、船の行き足止めた。

 後方の船も同じ様に行き足を止め、引き続き回頭していく。

「右櫂上げ! 右櫂用意! 右前へ!」

 大国連は、矢継ぎ早に号令を掛けていく。

 船は、右舷を唐軍に見せ、横になる。

 護衛軍の数隻の船も同じ様な態勢をとる。

 唐軍の大船の間から、小船が前に出てくる。

「盾構え!」

 弟成と黒万呂は、命令されたとおり右舷側に盾を構える。

「矢は上から降ってくるぞ、斜めにして立てろ! 間隔を開けるな、漕ぎ手に当るぞ! 弓番え!」

 弟成は盾を斜めにした。

 後ろでは、弓が軋む音がする。

「唐船も、弓の準備をしています」

「くるぞ! 合図があるまで盾を起こすな!」

 唐船から、一斉に黒い筋が跳ね上がる。

 やがて、弟成の耳に風を切る音が近づく。

 ―― ドスン!

    ドスン!

 盾を持つ手が、衝撃で揺れる。

 ―― ドスン!

 弟成の盾を突き破って、矢先が顔を見せる。

 ―― こんな薄っぺらな盾で大丈夫なのか?

「やられたぞ!」

 後ろの方で声がする。

「盾を崩すな! 負傷者を下げろ! 弓用意! 放て!」

 大国の号令が飛ぶ。

 弟成の耳元で弦の震える音がした。

 ―― これが………………戦さなのか?

    これが………………

 数回の弓矢の打ち合いの後、殿軍は倭軍の全面撤退を確認して戦場を引いた。

 これに対して、唐軍も追撃することはなかった。

 周留城に戻った弟成と黒万呂は、あまりの興奮で盾を放すことができず、他の兵士の力を借りて、ようやく手を放すことができた。

 だが、しばらくの間指は盾を持つ形のままだった。

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