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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 後編 5

 斑鳩寺の家人と奴婢の全員が、寺法頭(てらのほうず)の下氷雑物(しもつけのざつぶつ)の下に集められたのは、生駒山から吹き降ろす風が、一段と冷たくなった頃のことであった。

「聞け!」

 家人や奴婢の前に出た雑物は、厳しい顔で彼らを見回した。

「西海の彼方にある百済の国難は、みな承知のことと思うが、この度、我が国は百済復興のために援軍を派遣することとなった。それにあたり大王は、この名誉ある役目を良民や奴婢たちにも均しく割り当てられることとなった」

 家人や奴婢の間から、ざわめきが起こった。

「知ってのとおり、この寺には多くの百済の僧侶がおられるし、百済から様々な仏典や仏像が齎された。即ち、百済とは切っても切れぬ間柄である」

 寺主(てらのぬし)の入師(にゅうし)と寺司(てらのつかさ)の聞師(もんし)は、傍らで黙って聞いている。

「つまり、この寺は百済に大変恩義があるのだ。そこで今回の援軍には、この寺からも兵士を出すことに決定した」

 家人や奴婢のざわめきは、困惑に変わった。

「家人の若い者の中から8名、同じく、奴の若い者の中から2名、計10名を派遣する。誰を派遣するかは、これよりくじ引きによって決める」

 今度は、動揺の波が襲った。

「家人は向うで、奴婢はこちら側だ。一列に並べ!」

 若い奴たちは、言われたとおり一列に並んだ。

 弟成も、黒万呂の後ろに並んだ。

 入師と聞師を見ると、2人は手を合わせて祈りを上げていた。

 それは、何に対しての祈りなのか?

「何で俺らが、そんな名前も知らんような国を助けにいかにゃならんのや。おい、倉人万呂(くらひとまろ)、若万呂(わかまろ)、お前ら引き当てんなよ!」

 黒万呂は、2人の弟に言った。

 弟たちは、手を上げて答える。

 雑物は腕を組んで座わり、奴たちがくじを引いていくのをじっと見ながら言った。

「いいかお前たち、これは名誉なことなのだぞ! 国のために戦えるのだからな!」

 雑物の言葉に、弟成は激しい怒りを覚えた。

 ―― 何が国のためだ!

    何が名誉だ!

    そんなに国のためと言うのなら、自分が援軍に加われば良いではないか!

    俺たちなんかに行かせるのではなく………………

 彼は、雑物を睨み付ける。

 雑物は、それには気付いていない。

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