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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 5

「それから、ここからは上京して来た民に対しての接し方やが、まず、故郷に帰る時に路傍で死んだら、傍らの家の者が死者の仲間に強引に祓えをさせるので、その遺体を引き取る者が少ない。また、溺死しても、同じく祓えをさせるので、仲間を救助しない。それから、路傍で炊事をしても、強引に祓えをさせる。また、借りた甑で煮炊きをして、その甑をひっくり返すと、縁起が悪と言って貸主は借り手に祓えをさせるが、そう言った愚俗は止めること」

 祓えとは先ほど述べたように犯罪の賠償金のことを言ったが、地方から飛鳥に労役に駆り出された民は、全ての費用が自分持ちであったので、この祓えの賠償金が大きな負担となったのである。

 そして、宮周辺の住民の中には、この祓えを目当てに、何も知らない地方出身者に難癖をつけては、法外な祓えを取っていたようだ。

「それからっと……、馬に乗って上京して来た民が、馬を預けるのなら、預ける人間と村首(むらのおびと)の下に行き、そこで申告してから報酬を与えよ。帰る時に与える必要はない、と。そして、預かった馬を傷つけたら、報酬を貰ってはいけない」

 これは、参河(みかわ)(愛知県東部)の国の人間が、預かった馬を死なせたり、良馬を盗まれたと偽って自分のものにしたり、牝馬が孕めば祓えをさせるなどの振る舞いがあったので、このような制度を設けたらしい。

「後はやな、市司(いちのつかさ)や要路(ぬみのみち)の難所の渡り守の手数料を廃止して、田地を与えよ………………と、これは関係ないか」

 もう、誰もまともに聞いてはいない。

「これで最後や。農作の月には、早く田作りに励め。美味い物と美味い酒を飲食させるなと……、以上だ」

「以上じゃねえよ。なんや最後の美味い物と酒を飲ませるなっつうのは!」

 それまで、まともに聞いていなかった連中も、最後の一文には反応したらしい。

「そんな、美味い物も酒も食ったことがねえぞ、まったく!」

「そんなもの、俺たちに言うのはお門違いや!」

「ほんまや!」

 全く以て、そのとおりである。

「ええい! うるさい! うるさい! 大王様の有難いお言葉だ、お前ら慎め、ええな!はい、解散!」

 結局、この簿葬令も、旧俗の廃止令も、奴婢には全く関係がないのだった。

 さて、件の弟成は、その夜、塔内に忍び込み、三成の像を納めることに成功する。

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