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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 9

 一旦自身番へと連れて行かれた女は、すぐさま大番屋へと移された。そこで、与力による吟味を受けた。

 幸いだったのは、南町が月番だったので、惣太郎は源五郎から何かと優遇してもらえた。

 源五郎から聞いた話であるが、おかるは矢張りおはまであった。

 彼女は、これまでと思ったのか、それまでの経緯(いきさつ)を洗いざらい話した。

 北町の大澤とは数年前からの付き合いらしい。政吉のことで、いろいろと相談にのってもらっているうちに、関係を持つようになったとか。

 政吉も、そのことに薄々気がついていたようだが、さすがに町方の旦那に立てつくこともできず、見て見ぬふりをしていたとか。

「それでは、政吉が言い張っていた不義の相手とは、大澤のことだったので」

「いえ、事はもっと複雑です」

 と、源五郎は鼻を啜りながら言った。

 おはまというは男好きのする顔なのか、かなりの男が言い寄ってくる。が、これが碌でもないのが多く、所帯を持っても上手くいかない。政吉がその代表であるし、北町の大澤も数ヶ月付き合い始めると、徐々に酷い扱いをしてきたという。

 なぜ自分ばかりこんな酷い目にあうのかと嘆くと、政吉に言われたという、『お前は、男を狂わせる女なんだよ。どんな男でも、お前と関係を持つと、雄の本性が剥きだしになるんだ。お前は、そういう女なんだよ』と。

 ああ、自分は男を愛し、愛されるという小さな幸せも掴むことができない女なのかと、涙したという。

 だが、そんなおはまにも、この人ならという男ができたらしい。それは政吉の子分で、荒くれ者が多いやくざ者のなかでも珍しく男ぶりがよく、大人しい男であった ―― 文吉である。

 文吉は、政吉の言伝だと、しばしおはまのところに出入りし、茶店の手伝いもするようになって、そのうちふたりは良い仲になった。

 そうなれば、おはまとすれば文吉と一緒のなりたいと思うのも当たり前。文吉も、一緒になってもいいと言ってくれる。

 となれば、政吉と別れるしかない。

 仮にそれを政吉に話しても、三行半を書いてくれるはずもない。下手をすれば、文吉ともども殺されるかもしれない。

 そこでおはまがとったのが、3年前の駆け込みである。

 そのときは政吉と大澤の妨害にあって、家に戻された。

 寺役人は自分のために良く働いてくれたが、やはり持ち前の運の悪さだろうと諦めた。

 文吉も、ずっといまのままでいいと言ってくれた。表立って言えない関係だが、これも小さな幸せだと思って、我慢することにした。

 でも、1年経って、2年経って、ときが経過すると、政吉からは相変わらず酷い扱いを受けるし、大澤も同じようなもの、文吉だけが心の頼りだが、女としは矢張り胸を張って、『あたしは文吉の女房です』と言いたい。

 おはまは、今度こそという思いで再び寺に走った。

 しかし案の定、政吉が『不義あり』と訴えてきた。

「その不義とは、なんら証拠はなかったようですね。政吉は、大澤とおはまの関係には気がついていましたが、文吉との関係は知らなかったようです。だから、〝寺抱え〟になったときは慌てたのではないですか。おはまが寺に入れば、『女房取戻出入(にょうぼうとりもどしでいり)』を出さなくてならない。それだと寺社奉行の吟味を受けることになる。となると、おはまとの関係だけでなく、これまでの色々な悪事までも暴露されることになる」

 そこで考えたのが、おはまの連れ去りだった。

 計画は大澤が考え、政吉の子分たちを使って、押し込み強盗に見せかけ、おはまを連れ去ったという。

 当然、政吉は怪しまれるから、しばらく身を隠していろとなる。

 政吉はこの案に喜んで賛同したというが、彼には、この計画の裏に隠された大澤の意図が見抜けなかった。

 ひとつは、押し込み強盗のなかに文吉が入っていたこと。大澤は、おはまと文吉の仲を知っており、もし上手く連れ出せれば一緒になれるぞ、と言って参加させたらしい。

 もうひとつは、政吉を消すこと。女房ひとりも上手に扱えない親分など、邪魔以外の何ものでもない。下手をすれば、こちらの悪事が露呈する。そろそろこの辺が潮時だ。ちょうどいい機会だから、殺(や)ってしまえと大澤は考えていたようだ。

 哀れな政吉は、このあと姿を消した。

 寺からの連れ出しも上手くいき、政吉も始末できた。

 おはまは、連れ去りという意外なできことに酷く驚いたらしかったが、晴れて文吉と一緒になれるのなら、親身になってくれた寺役人や奥さま方には悪いが、これはこれで良いと思ったという。

「それから、しばらく熱(ほとぼり)がさめるまで身を隠していたんですが、ほんの一月(ひとつき)前から神田で暮らしはじめたそうです」と、源五郎は懐紙で鼻をかみながら言った。

 当初は、文吉と幸せな日常を送っていた。

 暴力や酒、博打、性欲とは無縁の、慎ましい生活だった。静かに、ただ淡々と流れていく毎日だが、それまでの暮らしに比べれば何と充実した日々だろうと、おはまは満ち足りていた。

 しかし、その生活もすぐに可笑しなことになった。

 大澤が入り浸るようになった。

 政吉から解放してやったのは俺だと、身体を要求する。

 文吉は元来大人しい男で、おはまのことで世話になったと思っているので、何も言わない。

 幸せも束の間、むかしのような生活に逆戻りだ。

「『不幸な星のもとに生まれたやつは、一生苦労しなくちゃならないんですね』と、おはまは寂しそうに言ってましたよ」

 その不幸のもとに、さらに不幸がやってきた。

 行き成り障子を開けて入り込んできた男がいた。

 一瞬誰か分からなかったが、

「政吉だったのです」

「生きていたんですか!」

「ええ、殺されそうになったそうですが、何とか川に飛び込んで助かったそうです。それからしばらく身を隠し、熱(ほとぼり)が冷めた頃、大澤に復讐をしてやろうと付けまわっていたそうです。そしたら、あの長屋へ行くじゃありせんか、調べてみると、そこに住んでるのは文吉とおはまじゃありませんか。これで、ぴんときたようですよ」

 政吉の手には短刀が握られていた。

 おはまは、命だけは助けてくれと願った。

 政吉は、お前の命は助けてやる、だが大澤と文吉だけは許さねぇと毒づいた。

「そこに、幸か不幸か、大澤がやってきた。そこを、刀を抜く前にぐさりとひと突き」

 ふたりが揉み合っているのを見て、おはまは思った。文吉だけは、絶対に殺(や)らせはしないと、ようやく掴みとった幸せを失いたくはないと。

「包丁を取り出して、政吉の背中をぐさり」

 そこに、惣太郎たちが踏み込んできたというわけである。

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